「社格」カテゴリーアーカイブ

[埼玉県川口市] 元郷氷川神社(元郷)

社名元郷氷川神社(もとごうひかわじんじゃ)
所在地
元郷氷川神社

埼玉県川口市元郷1丁目30−2
社格武蔵國四之宮
村社
御祭神祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと):(別名 狭依毘売命)
合祀
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
火産霊命(ほむすびのみこと)
奥津比古命(おくつひこのみこと)
奥津比賣命(おくつひめのみこと)
神紋八雲紋
摂末社
情報源しあわせの宮 元郷氷川神社
訪問記訪問日: 2017/11/26
御朱印あり(初穂料:300円)
由緒書

[東京都台東区] 上野東照宮(上野公園)

社名東照宮
上野東照宮(うえのとうしょうぐう)
所在地
上野東照宮

東京都台東区上野公園9−88
社格府社
御祭神徳川家康公(とくがわいえやす)(東照大権現)
徳川吉宗公(とくがわ よしむね)
徳川慶喜公(とくがわ よしのぶ)
神紋三ツ葉葵
摂末社栄誉権現社(御狸様)
情報源上野東照宮公式ホームページ
訪問記訪問日: 2017/11/09

ちょっとした用事があり、上野動物園。上野動物園のモノレール乗り場の前付近で、「上野東照宮」の看板を発見。
そういや、だいぶ長いこと詣でてないな。と思い立ち参拝。

公園内にある神社で、東照大権現を祀る神社。
東照大権現は言わずと知れた、江戸幕府の初代 徳川家康公。
各地にある東照宮と同じである。
本社も正式名称は東照宮であるが、各地の東照宮と区別するために地名を冠しているとのこと。

歴史的な物語の人物を祀る神社ではなく、そこには確実に権力者として実在し、その末裔が時代を治めていた人物を祀る神社だけあり、貢がれ納められているものがすごい。特に石灯籠。
立派なだけではなく、競うように納められたのか、数もかなりのもの。

社殿は金を基調とした豪華な作りとなっており、豪奢。
華美すぎず下品にはなっていないと評する人も多いが、個人的には成金趣味に見えていただけない。

内部拝観は有料。初穂料500円。

外から見るのと、中から見るのでは印象が異なる。一度は中から見てみるのが良さそうな印象。
まぁ、二度はいらないかもだけど。

中に入ると境内社もある。狸の神社。語呂合わせであろう「他を抜く」につながることから勝負の神様となっているようだ。

御朱印は社務所にて。300円の初穂料。牡丹の季節などは特別な御朱印となる、また、繁忙期には書き置きになるとの事。

御朱印あり(300円) – 受付は9:30-16:00
由緒書東照宮略記

祭神

徳川家康・徳川吉宗・徳川慶喜

縁起

元和二年二月見舞いのため駿府城にいた藤堂
高虎と天海僧正は危篤の家康公の病床に招かれ
三人一処に末長く魂鎮まるところを造って欲しいと
遺言された。そこで高虎の屋敷地であるこの上野
の山に寛永四年(一六二七年)に本宮を造営した。
その後、将軍家光はこの建物に満足出
来ず慶安四年現在の社殿を造営
替えし、江戸の象徴とした。

由緒書栄誉権現

四国八百八狸の総師。
奉献された大奥で暴れ追放後、大名、旗本、諸家を潰し、大正年間 本宮に奉献された悪行 狸、他を抜く(たぬき) 強運開祖として信仰が厚い

縁起日は五の日

[福島県本宮市] 浮島神社(白岩)

社名浮島神社(うきしまじんじゃ) – 明治2年よりの呼称
浮㠀神社
金連大明神
所在地
浮島神社

福島県本宮市白岩宮ノ下304
社格村社
御祭神
神紋中陰桔梗?(本殿に確認できる)
摂末社疱瘡神社
稲荷神社
養蚕神社
雷神社
金刀比羅神社
天満天神宮
忠魂碑
情報源
訪問記訪問日: 2017/09/03

旧白沢村の白岩地区に鎮座する神社。
旧社格は村社で、白岩の惣鎮守であったそうだ。

鳥居をくぐると石段。
石灯籠にはシャチホコが載っていて賑やか。大きな屋根に乗るシャチホコはアクセントだが、石灯籠の小さな屋根に乗る巨大なシャチホコはアクセントというより主役級。

社殿は最近建て直されたのか、とても真新しく綺麗。社殿裏を見ると真新しい法面。神社で見る様な法面ではなく、どちらかというと砂防ダムなどの土木的な法面。正直言って、社頭で見た鎮守の森のイメージからみて真逆な印象で…ちょっと興ざめてしまう。

でも、社殿前の狛犬はなかなか…。
えらく平べったい顔で、炎は体に張り付いている。
なんとも面白い形である。

ここの神社は、県の重要無形民俗文化財として指定されている太々神楽(だいだいかぐら)という伝統芸能で有名。出雲流の神楽で、氏子により奉納される。

御朱印
由緒書浮島神社(うきしまじんじゃ)の大欅(おおけやき)

昭和六十年市指定有形文化財

浮島神社は、昔、金連大明神と
呼ばれ白岩郷の惣鎮守であり、当
時村内にあった田中舘、大葉舘の
舘主が代々尊敬していた社でもあ
った。しかし、勧請年月日は、白
岩村の開創と同時代と言い伝えら
れているが明らかでない。明治二
(千八百六十九)年九月二十七日
名称を金連大明神から浮島神社と
改めた。大欅についての由来は明
らかでないが「岩代国安達郡神社
明細帳」によれば、槻目通尺回り
以上六本、と記されてあり、この
中の一本と思われる。目通り 幹
の回り七・二メートル、樹高二十
七メートル、樹齢推定六百年

本宮市教育委員会

[福島県二本松市] 鹽澤神社

社名鹽澤神社(しおざわじんじゃ)
塩沢神社
機織御前社(はたおりごぜんしゃ)
所在地
鹽澤神社

福島県二本松市上原53
社格郷社
御祭神栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと)
神紋三つ葉葵紋
右三つ巴紋
摂末社八坂社
情報源
訪問記訪問日: 2017/09/03

昔から気になっていた神社。鹽澤神社。
今時の文字に置き換えれば塩沢神社。
街道を登ると安達太良山の中腹に塩沢温泉がある。その街道沿いにある神社。

街道沿いに大きめの看板が出ているので、気にしながら運転していれば神社の存在には気がつきやすいでしょう。

鳥居をくぐると、少々高い位置に農業用水と思われる疏水が綺麗な水を湛えており、そこを石橋で超えます。
そこからは杉木立の参道。下り道の山道はもともとの赤っぽい山土の上に白っぽい土が乗り、独特の感じを醸し出します。これは多分、意図してこのような形にしたのではなく、よくある除染後の処理でこんな感じになったんでしょうね。
そんなことを考えつつどんどん下って行くと、清流。こちらにも橋がかかり、それを渡ります。

橋のたもとにはいろいろな石碑。
「二十八夜供養」の石碑。
この辺りも月待ちの風習があるんでしょうね。

その先に鳥居があり、そこから急な石段。
鳥居の前には、除染ゴミと思われる大きな塊が保管されており、震災の後片付けが未だ済んでいないことをひっそりと主張しています。

階段の上に社殿。
比較的最近に直されたのか、非常に綺麗な社殿でまだ木の匂いが漂ってきそうな雰囲気。
左にある境内社(八坂社)や神楽殿?はそこそこの古さを感じさせる。

参拝後、社殿裏側を回ってみる。
ちょうど本殿の左となりに大きな岩。
「あー、大きな岩だな」くらいに通り過ぎようと思ったところ、よく見ると仏様が綺麗に彫られていました。
気がつかなければ流してしまいそうな感じですが、綺麗なものです。

その後、石段の山道とは別に、川沿いに進む別ルートで境外へ。
その際に、面白い鳥居。
鳥居は、基本的に縦に二本、横に二本の形が最低限の共通項と思っていたけれど。
ここの鳥居はそれを破る形。
柱二本が立つのはいいけれど。渡される柱は一本。だけど、扁額はあり。
単なる扉のないゲート状態。
まぁ、深い意味はないんだろうけど。鳥居としては面白い形であった。

御朱印
由緒書

[福島県二本松] 二本松神社

社名二本松神社(にほんまつじんじゃ)
御両社(ごりょうしゃ)
所在地
二本松神社

福島県二本松市本町1丁目61
社格県社
御祭神熊野宮

伊邪那美命(いざなみのみこと)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)

八幡宮
品陀和気命(ほむだわけのみこと)
氣長足姫命(おきながたらしひめのみこと)

御三社(境内社)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

神紋右三つ巴紋
丹羽直違紋
摂末社御三社
稲荷神社(公式Webには記載なし)
情報源二本松神社
訪問記訪問日: 2017/09/03

Webサイトには、旧二本松藩領総鎮守(丹羽候御紋拝領)とある。
ここでいう二本松藩は岩代国の安達郡・信夫郡・安積郡と言った場所で、現在の県北から県中という大きな範囲。その総鎮守である。

ただ、これ。
こう見ると結構根が深いような話にも思われる。
安達郡の総鎮守は現本宮市にある安達太良神社がその役割を果たしており、安達太良神社があるからこそ、地名である本宮が発生したと言われている。が、天和八年に二本松熊野宮(現在の二本松神社)の神官が因縁をつけ、安達太良神社から総鎮守を剥奪したという歴史がある模様。因縁のつけ方も「安達太良神社の祭神は安達太良山の神々ではないので、郡の総鎮守に相応しくない。」的なよくわからない内容。安達太良神社は安達太良の神々を祀ることになっているわけで、その言い分も私にはよくわからない。
まぁ、城下町(武士)と宿場町(商人)の街の関係って、まぁどこもそんなもんなんだろうけど。

旧国道4号線に接して社頭。
大きな鳥居をくぐり、石段を登る。その先に社殿。
特徴は神紋。よく見る右三つ巴紋の他に
丹羽直違紋。もちろん、二本松藩故の紋。

社殿前に並ぶ石灯籠には、熊野宮、八幡宮と彫られており、両社を同一ではなく、ここの神社として扱っている感じが伝わってくる。

御朱印は、社務所にて。
ただし、書き置き。
時期などによっては書いていただけるのかもしれないけれど。

駐車場について。

駐車場の場所は極めてわかりにくい。
旧国道を北上、日夏本店と玉嶋屋の間の路地(左折)に入る。
少々登ると、二本松商工会議所が左手に見える。
二本松商工会議所の接している路地(左折)に入るとすぐにT字路。ここを左折して坂を登ると社務所裏の駐車場に到着する。
さほど大きくない駐車場だし、アプローチ道路も状況が良くない。
運転に自信がない人の場合は、駅付近の有料駐車場を利用したほうが精神的負担は少ないかも。

御朱印あり – 書き置き(300円)
由緒書二本松神社
当社の祭神は、向かって左が品陀和気命(八幡様)、右が伊邪
那美命(熊野様)である。このため、江戸時代には御両社とも称
されていた。
中世・室町時代十五世紀中頃、二本松城主・畠山氏により城
内の白旗ヶ峰に合祀されて以来、近世・江戸時代初頭の会津藩
領をも通じて蒲生・松下・加藤氏らによって崇敬されていた。
寛永二十年(一六四三)二本松藩成立に伴い、十万七百石の初
代二本松藩主として入部した丹羽光重公は一層崇敬し、祭資と
して扶持米八十石、社領二十五石を給するとともに、二本松領
総鎮守社とすることを公達した。まもなく城内・城下整備によ
り、この地(旧栗ヶ柵)に遷宮され、光重公の敬神愛民の精神
から丹羽家の守護神を下座(左)に、領民の守護神を上座(右)に
祀られることになった。
その後、御両社は明和元年(一七六四)に総修復されたが、同
三年の大火で炎上、安永六年(一七七七)に再建されたものの、
寛政六年(一七九四)の大火で再び消失しあt。現在の社殿・拝殿
は文化三年(一八〇六)に隋神門は文化四年に再々建されたもの
のであり、二本松に残るこの期を代表する建造物と言える。
また、十月四・五・六日に秋の例大祭として執行さされる「二
本松提灯祭り」は、七町内から金箔塗りの太鼓台がはやし(県指
定重要無形民俗文化財)もにぎやかに市内を練り歩き、夜は一台
に約三百個の紅提灯を飾り付け、その旬燗豪華さは日本三大提
灯祭りの一つといわれている所以である。二本松観光協会

[静岡県西伊豆町] 浦守神社

社名浦守神社(うらもりじんじゃ)
國玉命神社(くにたまみことじんじゃ)
所在地
浦守神社

静岡県賀茂郡西伊豆町安良里929
社格無格社
延喜式内 (國玉命神社)
静岡県神社庁神社等級 十二等級神社(昭和五十六年七月一日)
御祭神國玉命(くにたまのかみ)
神紋
摂末社稲荷社
情報源浦守神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2016/11/24

ここの神社、場所のわかるし、どこにあるのかもよく見える。
でも、行けない。

地元の人は船で参拝するのでしょう。
直接にたどり着ける、簡単な道がないのです。

船を持ってない人間は、例大祭などの船の便が出るときに参拝するか、努力と根性で訪問するかのどちらか。
今回はちょっと根性を出してみた。

12:30 安良里港を回り込み、造船所を手前を左折、坂を登りきった場所に今回の参拝の起点があります。ここからハイキングスタート。網屋崎までは1.38km。

途中に数カ所の案内がありますが、基本的には一本道。
登山靴は必要ないけれど、がっちりと紐を締めたスニーカーは絶対に必要な感じのライトな散策道。
日頃運動不足の自分。汗が滴ってきます。

12:45 登り始めて1.03kmほど。田子(今山)と網屋崎への分岐路が出てきます。ここを右折して網屋崎へ向かいます。

12:50 分岐からすぐ、東屋が現れます。そこには恐ろしい文字が。
「ここから網屋崎へは急な下り坂が続く健脚向きの歩道となります。行かれる方は無理のない計画をたててからご利用ください。」

ここまでの道も、登山と考えれば楽すぎるレベルですが、遊歩道と考えるとちょっとキツめ。
そこにあって、健脚向きとは…どんなレベルなんだろうか。

登りの急な坂道はゆっくり登ればいいだけ。下の急坂は膝に負担をかけるし、登り以上に体力を消耗する。結構な急坂。ライトトレッキングブーツを履いてきて正解。これ、スニーカーだったら、膝が根をあげていたかも。

13:05 下りきり、ようやく浜辺へ。

一気に歩って35分。帰りはこの登りを考えると45分コース。
海を船で渡れば5分とかからないだろう。
訪問する場合は往復で2時間、ちゃんとした靴に長袖・長ズボン、それに手袋をお忘れなく。

苦労して網屋崎。
ここから海岸を歩き、突堤を目指します。

突堤には鳥居。
船で参拝に来るのがよくわかる構造。船で突堤につき、そのまま鳥居をくぐれるようになっています。
陸からくると、鳥居を順方向にくぐることができません。

鳥居をくぐると左に社務所の様な建物。例大祭時にはお札の配布をしているとのことなので、こちらで行うのでしょう。

その奥に社殿。
社殿は鍵がかかっておらず、開けると、拝殿の奥、覆屋の中、本殿の前に賽銭箱。
これは、参拝時には開けて中に入って参拝して良いものと思われます。

本殿前まで行き参拝。

脇には稲荷社の本殿。
摂末社としては、社殿脇に石祠があったけど…詳細不明。

御朱印
由緒書

[静岡県西伊豆町] 天満天神宮(栗原)

社名天満天神宮
所在地
天満天神宮

静岡県賀茂郡西伊豆町中827
社格無格社
静岡県神社庁神社等級 十四等級神社(昭和五十六年七月一日)
御祭神菅原大臣命
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/11/23

仁科中学校の運動場の後ろ、隠れるように…かすかに鳥居が見える。神社だ。仁科中学校運動場の東端、栗原集落の入口を左へ入り、長光寺の方向にグランドに沿って約一〇〇メートルほどでアプローチできる。
資料によると、昔は参道があり、まっすぐに神社の鳥居に向かっていけたらしい。いつの段階かで運動場ができて分断されてしまったということのようです。ひとまず、迂回しつつアプローチ。
運動場側に廻り込み、まずは鳥居をくぐる。
鳥居の先に拝殿。
拝殿は伊豆このあたりでよく見かけるタイプ。普通の民家の玄関を開けるとその奥に本殿みたいな。
拝殿から覆殿までの階段、石段の両脇にのちに手すりをつけた模様。もともとは脇から回り込んで本殿にというスタイルのだったのかもしれません。
手すりがついたからといって、入れなくなったわけではなく。
脇の道を使えばもちろんアプローチ可。
ということで、本殿にご挨拶…覆屋には鍵。隙間から覗くと、伊豆らしく等級の表示。

小さいながらに整備された境内、地域の信仰が残っているのでしょう。

御朱印
由緒書

[静岡県沼津市] 井田神社

社名井田神社(いたじんじゃ)
所在地
井田神社

静岡県沼津市井田1
社格延喜式内
村社(明治六年八月)
御祭神大己貴命
神紋五三桐紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/08/19
御朱印
由緒書井田神社

 

祭神
大己貴命
例祭日
十月九日

由緒
当社は延喜式神名帳(九二七年撰進)の伊豆国神階帳の「従四位上ゐたの明神」に相当するという。
往古、大古久明神と称し、永禄十三年(一五七〇)修造、慶長十二年(一六〇七)の棟札には井田荘七箇村鎮守井田明神とみえる。村の産土神として、農漁商工業の守護神として崇敬されてきた。うっそうとした社叢に数百年の歴史が偲ばれる。社傍の井立山妙田寺は当社の別当寺であったと伝えられる。
明治六年八月村社に列せられた。

境内
三百四十六坪

社殿
本殿・拝殿流造

社宝
永禄十三年棟札

沼津市教育委員会

[静岡県沼津市] 大瀬神社

社名大瀬神社(おせじんじゃ)
大瀬明神(おせみょうじん)
引手力命神社(ひきてちからのみことじんじゃ、ひきたぢからのみことじんじゃ)
所在地
大瀬神社

静岡県沼津市西浦江梨329
社格延喜式内
郷社
御祭神引手力命(ひきたぢからのみこと)
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/08/19
御朱印
由緒書