「川口市」カテゴリーアーカイブ

[埼玉県川口市] 元郷氷川神社(元郷)

社名元郷氷川神社(もとごうひかわじんじゃ)
所在地
元郷氷川神社

埼玉県川口市元郷1丁目30−2
社格武蔵國四之宮
村社
御祭神祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと):(別名 狭依毘売命)
合祀
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
火産霊命(ほむすびのみこと)
奥津比古命(おくつひこのみこと)
奥津比賣命(おくつひめのみこと)
神紋八雲紋
摂末社
情報源しあわせの宮 元郷氷川神社
訪問記訪問日: 2017/11/26
御朱印あり(初穂料:300円)
由緒書

[埼玉県川口市] 朝日氷川神社

社名朝日氷川神社
所在地
朝日氷川神社

埼玉県川口市朝日1−3−15
社格
御祭神素盞嗚命
櫛稲田姫命
神紋
摂末社・出世稲荷神社
・須賀神社
・大国神社
情報源朝日氷川神社
訪問記訪問日: 2017/05/07
御朱印あり(500円) – 社務所にて
由緒書朝日氷川神社 御由緒
川口市朝日一ー三ー十五
□ 御縁起(歴史)
当社創建は、天正年中(一五七三〜室町末期)に今の地に再建されたと
あり、約五百年間と推定される。『風土記稿』に、樋爪村(二十九日村)・
十二月田村・前田村・二軒在家村の鎮守とあり、現在の十二月田を含む朝
日町全域となっている。鎮座地は樋爪村の西端にあり、氏子が氷川大神を
拝する時は、西方にある芝川を望むがごとくある。現在、社殿裏手の道路
は、かつての芝川堤防跡である。
御祭神は素盞嗚命、櫛稲田姫命の二柱で、神仏分離まで内陣には聖観音
を奉安していた。また、素盞嗚命を「牛頭天王」として祀る須賀神社が合
祀されている。
『明細帳」によると、明治四十年六月十四日、大字十二月田字大坪にあっ
た村社稲荷社、大字二軒在家字稲荷田の無格社稲荷社が当社に合祀されて
いる。内陣にはこの両社いずれかのものと思われる「正一位稲荷五柱太神」
と墨書された神璽と、高さ二十五センチメートルの自然石がある。
本殿は一間社流造りで、銅板葺きの屋根となっている。拝殿内には川口市
青木の氷川神社の随神門にあった左大臣、右大臣が奉安されている。大正
十二年の関東大震災では社殿が倒壊するも、昭和十三年七月二十五日に再建。
その後老朽化した建物すべてを「平成の大造営」と称して再建し、平成十五
年五月、新社殿・社務所が木の香清しく完成となった。
□ 御祭神と御神徳
・素盞嗚命・・・・厄除招福、厄災消除、病気平癒
・櫛稲田姫命・・・安産、子育て、夫婦和合、五穀豊穣
□ 末社
・出世稲荷神社 ・須賀神社 ・大国神社
□ 御祭日
・春祭り(二月二十五日) ・夏祭り(七月十五日前後の土、日)
・例大祭(十月十五日) ・新嘗祭(十一月二十三日)

[埼玉県川口市] 畑田稲荷神社(辻)

社名畑田稲荷神社(はたけだいなりじんじゃ)
所在地
畑田稲荷

埼玉県川口市南鳩ヶ谷7丁目27
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/08
御朱印
由緒書鳩ヶ谷市史 民族編辻地区の畑田稲荷は、かつて辻村の鎮守様つまり村社であったが、明治末年に鳩ヶ谷氷川神社に合祀された。しかし、その後も村の中で信仰を集めている。現在の氏子は、ほとんど真言宗の人たちであり、氏子どうし四軒で組を組織し、年番を出し諸行事を行い、自ら「畑田の氏子」と称するなど、氏子意識がきわめて強い。氏子総代(世話人)は一〇名いるが、真言宗の真福寺・西光寺の世話人(檀家総代)と同一人であるなど、宗派との結びつきがここにもみられる。
行事は、正月・初午・春祈祷(四月十三日)・夏祈祷(五月十三日)・天王様(七月十五日)・お日待(十月十五日)であり、年番が集めたお金で祭礼を運営している。

[埼玉県川口市] 大徳稲荷神社(並木元町)

社名大徳稲荷神社(だいとくいなりじんじゃ)
所在地
大徳稲荷神社

埼玉県川口市並木元町
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/12/02

かつてサッポロビールの工場であった場所にある神社。
本来は工場の邸内社であったもののようです。

御朱印
由緒書

[埼玉県川口市] 横曾根神社

社名横曾根神社(よこそねじんじゃ)
所在地
横曾根神社

埼玉県川口市南町1丁目15−10
社格
御祭神素盞嗚尊(氷川大神)
応神天皇(八幡大神)
稲荷大神
神紋菊花心に三つ巴紋
摂末社
情報源横曾根神社 | 埼玉県の神社
訪問記訪問日: 2016/11/23

川口駅からだと徒歩でもアクセスできるけど、やっぱりバスかなぁ、と悩む距離に鎮座。
狭い社地の為か、鉄筋コンクリートの総二階建ての建物、正面の鳥居をくぐるとすぐに階段。そこを登ると拝殿。

階段を登って参拝。

社務所は一階。

一応、御朱印をもらったというブログ等も見た事があるので、同行者は御朱印をいただけるか確認に。
社務所にて確認すると御朱印はないとの事。御朱印ブームでもあるので、心ない来訪者とトラブルでもあったのかもしれないけれど、ちょっと対応に難ありだったそうだ。まぁ、神様の前なわけだし、どちらも気持ちよく参拝したいものです。

御朱印なし
由緒書横曾根神社 御由緒

□御縁起(歴史)
御祭神 氷川大神・八幡大神・稲荷大神を主神とし、
氏子区域に本居を構える氏子の人達の、祖先の神々をも合わせまつる。

横曽根神社じゃ度々の水害によって、古記録等忘失して御創建年代は定かではないが、「風土記稿」によれば応永年間(約六三〇年以前)の創建と伝えられ「村内の鎮守なり」とあり、本殿内に安置する木彫りの御神像五体は室町期のものといわれている。江戸時代種々の行事の際に使用された大般若経(六百巻)は延享元年(約二六〇年前)の銘があり、現在神前に安置されている。

当神社は、昭和八年 川口町・横曽根村・青木村・南平柳村の一町三村が合併して川口市となる以前における、旧横曽根村(現在の南町、宮町、原町、仲町一、二、三丁目仁志町一、二丁目・北町・緑町・並木町一、二、三、四、五丁目・飯塚一、二、三丁目)の総鎮守、産須那の社として、往古より数百年にわたり村人の氏子崇敬者の厚い崇敬を集めて参りました。無論、川口市となりましても、横曽根神社の氏子区域は変わる事なく、従来通りと、神社本庁にも認められており、飯塚地区を除いた、横曽根地区・西川口地区・西地区・並木地区の各連合町会の総鎮守として、地域の発展安全・子孫繁栄にその御神徳も顕著な産須那の神であります。

江戸時代、文化三年生まれの学者六人部是香はその著「産須那社古伝抄」に

「先づその地の産須那の神に、慇懃に奉仕して、其の余暇には、他所の霊験をも仰ぐべし。かりそめにも。我が産須那の神をさし置きて。他所の利益を仰ぎ奉らむは。我が主君を等閑にして他処に参るが如く。不当なる にあらずや。然れば狭少の処に御坐とも。其の恩徳を忽にすべからず。
若し当処の神。咎めて祟り給はば。いかに頼み奉るとも。他処の神更に助け給ふべからず。餘社の祟りは、吾が産須那の神の恵給はば。宥め給はむ。他処の社といへども。疎略に為べからずといへども。取別け先づ第一に。其地其の地の産須那の社を。大切に為ずんば有るべからず。」

と説かれております通り、氏子区域とそこに住む氏子の人達を第一に御守護下さる広く厚き御神徳に感謝し、尚往先の御加護を祈念して、神社の維持・神事の執行を子々孫々に伝えるべく、初詣・初宮参・七五三詣・厄除け・自動車清祓い、各種の安全祈願祭等神前の御祈祷・地鎮祭や各種の清祓い等の外祭も、産須那・氏神様で御受け致します。

□ 御祭神 ・素盞嗚尊 ・応神天皇
□ 御祭日
・ 元旦祭(一月一日) ・祈年祭(二月十七日) ・例大祭(十月二十日)