社名 | 山神社 |
所在地 | 山神社 静岡県賀茂郡西伊豆町安良里 |
社格 | – |
御祭神 | 大山祇神 |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2016/11/25 多爾夜神社の前の道を直進、採石場を超えて奥に進む。 昔は下流の部分に橋がかかり、その橋を渡ると参道。参道を登り、鳥居をくぐり…奥に社殿であったが、今はその橋は落とされてしまっており、その道をたどることはできない。 今は社殿脇にかけられた吊り橋を渡って社殿へアクセスすることになる。 なにかの資料(詳細は失念)によると、もともとこの場所には「多爾夜神社」が鎮座しており、何かの時に現在地に遷座したらしい。 |
御朱印 | – |
由緒書 | 山神社の由来 山神社の祭神は二千八百年の昔古 |
「賀茂郡西伊豆町」カテゴリーアーカイブ
[静岡県西伊豆町] 牛越神社
社名 | 牛越神社(うしこしじんじゃ) |
所在地 | 牛越神社 静岡県賀茂郡西伊豆町宇久須302 |
社格 | – |
御祭神 | – |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | 牛越神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2016/11/24 演者を隠さない人形三番叟が有名。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県西伊豆町] 浦守神社
社名 | 浦守神社(うらもりじんじゃ) 國玉命神社(くにたまみことじんじゃ) |
所在地 | 浦守神社 静岡県賀茂郡西伊豆町安良里929 |
社格 | 無格社 延喜式内 (國玉命神社) 静岡県神社庁神社等級 十二等級神社(昭和五十六年七月一日) |
御祭神 | 國玉命(くにたまのかみ) |
神紋 | – |
摂末社 | 稲荷社 |
情報源 | 浦守神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2016/11/24 ここの神社、場所のわかるし、どこにあるのかもよく見える。 地元の人は船で参拝するのでしょう。 船を持ってない人間は、例大祭などの船の便が出るときに参拝するか、努力と根性で訪問するかのどちらか。 12:30 安良里港を回り込み、造船所を手前を左折、坂を登りきった場所に今回の参拝の起点があります。ここからハイキングスタート。網屋崎までは1.38km。 途中に数カ所の案内がありますが、基本的には一本道。 12:45 登り始めて1.03kmほど。田子(今山)と網屋崎への分岐路が出てきます。ここを右折して網屋崎へ向かいます。 12:50 分岐からすぐ、東屋が現れます。そこには恐ろしい文字が。 ここまでの道も、登山と考えれば楽すぎるレベルですが、遊歩道と考えるとちょっとキツめ。 登りの急な坂道はゆっくり登ればいいだけ。下の急坂は膝に負担をかけるし、登り以上に体力を消耗する。結構な急坂。ライトトレッキングブーツを履いてきて正解。これ、スニーカーだったら、膝が根をあげていたかも。 13:05 下りきり、ようやく浜辺へ。 一気に歩って35分。帰りはこの登りを考えると45分コース。 苦労して網屋崎。 突堤には鳥居。 鳥居をくぐると左に社務所の様な建物。例大祭時にはお札の配布をしているとのことなので、こちらで行うのでしょう。 その奥に社殿。 本殿前まで行き参拝。 脇には稲荷社の本殿。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県西伊豆町] 山神社(白川)
社名 | 山神社 三王社(明治の初め頃まで) 日吉社(明治の初め頃まで) 山王神社 |
所在地 | 山王神社 静岡県賀茂郡西伊豆町大沢里41 |
社格 | 無格社 |
御祭神 | 山神=大山祇命 宇波神 天神=菅原大臣命 |
神紋 | – |
摂末社 | 弁才天社 神明社 |
情報源 | 山神社 – 静岡県神社庁 新南豆風土誌 西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編 |
訪問記 | 訪問日: 2016/11/23 地図には「山王神社」と書かれており、また、実際の現地訪問で、社殿の扁額にも山王神社と記載されているのを確認している。 西伊豆町誌によると、明治の初め頃までは三王社と呼ばれていたとのこと。 三王社と山王社は響きが近いことは近いんだけど。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県西伊豆町] 山神社
社名 | 山神社(やまじんじゃ) 山王宮 山神宮 |
所在地 | 山神社 静岡県賀茂郡西伊豆町一色868 |
社格 | 静岡県神社庁神社等級 十四等級神社(昭和五十六年七月一日) |
御祭神 | 祭神 山神大明神(大山祇大神)山神社 合祀神 |
神紋 | – |
摂末社 | 金毘羅権現 天王社 |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/11/23 資料には記載があったけれど、地図には記載がなくどこにあるんだろうかと以前から探していた場所。 綺麗に整備されており、地域の人々に信仰されているのがよくわかります。 階段を登り参拝。 中央に本殿、左右に1宇ずつ、合祀神が鎮座しています。 一色地区には穂積神社、水神社などもあるはずなんだけど…未だに不明。 |
御朱印 | なし |
由緒書 | 山神社 西伊豆町一色八六八番地(小字能山)祭神 山神大明神(大山祇大神)山神社 合祀神 環境 縁起 日本国中東海道伊豆州仁科庄一色村氏子共并堀坂村 棟札に見られる山神社の祭神名は、再建時の慶長十五年から元禄四年(一六九二)までは、山神、山神大明神、社名を山神宮としている。 合祀神 ①金毘羅権現は本殿内の左側に祀られている。棟札は四枚あり、慶応元年(一八六五)山本文之右衛門(大屋屋敷)ら十五名が、農蚕隆昌・木炭殖産を祈願して、現屋号ヤドの背戸に建立した。明治十三年の再建時に山神社境内地に遷座し、昭和二十四年に祠が老朽化したので、山神社本殿内に併祀しれた。 ②天王社は本殿内の右側に祀られている。津島神社氷室神主家の手代が頒布した神札四枚があり、牛頭天王疫病禦御立札あるいは津島神社御祓大麻とある。幟(縦九二センチメートル、巾三〇センチメートル)に、奉納牛頭天王、万延二年(一八六一)山本氏と記されている。 |
[静岡県西伊豆町] 天満天神宮(栗原)
社名 | 天満天神宮 |
所在地 | 天満天神宮 静岡県賀茂郡西伊豆町中827 |
社格 | 無格社 静岡県神社庁神社等級 十四等級神社(昭和五十六年七月一日) |
御祭神 | 菅原大臣命 |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/11/23 – 仁科中学校の運動場の後ろ、隠れるように…かすかに鳥居が見える。神社だ。仁科中学校運動場の東端、栗原集落の入口を左へ入り、長光寺の方向にグランドに沿って約一〇〇メートルほどでアプローチできる。 資料によると、昔は参道があり、まっすぐに神社の鳥居に向かっていけたらしい。いつの段階かで運動場ができて分断されてしまったということのようです。ひとまず、迂回しつつアプローチ。 運動場側に廻り込み、まずは鳥居をくぐる。 鳥居の先に拝殿。 拝殿は伊豆このあたりでよく見かけるタイプ。普通の民家の玄関を開けるとその奥に本殿みたいな。 拝殿から覆殿までの階段、石段の両脇にのちに手すりをつけた模様。もともとは脇から回り込んで本殿にというスタイルのだったのかもしれません。 手すりがついたからといって、入れなくなったわけではなく。 脇の道を使えばもちろんアプローチ可。 ということで、本殿にご挨拶…覆屋には鍵。隙間から覗くと、伊豆らしく等級の表示。 小さいながらに整備された境内、地域の信仰が残っているのでしょう。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県西伊豆町] 辨財天社
社名 | 辨財天社 |
所在地 | 辨財天社 静岡県賀茂郡西伊豆町田子字本宮 (田子瀬浜海岸) |
社格 | – |
御祭神 | 辨財尊天 |
神紋 | 波に三つ鱗紋 |
摂末社 | – |
情報源 | 西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/05 田子港より海沿いに約1キロほど南下する。 途中の道は細く、すれ違いも気を使う。途中の入江には造船所などもあり、港町の雰囲気を存分に楽しめる。 車でアプローチできる一番奥、海水浴場までいくと、海に向かってひとつの社が立っている。 弁天社である。 西伊豆町誌によると、この弁天社はもともと、目の前の海に浮かぶ「弁天島」に鎮座していたとのこと。 昭和五十二年に発生した伊豆大島近海地震により大きな被害を受けたため、本地に遷座したとのことのようである。 大きな被害は受けたが、弁天島での本殿修復の意向もあったが、今後予想される東海地震を懸念し、最終的に、昭和五十八年三月の遷座となったようだ。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県西伊豆町] 神明神社(浮島)
社名 | 神明神社 |
所在地 | 神明神社 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科三〇三五番地の一(浮島) 旧表記:仁科村濱字富洞(南豆風土誌・新南豆風土誌) |
社格 | 延喜式内(布刀主若玉命神社:比定) 無格社 |
御祭神 | 布刀主若玉命(南豆風土誌・新南豆風土誌・西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編による) 布刀若玉比売命(村社加列願 による) 布刀主若玉姫命 |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | 南豆風土誌 新南豆風土誌 西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/05 以前より、「浮島(ふとう)には神社がある。」という情報は得ていて、一度、詣でてみたいと思って早6年。 ムズムズと考えながら情報を検索するも、これ以上の情報もなし。 「しおさいの湯」に行った際に、番頭をしていた初老の男性に神社の事を聞くことからスタート。 結局、場所は分かった。 大屋荘の脇の路地を入り、大屋荘の真裏にある道を浜に下る。 ちょろちょろと水の流れる小川を超え、境内へ。 延喜式内の布刀主若玉命神社に比定される古社。 |
御朱印 | – |
由緒書 | 西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編 神明神社(延喜式内・無格社) 西伊豆町仁科三〇三五番地の一(浮島) 祭神 布刀主若玉命 環境 旧国道「浮島」のバス停から小さな谷川に沿って四〇 |
由緒書 | 村社加列願 伊豆国那賀郡浜村字浮島 式内 富洞神社 一、祭神 布刀若玉比売命 |
[静岡県西伊豆町] 弁財天(沢田)
社名 | 弁財天 弁財天宗像宮 |
所在地 | 弁財天宗像宮 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科 |
社格 | |
御祭神 | 市杵島姫命 |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | 西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/02 毎年恒例の仁科港での餅まきを見物。 水門を出てすぐのところに登り口があり、そこから遊歩道を登る。 小さな祠。 弁財天宗像宮だし、祭神は市杵島姫命なのでしょう。 —- 後に西伊豆町誌を手に入れ…詳細を確認 縁起に関しては造立年月日等は不明だが、棟札によれば、元禄十一戌寅年とあり、周囲の弁財天の勧請時期から元禄年代ごろであろうとのこと。 |
御朱印 | |
由緒書 |
[静岡県西伊豆町] 天満宮(小田瀬)
社名 | 小田瀬天満宮 |
所在地 | 小田瀬天満宮 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科小田瀬 |
社格 | |
御祭神 | 菅原之大神 |
神紋 | 梅鉢紋 |
摂末社 | |
情報源 | 見たい – 西伊豆町観光協会 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/01 仁科から道を一本入った先。 池と大きな太鼓橋を有していて、なかなかに立派。 境内・社殿ともにこざっぱりと手入れされており、氏子の崇敬を受けているのが感じられる。 参拝。 特に太鼓橋は素晴らしい。このサイズの太鼓橋はなかなかに目にかかることができない。 |
御朱印 | |
由緒書 | 天満宮 西伊豆町仁科一三七七番地の二(小田瀬) 祭神 菅原之大神 環境 仁科浜から野畑に至る道路。六〇〇メートルほどの小田瀬川沿いに天満宮は位置する。 境内に大小の竜神池を配し、ホテイアオイが群生する。石造の太鼓橋がかかっている。道真公ゆかりの梅林があり、楠の大樹が天を突き、ケヤキ・イチョウの木々など、静寂な神域のなかに社殿がある。縁起 大正九年七月十日、野畑出身の佐野為吉(一八七五〜一八三三)が私財を投じて京都北野天満宮の分祀を受け創建されたものである。 為吉は仁科浜の木炭問屋に丁稚奉公をし、青雲の志を抱いてほどなく上京、京橋の木炭問屋に働き、その後独立し、神田小川町に料亭「常盤亭」を興した実業家である。境内の一碑(堤達也撰)に、「郷人ノ佐野君ハ夙ニ天満宮ヲ崇信シテ、大正八年北野神社ヲ勧請シ、観望ノ利ヲ占ヒテ巨万ヲ投資ス、云々」とある。現存する棟札写 大正九年七月十日 奉納菅原之大神 斉主 佐野為吉 社殿内に道真公の神像が安置されている。祭礼・行事 例祭 三月二十五日 今は行われていない。 菅原道真公は学問の守護神として崇められ、昔は例祭日に小学校の全生徒が参拝し、紅白餅をもらい、羽織袴の為吉から、自ら歩んだ苦難の人生を拝聴したという。 殿宇・行事 境内造築物 |