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[福島県二本松] 二本松神社

社名二本松神社(にほんまつじんじゃ)
御両社(ごりょうしゃ)
所在地
二本松神社

福島県二本松市本町1丁目61
社格県社
御祭神熊野宮

伊邪那美命(いざなみのみこと)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)

八幡宮
品陀和気命(ほむだわけのみこと)
氣長足姫命(おきながたらしひめのみこと)

御三社(境内社)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

神紋右三つ巴紋
丹羽直違紋
摂末社御三社
稲荷神社(公式Webには記載なし)
情報源二本松神社
訪問記訪問日: 2017/09/03

Webサイトには、旧二本松藩領総鎮守(丹羽候御紋拝領)とある。
ここでいう二本松藩は岩代国の安達郡・信夫郡・安積郡と言った場所で、現在の県北から県中という大きな範囲。その総鎮守である。

ただ、これ。
こう見ると結構根が深いような話にも思われる。
安達郡の総鎮守は現本宮市にある安達太良神社がその役割を果たしており、安達太良神社があるからこそ、地名である本宮が発生したと言われている。が、天和八年に二本松熊野宮(現在の二本松神社)の神官が因縁をつけ、安達太良神社から総鎮守を剥奪したという歴史がある模様。因縁のつけ方も「安達太良神社の祭神は安達太良山の神々ではないので、郡の総鎮守に相応しくない。」的なよくわからない内容。安達太良神社は安達太良の神々を祀ることになっているわけで、その言い分も私にはよくわからない。
まぁ、城下町(武士)と宿場町(商人)の街の関係って、まぁどこもそんなもんなんだろうけど。

旧国道4号線に接して社頭。
大きな鳥居をくぐり、石段を登る。その先に社殿。
特徴は神紋。よく見る右三つ巴紋の他に
丹羽直違紋。もちろん、二本松藩故の紋。

社殿前に並ぶ石灯籠には、熊野宮、八幡宮と彫られており、両社を同一ではなく、ここの神社として扱っている感じが伝わってくる。

御朱印は、社務所にて。
ただし、書き置き。
時期などによっては書いていただけるのかもしれないけれど。

駐車場について。

駐車場の場所は極めてわかりにくい。
旧国道を北上、日夏本店と玉嶋屋の間の路地(左折)に入る。
少々登ると、二本松商工会議所が左手に見える。
二本松商工会議所の接している路地(左折)に入るとすぐにT字路。ここを左折して坂を登ると社務所裏の駐車場に到着する。
さほど大きくない駐車場だし、アプローチ道路も状況が良くない。
運転に自信がない人の場合は、駅付近の有料駐車場を利用したほうが精神的負担は少ないかも。

御朱印あり – 書き置き(300円)
由緒書二本松神社
当社の祭神は、向かって左が品陀和気命(八幡様)、右が伊邪
那美命(熊野様)である。このため、江戸時代には御両社とも称
されていた。
中世・室町時代十五世紀中頃、二本松城主・畠山氏により城
内の白旗ヶ峰に合祀されて以来、近世・江戸時代初頭の会津藩
領をも通じて蒲生・松下・加藤氏らによって崇敬されていた。
寛永二十年(一六四三)二本松藩成立に伴い、十万七百石の初
代二本松藩主として入部した丹羽光重公は一層崇敬し、祭資と
して扶持米八十石、社領二十五石を給するとともに、二本松領
総鎮守社とすることを公達した。まもなく城内・城下整備によ
り、この地(旧栗ヶ柵)に遷宮され、光重公の敬神愛民の精神
から丹羽家の守護神を下座(左)に、領民の守護神を上座(右)に
祀られることになった。
その後、御両社は明和元年(一七六四)に総修復されたが、同
三年の大火で炎上、安永六年(一七七七)に再建されたものの、
寛政六年(一七九四)の大火で再び消失しあt。現在の社殿・拝殿
は文化三年(一八〇六)に隋神門は文化四年に再々建されたもの
のであり、二本松に残るこの期を代表する建造物と言える。
また、十月四・五・六日に秋の例大祭として執行さされる「二
本松提灯祭り」は、七町内から金箔塗りの太鼓台がはやし(県指
定重要無形民俗文化財)もにぎやかに市内を練り歩き、夜は一台
に約三百個の紅提灯を飾り付け、その旬燗豪華さは日本三大提
灯祭りの一つといわれている所以である。二本松観光協会

[静岡県南伊豆町] 三島神社(蝶ケ野)

社名三島神社(みしまじんじゃ)
所在地
三島神社

静岡県賀茂郡南伊豆町蝶ケ野270
社格延喜式内(多祁伊志豆伎命神社)
村社
御祭神事代主命
神紋
摂末社
情報源三島神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2016/08/26

地図には神社があるが、どの道を進んで到達したらいいのか。イマイチ分かりにくく、何度か近所まで来たことはあったが達することができなかった神社。
川沿いに進む道を手当たり次第に進み、ようやく。

川沿いの石垣の上に小さな境内。白色の八幡鳥居。
その先に朱色の社殿。
どうも伊豆の神社の社殿は自分のイメージする神社とは形が異なるので違和感がある。
鳥居がなければ小さい民家というか、物置というか、そういう印象の社殿が多い。
ここも似たような感じ。

南豆風土誌の、三坂村蝶ケ野字川久保の三島神社と記載されている部分が当社であると思われる。
それであれば、創建など詳細は不詳であるが、祭神は事代主命となるようである。

御朱印
由緒書