「村社」カテゴリーアーカイブ

[埼玉県川口市] 元郷氷川神社(元郷)

社名元郷氷川神社(もとごうひかわじんじゃ)
所在地
元郷氷川神社

埼玉県川口市元郷1丁目30−2
社格武蔵國四之宮
村社
御祭神祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと):(別名 狭依毘売命)
合祀
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
火産霊命(ほむすびのみこと)
奥津比古命(おくつひこのみこと)
奥津比賣命(おくつひめのみこと)
神紋八雲紋
摂末社
情報源しあわせの宮 元郷氷川神社
訪問記訪問日: 2017/11/26
御朱印あり(初穂料:300円)
由緒書

[福島県本宮市] 浮島神社(白岩)

社名浮島神社(うきしまじんじゃ) – 明治2年よりの呼称
浮㠀神社
金連大明神
所在地
浮島神社

福島県本宮市白岩宮ノ下304
社格村社
御祭神
神紋中陰桔梗?(本殿に確認できる)
摂末社疱瘡神社
稲荷神社
養蚕神社
雷神社
金刀比羅神社
天満天神宮
忠魂碑
情報源
訪問記訪問日: 2017/09/03

旧白沢村の白岩地区に鎮座する神社。
旧社格は村社で、白岩の惣鎮守であったそうだ。

鳥居をくぐると石段。
石灯籠にはシャチホコが載っていて賑やか。大きな屋根に乗るシャチホコはアクセントだが、石灯籠の小さな屋根に乗る巨大なシャチホコはアクセントというより主役級。

社殿は最近建て直されたのか、とても真新しく綺麗。社殿裏を見ると真新しい法面。神社で見る様な法面ではなく、どちらかというと砂防ダムなどの土木的な法面。正直言って、社頭で見た鎮守の森のイメージからみて真逆な印象で…ちょっと興ざめてしまう。

でも、社殿前の狛犬はなかなか…。
えらく平べったい顔で、炎は体に張り付いている。
なんとも面白い形である。

ここの神社は、県の重要無形民俗文化財として指定されている太々神楽(だいだいかぐら)という伝統芸能で有名。出雲流の神楽で、氏子により奉納される。

御朱印
由緒書浮島神社(うきしまじんじゃ)の大欅(おおけやき)

昭和六十年市指定有形文化財

浮島神社は、昔、金連大明神と
呼ばれ白岩郷の惣鎮守であり、当
時村内にあった田中舘、大葉舘の
舘主が代々尊敬していた社でもあ
った。しかし、勧請年月日は、白
岩村の開創と同時代と言い伝えら
れているが明らかでない。明治二
(千八百六十九)年九月二十七日
名称を金連大明神から浮島神社と
改めた。大欅についての由来は明
らかでないが「岩代国安達郡神社
明細帳」によれば、槻目通尺回り
以上六本、と記されてあり、この
中の一本と思われる。目通り 幹
の回り七・二メートル、樹高二十
七メートル、樹齢推定六百年

本宮市教育委員会

[静岡県沼津市] 井田神社

社名井田神社(いたじんじゃ)
所在地
井田神社

静岡県沼津市井田1
社格延喜式内
村社(明治六年八月)
御祭神大己貴命
神紋五三桐紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/08/19
御朱印
由緒書井田神社

 

祭神
大己貴命
例祭日
十月九日

由緒
当社は延喜式神名帳(九二七年撰進)の伊豆国神階帳の「従四位上ゐたの明神」に相当するという。
往古、大古久明神と称し、永禄十三年(一五七〇)修造、慶長十二年(一六〇七)の棟札には井田荘七箇村鎮守井田明神とみえる。村の産土神として、農漁商工業の守護神として崇敬されてきた。うっそうとした社叢に数百年の歴史が偲ばれる。社傍の井立山妙田寺は当社の別当寺であったと伝えられる。
明治六年八月村社に列せられた。

境内
三百四十六坪

社殿
本殿・拝殿流造

社宝
永禄十三年棟札

沼津市教育委員会

[東京都文京区] 駒込天祖神社

社名駒込天祖神社(こまごめてんそじんじゃ)
駒込神明宮
所在地
朝日氷川神社

東京都文京区本駒込3-40-1
社格村社
駒込村総鎮守
御祭神天照大御神(あまてらすおおみかみ)

宇迦御魂命 (うかのみたまのみこと) – 鎮火稲荷神社
淤母陀流神(おもだるのかみ) – 榊神社
阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ) – 榊神社
須佐之男命(すさのおのみこと) – 須賀神社
天手力男命(あめのたぢからおのみこと) – 戸隠熱田神社
倭健命(やまとたけるのみこと) – 戸隠熱田神社

神紋花菱紋
摂末社鎮火稲荷神社(ちんかいなりじんじゃ)
三社合祭社(さんしゃごうさいしゃ) – 榊神社(さかきじんじゃ) : 須賀神社(すがじんじゃ) : 戸隠熱田神社(とがくしあつたじんじゃ)
情報源文京区 天祖神社(てんそじんじゃ)
訪問記訪問日: 2017/08/19

駒込駅より徒歩範囲。都道455線より入った場所に鎮座。
ここ、目指してくる様な状況でなければ、存在自体も気がつかなかったかも…。

ちなみに駐車スペースはなく、また路上駐車ができる様な道路上の余裕もありません。
近隣に幾らかのコインパーキングがあるので、車の場合はコインパーキングを利用するのが便利かもしれません。

住宅街の一角、細い路地の入り組んだ地域だけに、ちょっと狭苦しい感じがするけれど、境内に入ってしまうと、いかにも神域という空気が感じられます。

社頭から…まず、社号標を右手に見ながら、神明鳥居をくぐると境内。
境内は木々が茂り、いい雰囲気です。
参道を進むと三社合祭社、稲荷神社。そして、狛犬。
狛犬はなかなかに迫力がある子達。

拝殿横には社務所があり、そこで御朱印がいただけます。
駒込富士神社の御朱印もこちらでいただくことができるので、天祖神社にお参りする前に駒込富士登山をしてからというのもいいでしょう。駒込富士神社までは徒歩でも10分ほど。

御朱印あり(300円) – 社務所にて:書き置きの場合あり
由緒書天祖神社

江戸時代、駒込の氏神として、神明さまと呼ばれ、里人に親しまれてきた。社伝によると、文治5年(1189)源頼朝が奥羽征伐(藤原泰衡追討)の途中、この地に立ち寄り、夢のお告げで、松の枝に大麻(伊勢神宮のおふだ)がかかっているのを見つけた。頼朝は、討伐のよい前触れと喜び、この地に神明(天照大神)を祭ったのが、この神社の起源と言われる。社殿の様式は、神明造り。
大麻のかかっていた大木は、神木として崇められ、さしわたし4尺(12m)もある大木と伝えられている。(『江戸砂子』から)
その後、宮守もなく神木の根元に小さな祠を残すだけとなったが、1650年頃、堀丹後守利直によって再興された。神木は、その後枯れたという。
社殿の裏に、都立駒込病院あたりにあった「鷹匠組」の寄進名が刻まれた石柱が、いまも残る。

ー郷土愛をはぐくむ 文化財ー
東京都文京区教育委員会 昭和63年3月

[埼玉県朝霞市] 氷川神社

社名氷川神社(ひかわじんじゃ)
所在地
氷川神社

埼玉県朝霞市溝沼6-23-1
社格村社
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/06/10
御朱印
由緒書氷川神社 御由緒

 

□ 御縁起(歴史)

 

かつては当社を「じるいね様」と呼ぶ古老がしばしばあったように、明治四十一年八月八日までは当社は地類神社と称していた。「風土記稿」溝沼村の項には、その沿革について「地類権現社 除地五畝、村の東にあり、社は一間に一間半、南の向ふ、祭神詳ならず、寛文の頃(一六六一-七三)村民畑を耕すとて、地類権現と彫づけし石を得たり、時の地頭中山勘三郎、此由を聞て社を立てんと思けるに、此地を古より稲荷山と号せしかば、社地のあとならんとて、社地と定め、この権現を勧請せりと云伝ふ、村内泉蔵寺の持」と記しており、創建の経緯をうかがうことができる。一方「郡村誌」では、社名は地類神社、祭神は稲田姫命となっていることから、当社は、豊かな実りをもたらす地霊を祀った社として信仰されていたものと推測される。
現在、当社の本殿の中には、「風土記稿」に伝えられる石はなく、代わりに一七基の金幣が祀られている。地類神社から氷川神社へ改称した際の理由は定かではないが、明治四十年に字泉水の無格社氷川神社など地内の神社八社を合祀したことを契機に、村社にふさわしい社名ということで武蔵一宮に倣ったものであろう。十七基の金幣の各々には社名と元鎮座地の字名が記されているが、その中に地類神社と記したものはなく、代わりに氷川神社と記したものが他より大きいのは、そうした事情を物語るものと推測される。

 

□ 御祭神と御神徳

 

・ 稲田姫命・・・五穀豊穣、厄除け

 

□ 御祭日

 

・元旦祭(一月一日)  ・新年祭(二月初午)
・例大祭(四月十八日) ・新穀祭(十一月二十三日)

[東京都千代田区] 太田姫稲荷神社

社名太田姫稲荷神社(おおたひめいなりじんじゃ)
一口稲荷神社(いもあらいいなりじんじゃ)
所在地
太田姫稲荷神社

東京都千代田区神田駿河台1丁目2−3
社格村社
御祭神宇迦之御魂神
菅原道真公
徳川家康公
金山彦命
神紋丸に細桔梗紋 – 太田道灌の家紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/06/07
御朱印
由緒書太田姫稲荷神社縁起古社名  一口(いもあらい)稲荷神社
御祭神  宇迦之御魂神
菅原道真公
徳川家康公
金山彦命
鎮座地  千代田区神田駿河台一丁目二番地
氏子区域 千代田区神田駿河台一、二、三、丁目
千代田区神田錦町一丁目、小川町二丁目太田姫稲荷神社は 極めて豊かな霊験伝承と
古い由緒をもつ神社であります
「駿河台文化史」(昭和十年神田史跡研究会)によると当神社の縁起は九世紀に始まります
詩才を白楽天に比されるほどの詩人参議小野篁(おののたかむら)が承和六年はじめ
伯耆国(ほうきのくに=鳥取県)名和港を出港してまもなく海が大そう荒れ狂い身の
危険を感じたため 篁は正装をして船の舳に座り熱心に普門品(ふもんぼん=観音経)を
唱えていると 白髪の老翁が波上に現れて「荒波から命を守つやるが疱瘡(天然痘=
大流行し治療法がなく非常に恐れられていた)を患えば一命が危ない われは
太田姫の命である わが像を常にまつれば この病にかかる事はないであろう」と告げ
波間に姿を消した そのお告げを護り自ら翁の像を刻み 護持していた のちに山城国
(京都府)の南にある一口の里に神社を祝い祭った
江戸の開祖として知られる太田資長朝臣(後の道灌)の最愛の姫君が思い疱瘡にかかり
絶望の中 人伝に一口稲荷神社の故事を聞き急使をつかわせ祈願 使者は祈祷の一枝と
幣を授かり帰ると 十直の病が癒えた資長朝臣は崇敬の念篤く城内本丸に一社建立し
姫君と共に深く敬拝した ある時この城の鬼門を守るべしとの神託があり 鬼門に移して
太田姫稲荷大明神と奉唱するようになった 長禄元年(一四五七年)のことである
慶長八年(一六〇三)八月 徳川家康公が江戸城へ入られた後 慶長十一年の江戸城
大改築の際 城内より西丸の鬼門にあたる神田駿河台東側に移されこの坂を一口坂(いも
あらいざか 後に鈴木淡路守の屋敷が出来たので淡路坂ともいう)と呼ばれた その後
代々将軍が崇拝し 修理造営は徳川家が行ったと伝えられている
明治五年(一八七二)神社制度により神職司掌とする
例祭日は毎年四月十八日と定められ 後に五月第二土曜日となる
大正十二年(一九二三)関東大震災で類焼 御神体のみ無事に湯島天神に避難する
大正十四年(一九二五)仮社殿が落成
昭和三年(一九二八)氏子各位の寄進により 本社殿 神楽殿 御水舎 神輿庫 社務所
鳥居等新築される
昭和六年(一九三一)御茶ノ水駅 両国駅間の総武線建設のため社地大半を収用され
鉄道省より換地として 現在の地を神社敷地に指定 一切の建築物をそのまま移転
して今日に至る

[静岡県松崎町] 仲神社

社名仲神社
所在地
仲神社

静岡県賀茂郡松崎町那賀64
社格静岡県神社庁神社等級規定 十四等級神社
村社
延喜式内(仲神社:論社)
延喜式内(伊那上神社:論社)
延喜式内(仲大歳神社:論社)
御祭神
神紋
摂末社
情報源仲神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/05/05

所用で松崎町を通過する用事があったので、以前から気になっていた「仲神社」を目指す。
この地域は道が入り組んでいて細い上、生垣などがあったりして見通しも悪い。
迷いに迷って、ようやく探し出した。迷ったおかげでどうやってたどり着いたかすらよくわからない。
たぶんだが、車で向かうのであれば、「那賀生活改善センター」あたりを目標にするとよいと思う。

入り組んだ細い道を進んできた感覚からすると、集落の中にぽかっと空いた空き地的境内。
広くもないが、集落の集会を行ったりお祭りを行うのは事足りそうなサイズである。
境内内には「那賀生活改善センター」があり、近隣住民の集会所等として利用されているようだ。

道路から見ると敷地に斜め方向に立つ白色の明神鳥居。
鳥居に向かって左が「那賀生活改善センター」、右が「拝殿」である。

拝殿は神社建築というより、どちらかというと商家の建物…といった様相。
扉には鍵はかかっておらず、自由に開けて参拝する形式の様です。

ひとまず、扉を開けて参拝。

拝殿内には、静岡の神社らしく等級が掲示されており、本社は静岡県神社庁神社等級規定十一等級とのこと。

御朱印
由緒書

[静岡県下田市] 波夜多麻和氣命神社

社名波夜多麻和氣命神社(はやたまわきのみことじんじゃ)
波夜多麻和氣神社
相玉天神宮(旧社名)
所在地
波夜多麻和氣命神社

静岡県下田市相玉8
社格村社(明治六年)
従四位上 おほゐの明神(伊豆国神階帳)
波夜多麻和氣命神社(延喜式内:論社)
佐伎多麻比咩命神社(延喜式内:論社)
御祭神波夜多麻和氣命(はやたまわけのみこと)
神紋
摂末社
情報源波夜多麻和気命神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/05/05

稲生沢川の南側、並走する15号線を伊豆急行稲梓駅より西方面に進む。
南側の丘の上に社が見える。

台輪鳥居、社号標の先に急峻な石段。
その先に社殿。

社号標には「式内波夜多麻和氣神社」の陰刻。
ただ、神社庁などの情報によると…社名は「波夜多麻和氣命神社」で「命」の一文字が抜けている模様である。
ただ、目と鼻の先にあるバス停の名称は天神前。
本来の社号は天神社なのか?と帰宅後にネットで簡単に検索。

例えば伊豆下田市相玉の式内:波夜多麻和氣命神社は土地では「天神さん」として祀られてきており(波夜多麻和氣命を祀るという記録はない)、神社前のバス停名も「天神前」である。しかしここは「菅原道真公を祀る」という伝があったわけでもない。まことに大雑把に「天神さんの社」だったのだ。伊豆は伊豆三嶋大神の御子神たちが複雑な名前であることから一般に膾炙しなく、単に若宮さんとか天神さんとか呼ばれてよく分からなくなってしまった例が多い。

神社巡りの方法|四座 読|龍学 -dragonology-より

なるほど、バス停が天神前だからと言って、過去は菅公を祀っていたものを…みたいな安直な想定はよろしくないという事なのだろう。
伊豆神社は奥深い。

石段を登り、参拝。

鳥居は綺麗にペンキが塗られているところを見ると、地域の信仰は残っているんだろうと思う。
それでも、社殿はかなり痛んでおり、維持の難しさを感じさせる様相。
神社の維持というのは現代ではかなり難しいんであろうと思う。

参拝後、振り返ると周囲の美しい景色。

御朱印
由緒書

[静岡県伊豆市] 堀切神社(堀切)

社名堀切神社
所在地
堀切神社

静岡県伊豆市堀切273
社格村社(明治六年)
御祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)
大山祇命(おおやまづみのみこと)
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

虹の里の山の下付近。心地よい山の緑と村の景色。
細い路地の先に神社。

苔むした石段を登る。
脇には湧き水なのか、きれいな水が心地よい音をたてながら流れる。
心を洗われるようである。

駐車スペースは特にない上に、社地直近はかなり細い路地。
車でのアクセスの場合はちょっと注意が必要かも。

御朱印
由緒書堀切神社鎮座地 修善寺町堀切二七三番地
御祭神 建御名方命(たけみなかたのかみ)
大山祇命
例祭日 十月十日由緒
当社の創建は寛文十六年(一六七六)大沢村の産土神の一座を遷座したのが始めと伝えられている。正徳三年(一七一三)再建された棟札が残されている。明治六年村社に列せられている。以前元石神社と称されていたがその後堀切神社に改められ現在に至っている。又明治十八年より初穂米を以って神酒を公認で醸造し、祭典の際神前に奉供して来たが、昭和三十三年に税法上課税となり廃止した。