「八幡宮」カテゴリーアーカイブ

[千葉県市原市] 八幡神社(市原)

社名八幡神社
所在地
八幡神社

千葉県市原市市原1番地
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/11/23

たまたま通りがかり神社を発見。
参拝。

金属製の鳥居をくぐると目の前に覆屋。
参道の右側には詳細不明な境内社。
覆屋の左奥にも祠。

境内には社名や由緒を示すものは何一つなく、詳細不明。
帰宅後に住所等で調べると、八幡神社であることは分かったが、それ以上はやはり不明。
地誌等で調べてみる必要がありそう。

御朱印
由緒書

[福島県二本松] 二本松神社

社名二本松神社(にほんまつじんじゃ)
御両社(ごりょうしゃ)
所在地
二本松神社

福島県二本松市本町1丁目61
社格県社
御祭神熊野宮

伊邪那美命(いざなみのみこと)
速玉之男命(はやたまのおのみこと)
事解之男命(ことさかのおのみこと)

八幡宮
品陀和気命(ほむだわけのみこと)
氣長足姫命(おきながたらしひめのみこと)

御三社(境内社)
事代主命(ことしろぬしのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

神紋右三つ巴紋
丹羽直違紋
摂末社御三社
稲荷神社(公式Webには記載なし)
情報源二本松神社
訪問記訪問日: 2017/09/03

Webサイトには、旧二本松藩領総鎮守(丹羽候御紋拝領)とある。
ここでいう二本松藩は岩代国の安達郡・信夫郡・安積郡と言った場所で、現在の県北から県中という大きな範囲。その総鎮守である。

ただ、これ。
こう見ると結構根が深いような話にも思われる。
安達郡の総鎮守は現本宮市にある安達太良神社がその役割を果たしており、安達太良神社があるからこそ、地名である本宮が発生したと言われている。が、天和八年に二本松熊野宮(現在の二本松神社)の神官が因縁をつけ、安達太良神社から総鎮守を剥奪したという歴史がある模様。因縁のつけ方も「安達太良神社の祭神は安達太良山の神々ではないので、郡の総鎮守に相応しくない。」的なよくわからない内容。安達太良神社は安達太良の神々を祀ることになっているわけで、その言い分も私にはよくわからない。
まぁ、城下町(武士)と宿場町(商人)の街の関係って、まぁどこもそんなもんなんだろうけど。

旧国道4号線に接して社頭。
大きな鳥居をくぐり、石段を登る。その先に社殿。
特徴は神紋。よく見る右三つ巴紋の他に
丹羽直違紋。もちろん、二本松藩故の紋。

社殿前に並ぶ石灯籠には、熊野宮、八幡宮と彫られており、両社を同一ではなく、ここの神社として扱っている感じが伝わってくる。

御朱印は、社務所にて。
ただし、書き置き。
時期などによっては書いていただけるのかもしれないけれど。

駐車場について。

駐車場の場所は極めてわかりにくい。
旧国道を北上、日夏本店と玉嶋屋の間の路地(左折)に入る。
少々登ると、二本松商工会議所が左手に見える。
二本松商工会議所の接している路地(左折)に入るとすぐにT字路。ここを左折して坂を登ると社務所裏の駐車場に到着する。
さほど大きくない駐車場だし、アプローチ道路も状況が良くない。
運転に自信がない人の場合は、駅付近の有料駐車場を利用したほうが精神的負担は少ないかも。

御朱印あり – 書き置き(300円)
由緒書二本松神社
当社の祭神は、向かって左が品陀和気命(八幡様)、右が伊邪
那美命(熊野様)である。このため、江戸時代には御両社とも称
されていた。
中世・室町時代十五世紀中頃、二本松城主・畠山氏により城
内の白旗ヶ峰に合祀されて以来、近世・江戸時代初頭の会津藩
領をも通じて蒲生・松下・加藤氏らによって崇敬されていた。
寛永二十年(一六四三)二本松藩成立に伴い、十万七百石の初
代二本松藩主として入部した丹羽光重公は一層崇敬し、祭資と
して扶持米八十石、社領二十五石を給するとともに、二本松領
総鎮守社とすることを公達した。まもなく城内・城下整備によ
り、この地(旧栗ヶ柵)に遷宮され、光重公の敬神愛民の精神
から丹羽家の守護神を下座(左)に、領民の守護神を上座(右)に
祀られることになった。
その後、御両社は明和元年(一七六四)に総修復されたが、同
三年の大火で炎上、安永六年(一七七七)に再建されたものの、
寛政六年(一七九四)の大火で再び消失しあt。現在の社殿・拝殿
は文化三年(一八〇六)に隋神門は文化四年に再々建されたもの
のであり、二本松に残るこの期を代表する建造物と言える。
また、十月四・五・六日に秋の例大祭として執行さされる「二
本松提灯祭り」は、七町内から金箔塗りの太鼓台がはやし(県指
定重要無形民俗文化財)もにぎやかに市内を練り歩き、夜は一台
に約三百個の紅提灯を飾り付け、その旬燗豪華さは日本三大提
灯祭りの一つといわれている所以である。二本松観光協会

[静岡県松崎町] 八幡神社(宮内)

社名八幡神社
所在地
八幡神社

静岡県賀茂郡松崎町宮内
社格
御祭神
神紋笹竜胆紋?
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/11/25

観光案内の地図を見たところ、今まで気がつかなかった場所に八幡神社と記載されていた。
松崎は両手両足じゃ数えられないほど来ているけれど…いままで全く気がつかなかった。

中瀬立体駐車場に車を止め、川沿いに国道136号線の方に歩く。
三島信用金庫の手前の路地を左折、すぐの路地を右折すると境内。
よくよくみると、国道136号線からも 伊豆ととや の脇からかすかに存在が見えていた。

鳥居をくぐると目の前に社殿。
社殿は施錠されておらず、扉を開けて参拝。

扁額の文字はかすれ判読不能。特に由緒を示すものもなし。
地図の表記から八幡神社なのであろうと判断。
神紋は社殿内の状況から、笹竜胆紋ではなかろうかと思われた。

いずれにしろ、神社庁の包括神社ではなさそう。
また、宗教法人名簿にも記載がないことから、いわゆる地域持ちか個人持ちなのであろうと思われる。個人持ちだとすれば、かなり立派なもんである。

御朱印
由緒書

[静岡県沼津市] 八幡神社(戸田)

社名八幡神社
所在地
八幡神社

静岡県沼津市戸田1535
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

たまたま、地図を見ていて鳥居のマークを発見。
部田神社のすぐ南方のようなので、ついでにちょいと訪問。

うーん、人家と人家の間を進んだ一番奥、なんと無く、誰かの家に入り込んでいる感じ。

覆屋の中に石祠。

参拝。

のちに静岡県神社庁の一覧から本社を調べるが…該当なし。
地域で守られているものなのでしょう。

もちろん、由緒書きなども無く、詳細は不明。

ただわかるのは、近所からの信仰が生きていることくらいでしょうか。

御朱印
由緒書

[静岡県伊豆の国市] 天野八幡神社(天野)

社名天野八幡神社(あまのはちまんじんじゃ)
所在地
天野八幡神社

静岡県田方郡伊豆長岡町天野五二九番地
社格村社
御祭神誉田別命(ほんだわけのみこと)
神紋
摂末社秋葉神社
琴平神社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04

修善寺から三島方面へ山の縁をドライブ。
ふと見ると明神鳥居。
目の前に少々の駐車スペースもある様なので、ちょっと参拝していこう。
そう思ったのが、間違いだったかも。

鳥居をくぐると、特筆するというほど大げさではないが、少々、急角度の石階段。約80段。
上った先に社殿。

社殿の軒には太鼓が吊るされており、何かしらの行事で使われている模様。
神社の軒に太鼓が吊るされているというのは、なかなかに見かけない風景。珍しいものを見たなぁ。という感じ。

社殿裏には一宇の境内社。
また、石段の下にも一宇の境内社。
どちらがどちらかの判断はつかなかったけれど、これが由緒書きにある秋葉神社と琴平神社なのでしょう。

石段を登りきったところからは、絶景とは言わないまでも遠方まで望めるビューポイント。

御朱印
由緒書天野八幡神社(あまのはちまんじんじゃ)

鎮座地 伊豆長岡町天野五二九
御祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇(おうじんてんのう))
例祭日 十月第二日曜日(旧十月十四日)

由緒

創立沿革は不詳であるが、享保
二年十二月遷宮棟札があったと記
録に残されている
別殿として秋葉神社、琴平神社が
ある。
神社の棟札の表側には奉造立八幡
宮一宇社中安全守護多聞天王、持
國天王、天下泰平、國土安穏、増
長天王、広目天王、氏子息災、延
命長寿守護とあり、村人たちが人
々の幸せを願って創立したもので
あろう。長い階段は八十四段ある

由緒書八幡神社
鎮座地 静岡県田方郡伊豆長岡町天野五二九番地
御祭神 誉田別命
例祭日 十月十六日由緒当社は天野の里の産土神社として創建されたが
その年代は定かではない。現存する棟札に、享
保二年(一七一七)十一月、同十六年(一七三
一)十二月、延享三年(一七四六)十月、文化
十四年(一八一七)九月に改修していることが
見える。
明治旧年に村社に加列され、里人の信仰を集め
たが、明治二十 年九月九日暴風の為上覆屋を
損なったのを機に、明治三十四年二月十二日上
覆屋、弊殿、拝殿改築工事を始め同年四月二日
竣工し、遷宮式を斉行した。爾来百年、氏子一
同崇敬の誠を捧げ、祭典を奉仕して来たが、老
朽化した社殿を憂い、平成七年本殿雨覆、弊殿
拝殿を改築し同年十月十日竣工祭を斎行した。

[静岡県伊豆市] 八幡神社(小土肥)

社名八幡神社(はちまんじんじゃ)
所在地
八幡神社

静岡県伊豆市小土肥707
社格延喜式内社(青玉比売命神社:論社)
村社
御祭神
神紋五三桐紋
摂末社
情報源八幡神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

なんども訪問している伊豆だが、いつも、土肥から修善寺に抜けてしまうので、なかなか来る機会の少ない小土肥。
久しぶりに通ってみたら…今まで気がつかなかったけれど、こんなにも目立つ形で神社があったのか。

大通りに面して鎮座しており、道からも大きな明神鳥居が目立つ。
鳥居には「八幡宮」との扁額。

正面に社殿、左にあるのは神楽殿かな?
鳥居は大きいが、それ以外は非常に簡素な印象。

社殿を覗くと、五三桐がでーんと存在。八幡なので三つ巴かと思ったけれど、ここは五三桐紋が神紋なのでしょうかね。

境内をうろうろしていたところ、社殿の左側に国土地理院の水準点を発見。
水準点はいろいろなところにあるけれど、割と伝統のある神社の境内なんかに多い。
こんなところでも少しばかり歴史を感じる。

御朱印
由緒書

[埼玉県川口市] 横曾根神社

社名横曾根神社(よこそねじんじゃ)
所在地
横曾根神社

埼玉県川口市南町1丁目15−10
社格
御祭神素盞嗚尊(氷川大神)
応神天皇(八幡大神)
稲荷大神
神紋菊花心に三つ巴紋
摂末社
情報源横曾根神社 | 埼玉県の神社
訪問記訪問日: 2016/11/23

川口駅からだと徒歩でもアクセスできるけど、やっぱりバスかなぁ、と悩む距離に鎮座。
狭い社地の為か、鉄筋コンクリートの総二階建ての建物、正面の鳥居をくぐるとすぐに階段。そこを登ると拝殿。

階段を登って参拝。

社務所は一階。

一応、御朱印をもらったというブログ等も見た事があるので、同行者は御朱印をいただけるか確認に。
社務所にて確認すると御朱印はないとの事。御朱印ブームでもあるので、心ない来訪者とトラブルでもあったのかもしれないけれど、ちょっと対応に難ありだったそうだ。まぁ、神様の前なわけだし、どちらも気持ちよく参拝したいものです。

御朱印なし
由緒書横曾根神社 御由緒

□御縁起(歴史)
御祭神 氷川大神・八幡大神・稲荷大神を主神とし、
氏子区域に本居を構える氏子の人達の、祖先の神々をも合わせまつる。

横曽根神社じゃ度々の水害によって、古記録等忘失して御創建年代は定かではないが、「風土記稿」によれば応永年間(約六三〇年以前)の創建と伝えられ「村内の鎮守なり」とあり、本殿内に安置する木彫りの御神像五体は室町期のものといわれている。江戸時代種々の行事の際に使用された大般若経(六百巻)は延享元年(約二六〇年前)の銘があり、現在神前に安置されている。

当神社は、昭和八年 川口町・横曽根村・青木村・南平柳村の一町三村が合併して川口市となる以前における、旧横曽根村(現在の南町、宮町、原町、仲町一、二、三丁目仁志町一、二丁目・北町・緑町・並木町一、二、三、四、五丁目・飯塚一、二、三丁目)の総鎮守、産須那の社として、往古より数百年にわたり村人の氏子崇敬者の厚い崇敬を集めて参りました。無論、川口市となりましても、横曽根神社の氏子区域は変わる事なく、従来通りと、神社本庁にも認められており、飯塚地区を除いた、横曽根地区・西川口地区・西地区・並木地区の各連合町会の総鎮守として、地域の発展安全・子孫繁栄にその御神徳も顕著な産須那の神であります。

江戸時代、文化三年生まれの学者六人部是香はその著「産須那社古伝抄」に

「先づその地の産須那の神に、慇懃に奉仕して、其の余暇には、他所の霊験をも仰ぐべし。かりそめにも。我が産須那の神をさし置きて。他所の利益を仰ぎ奉らむは。我が主君を等閑にして他処に参るが如く。不当なる にあらずや。然れば狭少の処に御坐とも。其の恩徳を忽にすべからず。
若し当処の神。咎めて祟り給はば。いかに頼み奉るとも。他処の神更に助け給ふべからず。餘社の祟りは、吾が産須那の神の恵給はば。宥め給はむ。他処の社といへども。疎略に為べからずといへども。取別け先づ第一に。其地其の地の産須那の社を。大切に為ずんば有るべからず。」

と説かれております通り、氏子区域とそこに住む氏子の人達を第一に御守護下さる広く厚き御神徳に感謝し、尚往先の御加護を祈念して、神社の維持・神事の執行を子々孫々に伝えるべく、初詣・初宮参・七五三詣・厄除け・自動車清祓い、各種の安全祈願祭等神前の御祈祷・地鎮祭や各種の清祓い等の外祭も、産須那・氏神様で御受け致します。

□ 御祭神 ・素盞嗚尊 ・応神天皇
□ 御祭日
・ 元旦祭(一月一日) ・祈年祭(二月十七日) ・例大祭(十月二十日)

[静岡県松崎町] 八幡神社(八木山)

社名八幡神社(はちまんじんじゃ)
所在地
八幡神社

静岡県賀茂郡松崎町岩科南側1623
社格無格社
御祭神應神天皇(おうじんてんのう)
神紋
摂末社三峰神社
情報源八幡神社 – 静岡県神社庁松崎町史資料編
訪問記訪問日: 2016/08/26
南伊豆方面に進むために道を走らせる。
途中、一宇の神社。
本当に偶然の出会いで、急いで車を止めて参拝。バス停には八木山公民館の文字。
この地域の小字が八木山なのかな?
そんなことを思いつつ、そのあたりは後で調べるとして…社地は山間部の数少ない平地と斜面をうまく組み合わされている感じ。
古いが近隣の方に大切にされているのでしょう。履き清められた境内は気持ち良い空間になっています。
まぁ、目立つのはそちらというより、立派な両部鳥居、それ以上にその両脇にそびえる巨木も存在感。拝殿は施錠されており…ここも西伊豆方式か?と裏手に回るも覆殿には回れず。
西伊豆地域だと、拝殿は鍵がかかっているけれど、脇から覆殿に回って、本殿を目の前に参拝って大盤振る舞いが多いけれど。
残念ながらここはちょっと違うみたい。
表に回って、拝殿前から参拝。南豆風土誌で調べてみると、岩科村岩科字八木山の八幡神社が当社に該当すると思われる。
祭神は応神天皇、創立年月には寶暦十一年改造とあり、1761年よりも昔からこの地に鎮座しているようだ。松崎町は…合併等に伴って、もともとあった地名、小字をことごとく捨て去ってしまっていて、外来者からすると本当に分かりにくい。ここも昔は八木山だったんだろうけれど、今じゃ「岩科南側(いわしななんそく)」か。
地元の人と話すと今でも小字の地名で読んでいたりするから話が通じなかったりする。

いや、西伊豆町なんかも同じような感じだけれど、例えば、哆胡神社ももともとは合の浦だが、いまや大字に数字だけだ。目の前のバス停のみが小字を残している。でも、地元の人と話をすると、合の浦とか月の浦だとかという地名で話をするから、聞いていて混乱する。
合併というのはいろいろな理由もあるし、便利な事も多いけれど、地名に関しては歴史を捨てる行為に見えて仕方がない。

後に松崎町史資料編を手に入れて確認。

本殿は両扉で八幡宮と若宮八幡宮を合祀しているとのこと。
また造立等は詳らかではないが、記録によると、宝暦十一年(1761)の棟札があるとの事。

御朱印
由緒書