社名 | 鹽澤神社(しおざわじんじゃ) 塩沢神社 機織御前社(はたおりごぜんしゃ) |
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所在地 | 福島県二本松市上原53 |
社格 | 郷社 |
御祭神 | 栲幡千々姫命(たくはたちぢひめのみこと) |
神紋 | 三つ葉葵紋 右三つ巴紋 |
摂末社 | 八坂社 |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/09/03 昔から気になっていた神社。鹽澤神社。 今時の文字に置き換えれば塩沢神社。 街道を登ると安達太良山の中腹に塩沢温泉がある。その街道沿いにある神社。 街道沿いに大きめの看板が出ているので、気にしながら運転していれば神社の存在には気がつきやすいでしょう。 鳥居をくぐると、少々高い位置に農業用水と思われる疏水が綺麗な水を湛えており、そこを石橋で超えます。 そこからは杉木立の参道。下り道の山道はもともとの赤っぽい山土の上に白っぽい土が乗り、独特の感じを醸し出します。これは多分、意図してこのような形にしたのではなく、よくある除染後の処理でこんな感じになったんでしょうね。 そんなことを考えつつどんどん下って行くと、清流。こちらにも橋がかかり、それを渡ります。 橋のたもとにはいろいろな石碑。 「二十八夜供養」の石碑。 この辺りも月待ちの風習があるんでしょうね。 その先に鳥居があり、そこから急な石段。 鳥居の前には、除染ゴミと思われる大きな塊が保管されており、震災の後片付けが未だ済んでいないことをひっそりと主張しています。 階段の上に社殿。 比較的最近に直されたのか、非常に綺麗な社殿でまだ木の匂いが漂ってきそうな雰囲気。 左にある境内社(八坂社)や神楽殿?はそこそこの古さを感じさせる。 参拝後、社殿裏側を回ってみる。 ちょうど本殿の左となりに大きな岩。 「あー、大きな岩だな」くらいに通り過ぎようと思ったところ、よく見ると仏様が綺麗に彫られていました。 気がつかなければ流してしまいそうな感じですが、綺麗なものです。 その後、石段の山道とは別に、川沿いに進む別ルートで境外へ。 その際に、面白い鳥居。 鳥居は、基本的に縦に二本、横に二本の形が最低限の共通項と思っていたけれど。 ここの鳥居はそれを破る形。 柱二本が立つのはいいけれど。渡される柱は一本。だけど、扁額はあり。 単なる扉のないゲート状態。 まぁ、深い意味はないんだろうけど。鳥居としては面白い形であった。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
社名 | 二本松神社(にほんまつじんじゃ) 御両社(ごりょうしゃ) |
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所在地 | 福島県二本松市本町1丁目61 |
社格 | 県社 |
御祭神 | 熊野宮 伊邪那美命(いざなみのみこと) 速玉之男命(はやたまのおのみこと) 事解之男命(ことさかのおのみこと) 八幡宮 品陀和気命(ほむだわけのみこと) 氣長足姫命(おきながたらしひめのみこと) 御三社(境内社) 事代主命(ことしろぬしのみこと) 少彦名命(すくなひこなのみこと) 菅原道真公(すがわらのみちざねこう) |
神紋 | 右三つ巴紋 丹羽直違紋 |
摂末社 | 御三社 稲荷神社(公式Webには記載なし) |
情報源 | 二本松神社 |
訪問記 | 訪問日: 2017/09/03 Webサイトには、旧二本松藩領総鎮守(丹羽候御紋拝領)とある。 ここでいう二本松藩は岩代国の安達郡・信夫郡・安積郡と言った場所で、現在の県北から県中という大きな範囲。その総鎮守である。 ただ、これ。 こう見ると結構根が深いような話にも思われる。 安達郡の総鎮守は現本宮市にある安達太良神社がその役割を果たしており、安達太良神社があるからこそ、地名である本宮が発生したと言われている。が、天和八年に二本松熊野宮(現在の二本松神社)の神官が因縁をつけ、安達太良神社から総鎮守を剥奪したという歴史がある模様。因縁のつけ方も「安達太良神社の祭神は安達太良山の神々ではないので、郡の総鎮守に相応しくない。」的なよくわからない内容。安達太良神社は安達太良の神々を祀ることになっているわけで、その言い分も私にはよくわからない。 まぁ、城下町(武士)と宿場町(商人)の街の関係って、まぁどこもそんなもんなんだろうけど。 旧国道4号線に接して社頭。 大きな鳥居をくぐり、石段を登る。その先に社殿。 特徴は神紋。よく見る右三つ巴紋の他に 丹羽直違紋。もちろん、二本松藩故の紋。 社殿前に並ぶ石灯籠には、熊野宮、八幡宮と彫られており、両社を同一ではなく、ここの神社として扱っている感じが伝わってくる。 御朱印は、社務所にて。 ただし、書き置き。 時期などによっては書いていただけるのかもしれないけれど。 駐車場について。 駐車場の場所は極めてわかりにくい。 旧国道を北上、日夏本店と玉嶋屋の間の路地(左折)に入る。 少々登ると、二本松商工会議所が左手に見える。 二本松商工会議所の接している路地(左折)に入るとすぐにT字路。ここを左折して坂を登ると社務所裏の駐車場に到着する。 さほど大きくない駐車場だし、アプローチ道路も状況が良くない。 運転に自信がない人の場合は、駅付近の有料駐車場を利用したほうが精神的負担は少ないかも。 |
御朱印 | あり – 書き置き(300円) |
由緒書 | 二本松神社 当社の祭神は、向かって左が品陀和気命(八幡様)、右が伊邪 那美命(熊野様)である。このため、江戸時代には御両社とも称 されていた。 中世・室町時代十五世紀中頃、二本松城主・畠山氏により城 内の白旗ヶ峰に合祀されて以来、近世・江戸時代初頭の会津藩 領をも通じて蒲生・松下・加藤氏らによって崇敬されていた。 寛永二十年(一六四三)二本松藩成立に伴い、十万七百石の初 代二本松藩主として入部した丹羽光重公は一層崇敬し、祭資と して扶持米八十石、社領二十五石を給するとともに、二本松領 総鎮守社とすることを公達した。まもなく城内・城下整備によ り、この地(旧栗ヶ柵)に遷宮され、光重公の敬神愛民の精神 から丹羽家の守護神を下座(左)に、領民の守護神を上座(右)に 祀られることになった。 その後、御両社は明和元年(一七六四)に総修復されたが、同 三年の大火で炎上、安永六年(一七七七)に再建されたものの、 寛政六年(一七九四)の大火で再び消失しあt。現在の社殿・拝殿 は文化三年(一八〇六)に隋神門は文化四年に再々建されたもの のであり、二本松に残るこの期を代表する建造物と言える。 また、十月四・五・六日に秋の例大祭として執行さされる「二 本松提灯祭り」は、七町内から金箔塗りの太鼓台がはやし(県指 定重要無形民俗文化財)もにぎやかに市内を練り歩き、夜は一台 に約三百個の紅提灯を飾り付け、その旬燗豪華さは日本三大提 灯祭りの一つといわれている所以である。二本松観光協会 |
社名 | 隠津島神社(おきつしまじんじゃ) 木幡の弁天様 |
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所在地 | 福島県二本松市木幡字治家49 |
社格 | 式内小社(隠津嶋神社) 論社 県社 |
御祭神 | 【宗像三女神】 隠津島姫命(おきつしまひめのみこと) 田心姫命(たごりひめのみこと) 湍津姫命(たきつひめのみこと) |
神紋 | 五三桐紋(ごさんのきりもん・ごさんぎりもん) 直違紋(すじかいもん) |
摂末社 | 門神社 天石門別神 医薬神社 大国主命・少彦名神 松尾神社 酒解神・天酒解姫神 養蚕神社 足尾神社 白山神社 疱瘡神社 天児屋根命・建甕槌命・経津主神 八坂神社 須佐之男命・櫛名田姫命 熊野神社 養蚕神社 |
情報源 | 木幡山隠津島神社公式ホームページ | 木幡の幡祭り、平和・招福・知恵・縁結びの神 |
訪問記 | 訪問日: 2016/07/17 旧東和町にある古社。 木幡の幡祭りで有名な神社ではあるが、なんせ交通の便が悪い。 自家用車以外でのアクセスはほぼ考えられない。道案内に従って進むと、木幡山の中腹にある駐車場に到着する。 ここから石段を登り参拝へ。 かなり綺麗に整備されており登りやすいが、そこそこの長さがあるので、普段から歩きなれない人だと休憩がてらとなる感じ。 見た感じだと、除染作業が行われた直後といった感じである。 福島の社寺は、今回の震災による原発事故の影響もあり、順次、除染作業が行われている様だ。 手の行き届かなかったところも、除染作業で綺麗に整備が行われてしまった感じである。 ただ、その整備のせいで、鬱蒼とした神秘性を感じられる様な雰囲気が失われてしまったところも多い。 痛し痒しといったところだろうか。登りきると境内社の門神社が見えてくる。その先に社務所と本殿、数々の境内社が顔を出します。 山奥に急に現れる大きな本殿。 鬱蒼と茂る林の中に見える本殿は、非常に心が落ち着く雰囲気である。 その前には三重塔。社務所は明かりはついているものの、人はおらず。 灯りのともっている提灯には社名の他に「直違紋」。 これは、二本松藩主の丹羽氏の紋。 丹羽氏は信仰に厚い人だったのか、地域の社寺に多くの資金を投入しているし、いろいろなエピソードも残している。駐車場に戻り、車で下山。山の麓に戻る。だいぶ降りたところに「遥拝殿」と「社務所」が現れる。 こちらにて御朱印がいただける。御朱印をいただいている間に遥拝殿へ。 遥拝殿内には五三桐紋。 ともかく、広い神社。まともに見て回ろうと思うと…本当にまるまる1日掛かってしまいそうである。 |
御朱印 | あり(第二社務所にて) |
Traditional Japanese Life