「沼津市」カテゴリーアーカイブ

[静岡県沼津市] 池大明神

社名池大明神
所在地
池大明神

静岡県沼津市井田
社格
御祭神道祖神?
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/08/19

沼津市井田の明神池近く。この辺りでは珍しい水田風景の奥に鳥居が目立つ。
扁額によると「池大明神」である。場所柄、明神池の神を祀るものであろうと思う。

由緒書きなどは特になく、鳥居をくぐり、石段を登ると拝殿。
扉に鍵はなく、参拝時は各自にて開けて参拝し、終わったら閉めるタイプと思われる。
ひとまず参拝。

拝殿内に、この神社を知るヒントはないかな?と覗く。
うーん、神仏習合?「道祖神」の文字が見えます。
確かに、鳥居脇には伊豆型の道祖神。

ちょっとばかり興味が湧いてきた。

御朱印
由緒書

[静岡県沼津市] 井田神社

社名井田神社(いたじんじゃ)
所在地
井田神社

静岡県沼津市井田1
社格延喜式内
村社(明治六年八月)
御祭神大己貴命
神紋五三桐紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/08/19
御朱印
由緒書井田神社

 

祭神
大己貴命
例祭日
十月九日

由緒
当社は延喜式神名帳(九二七年撰進)の伊豆国神階帳の「従四位上ゐたの明神」に相当するという。
往古、大古久明神と称し、永禄十三年(一五七〇)修造、慶長十二年(一六〇七)の棟札には井田荘七箇村鎮守井田明神とみえる。村の産土神として、農漁商工業の守護神として崇敬されてきた。うっそうとした社叢に数百年の歴史が偲ばれる。社傍の井立山妙田寺は当社の別当寺であったと伝えられる。
明治六年八月村社に列せられた。

境内
三百四十六坪

社殿
本殿・拝殿流造

社宝
永禄十三年棟札

沼津市教育委員会

[静岡県沼津市] 大瀬神社

社名大瀬神社(おせじんじゃ)
大瀬明神(おせみょうじん)
引手力命神社(ひきてちからのみことじんじゃ、ひきたぢからのみことじんじゃ)
所在地
大瀬神社

静岡県沼津市西浦江梨329
社格延喜式内
郷社
御祭神引手力命(ひきたぢからのみこと)
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/08/19
御朱印
由緒書

[静岡県沼津市] 城岡神社

社名城岡神社(しろおかじんじゃ)
所在地
城岡神社

静岡県沼津市大手町3-5-17
社格
御祭神
神紋
抱き稲に二重亀甲に丸に三つ葵紋
抱き稲に二重亀甲に丸に三つ葵紋

抱き稲に二重亀甲に丸に三つ葵紋?

※ ともかく、なんでもありの神紋。
※ 抱き稲=稲荷 二重亀甲=大国主 丸に三つ葵=徳川家康 を意味するのでしょう。
※ 御朱印をもらう際に、そういうことですかね?と伺ったら、「欲張りでしょ?」とお答えいただいたので、そういうことなんだと思われる。

摂末社
情報源城岡神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/08/19

恒例の伊豆参拝旅行の行きがてら、渋滞避けで久しぶりの沼津。

市街地の良立地。
間口は広いが、奥行きはあまりない感じの社地で、鬱蒼とした社叢がという神社が多い中、ここは真逆。
近代的な感じがする神社です。
ひとまず、鳥居をくぐると数十歩の参道、まずは参拝。

その後、御朱印をもらおうと社務所を探す。
社殿の右後ろには公民館風の鉄筋の建造物。どうも、そこが社務所の様です。
雑居ビルとして建築し、店子をとって収入としているのでしょう。
入り口を入ると、医院の看板などが上がっていたので、そうなんだろうと推測。

入り口ホール入って、すぐの受付の様な場所が社務所。
そこで御朱印をいただく。

市街地ゆえに駐車場はなし。ただ、地下や付近には有料駐車場も多いので、それらを利用するもが良さそう。

御朱印あり – 社務所にて300円
由緒書城岡神社

御祭神 宇迦之御魂神(お稲荷さん)
相 殿 東照大権現(徳川家康公)
大国主之命(出雲さん)

御由緒

往古 沼津城の丑寅(東北)老松鬱蒼として森厳を極めたる
一丘に小祠あり(縁起不詳)
沼津城第二代の城主水野忠成公文政七年(一八二四)五月
二十五日社殿を造営し時の第十一代将軍徳川家斉公より
山城国伏見稲荷の御神体を拝受し城の守護神として
奉斎した(稲荷神社と称す)
以降毎年一回大祭を斎行し庶民の参拝を許した
明治維新の際廃藩せられ場内区民の守護神として祀ら
れることとなる
明治七年東照宮(東照大権現)を相殿に迎え権現様の
愛称を以って崇敬を蒐む
爾来当社は稲荷様とも権現様とも称えられていたが
明治三十六年六月城岡神社と改称し社号を統一した
明治三十九年出雲大社の御分霊(大国主之命)を奉斎した
平成三年十一月大手町町制創立百周年の記念事業により
社殿を新築し境内整備を行った

[静岡県沼津市] 神明神社(舟山)

社名神明神社
所在地
神明神社

静岡県沼津市戸田2556
社格無格社
御祭神天照皇大神
神紋
摂末社舟山天満宮
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

海岸沿いの国道を南下中、途中の碧の丘(展望エリア)で休憩。
海が綺麗だなと見ていたら、ちょい先の集落に鳥居があるのが見えた。
ナビをみると、神社らしい。

そこでちょっと寄り道。舟山の集落方面に進む。

ゆめとびら舟山という青少年屋外研修施設の向かいに鳥居。
社地は木々に程よく光を遮られる形になっており、しっとりと湿った空気が流れている。
なんとなく、この空気感が神聖な場所に来た感じを誘ってくれる。

境内は綺麗に整備されており、社殿も手が入っているようである。
信仰が生きているのが感じられる。

境内社と思われる天満宮には誌文があったが、神明神社には特に由緒書などは無く、詳細は不明。

御朱印
由緒書
由緒書舟山天満宮誌文

天を敬い地に親しみ人々相和し文化を築く、是人の正道なり。
我等此処に社屋新たにし先祖伝来の天神を祀り、学業の進展を祈願す。
小学学習を旨とし、その実を挙げ文化の里たらんことを期す。

平成十三年十二月吉日 舟山区民一同

[静岡県沼津市] 八幡神社(戸田)

社名八幡神社
所在地
八幡神社

静岡県沼津市戸田1535
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

たまたま、地図を見ていて鳥居のマークを発見。
部田神社のすぐ南方のようなので、ついでにちょいと訪問。

うーん、人家と人家の間を進んだ一番奥、なんと無く、誰かの家に入り込んでいる感じ。

覆屋の中に石祠。

参拝。

のちに静岡県神社庁の一覧から本社を調べるが…該当なし。
地域で守られているものなのでしょう。

もちろん、由緒書きなども無く、詳細は不明。

ただわかるのは、近所からの信仰が生きていることくらいでしょうか。

御朱印
由緒書

[静岡県沼津市] 諏訪神社・縁結神社(政戸)

社名諏訪神社・縁結神社(すわじんじゃ・えんむすびじんじゃ)
所在地
諏訪神社・縁結神社

静岡県沼津市大平2943
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04

たまたま通りがかって鳥居を発見。急遽、参拝。

楔の大きさがきになる明神鳥居をくぐると目の前に小ぶりな社殿。
えらく新しい境内。整備されたのはつい最近のような雰囲気。

それにしても、諏訪神社はわかるが縁結神社とは…。
妙に俗っぽさを感じずにはいられない。
なんというか、バンレンタインチョコレートの売り場のような…そんな俗っぽさ。

そんなことを思いつつ参拝し、帰宅後にネットで検索。いろいろ検索した結果、
曹洞宗 桃源院に行き着く。そこの情報によると、

(1)諏訪大明神 
 当時の浪人は、信州出身の者が多かったので、長野県の諏訪神社を分祭祀し、天正十八年八月造営され、祭礼は四社合同にて、九月一日政戸区民一同で交代に祭っている。
(2)結大明神
 諏訪大明神と並んで祭られており、縁結びの神として信仰されている。祭神(いざなみ・いさなぎの尊)
(3)稲荷大明神
 右側に祭られており、農民になったとき農作物の神として祭った。祭神 (天白大権現)
(4)左口神
  じゃも(疱瘡や皮膚病の痕)を守って下さる神様として、祭っていたが、何時の間にか「オシャモジサン」と呼ばれ、あせも・おできの神として信仰されている。

ということで、この縁結神社は俗っぽい者ではなく、結大明神由来なのであろうことがわかった。
俗っぽいなどと考えたこと。反省。

ただ、この情報だと4宇の神社があったことになる。
稲荷大明神と左口神はどちらに行かれてしまったのだろうか…。

御朱印
由緒書

[静岡県沼津市] 部田神社(戸田)

社名部田神社(へだじんじゃ)
所在地
部田神社

静岡県沼津市戸田1585
社格延喜式内(部多神社)
郷社(明治六年八月)
御祭神大國主命
熊野櫲樟日命(日枝神社)
猿田比古命(八衢神社)
應神天皇(八幡宮)
大日孁貴命(大神宮)
級長戸邊命(龍田神宮)
級長津彦命(龍田神宮)
聖徳太子(厩戸神社)
神紋五三桐紋
摂末社日枝神社
八衢神社
八幡宮
大神宮
龍田神宮
厩戸神社
忠魂社
情報源部田神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

戸田の市街地から戸田峠の方に進むこと数分。
右手の細道に入るとそこに神社。

新道・旧道の間に鎮座しており、ただ車で走っているだけだと存在に気が付かないかも。

ただ、社地は比較的広く、社殿も迫力がある感じ。

社殿の扉は閉ざされているが、入り口には紙が貼られており、自由に中に入って参拝してよいとのこと。ここは有難くしたがって参拝させてもらう。

どうも伊豆という土地は大盤振る舞いの気質なんだろうか。
ここもご自由に社殿へどうぞだし、ほかでも、拝殿ではなく脇から階段で本殿へどうぞだったり。

社殿裏手には境内社

御朱印
由緒書部田神社

祭神 大国主命
例祭日 十月九日

由緒 当社の創建は古く、延喜式神名帳(九二七)伊豆国那賀郡二十二座の内、部多神社にて伊豆国神階帳(一三四二)従四位上へたの明神に座すと伝う。
古来西伊豆地方の総鎮守として近隣の尊崇厚く氏神社として農漁商工業の守護神福の神として崇敬あつい。
境内には千数百年経た神木、鬱蒼として南隣の妙法蓮華寺は往古当社の別当なるべしと伝へられる。
天正二十年(一五九〇)九月再建明治六年八月郷社に列っす。
境内 四百二十四坪
社殿 両部造
境内社 三社、日枝神社 熊野櫲樟日命  八衢神社-猿田比古命 八幡宮-應神天皇
相殿二社 大神宮-大日孁貴命  龍田神宮 級長戸邊命 級長津彦命 厩戸神社- 聖徳太子 忠魂社