「諏訪神社」カテゴリーアーカイブ

[千葉県市原市] 諏訪神社

社名諏訪神社
所在地
諏訪神社

千葉県市原市久々津
社格
御祭神
神紋梶の葉紋
摂末社天神神社
情報源
訪問記訪問日: 2017/08/19
御朱印
由緒書(境内社の掲示)学問の神天神神社
祭神 菅原道真公平安時代初めの学者、学
問を好み漢詩漢文和歌
にすぐれた才能をもっていた
宇多大皇に厚く信任され
右大臣になり(八九四年)
遣唐使に任命された創建 安政三年七月十三日本照寺三十二世住職深海
上人の創建による
爾来郷民の崇敬をあつ
めた

[静岡県松崎町] 諏訪神社(中村)

社名諏訪神社
所在地
諏訪神社

静岡県賀茂郡松崎町岩科北側691
社格
御祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)
神紋
摂末社
情報源松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編
訪問記訪問日: 2017/05/01
御朱印
由緒書祭神 建御名方命

由緒
縄文遺跡として古くから知られている岩科西の段を見渡す山の中
腹に南面して鎮座している。伝えられるところによると、元は西の
段にあり、規模宏大で末社数十座(八十八社ともいわれている)を有し
ていたが、中古火災にあい、社殿、旧記録の全てを焼失したとい
う。現在も西の段のすぐ下のほぼ平地になったあたりに祀られてい
る小社が数社あるが、かつて隆盛を極めた時の名残りを物語るもの
であろう。
一方、二枚ある明和九年(一七七二)九月の棟札の二枚目では、
延宝八年(一六八〇)の棟札を明和九年に書き写したと断り書きし
てあり、それによると「諏訪大明神の草創は久しいが、年を経て大
廃し嘆かわしい事であったが、当村中村清右衛門親知が施主となっ
て石宮一字を再興し云々」と記されている。現社殿の裏正面に、高
さ一メートル弱の古びた石宮が鎮座しているが、現社殿との位置関
係や、前記施主の末裔によって現在まで祀られてきていることなど
から、この石宮が延宝八年建立のものの可能性が極めて高いと思わ
れる。
現社殿は文久元年(一八六一)一一月の造営になるもので、彫刻
師石田半兵衛邦秀(推定・六一歳頃)の円熟期の装飾彫刻は見事で
ある。
例祭日 二月一一日
以前は二月一五日であったが、近年になって改められた。

[静岡県沼津市] 諏訪神社・縁結神社(政戸)

社名諏訪神社・縁結神社(すわじんじゃ・えんむすびじんじゃ)
所在地
諏訪神社・縁結神社

静岡県沼津市大平2943
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04

たまたま通りがかって鳥居を発見。急遽、参拝。

楔の大きさがきになる明神鳥居をくぐると目の前に小ぶりな社殿。
えらく新しい境内。整備されたのはつい最近のような雰囲気。

それにしても、諏訪神社はわかるが縁結神社とは…。
妙に俗っぽさを感じずにはいられない。
なんというか、バンレンタインチョコレートの売り場のような…そんな俗っぽさ。

そんなことを思いつつ参拝し、帰宅後にネットで検索。いろいろ検索した結果、
曹洞宗 桃源院に行き着く。そこの情報によると、

(1)諏訪大明神 
 当時の浪人は、信州出身の者が多かったので、長野県の諏訪神社を分祭祀し、天正十八年八月造営され、祭礼は四社合同にて、九月一日政戸区民一同で交代に祭っている。
(2)結大明神
 諏訪大明神と並んで祭られており、縁結びの神として信仰されている。祭神(いざなみ・いさなぎの尊)
(3)稲荷大明神
 右側に祭られており、農民になったとき農作物の神として祭った。祭神 (天白大権現)
(4)左口神
  じゃも(疱瘡や皮膚病の痕)を守って下さる神様として、祭っていたが、何時の間にか「オシャモジサン」と呼ばれ、あせも・おできの神として信仰されている。

ということで、この縁結神社は俗っぽい者ではなく、結大明神由来なのであろうことがわかった。
俗っぽいなどと考えたこと。反省。

ただ、この情報だと4宇の神社があったことになる。
稲荷大明神と左口神はどちらに行かれてしまったのだろうか…。

御朱印
由緒書