社名 | 天満宮(てんまんぐう) |
所在地 | 天満宮 群馬県館林市堀工町 |
社格 | – |
御祭神 | – |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2020/02/11 茂林寺駅から茂林寺に行く途中にあるお宮。 赤い鳥居が目立ちます。 鎮座しているところから個人持ちではないとは思われるが…詳細は不明。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
「天満宮」カテゴリーアーカイブ
[千葉県市原市] 天神社(能満)
社名 | 天神社 |
所在地 | 天神社 千葉県市原市能満679番 |
社格 | – |
御祭神 | – |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/11/23 地図上で神社を発見して参拝。 ただ、鳥居もなければ、社名の表示も由緒の表示もなし。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県西伊豆町] 天満天神宮(栗原)
社名 | 天満天神宮 |
所在地 | 天満天神宮 静岡県賀茂郡西伊豆町中827 |
社格 | 無格社 静岡県神社庁神社等級 十四等級神社(昭和五十六年七月一日) |
御祭神 | 菅原大臣命 |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/11/23 – 仁科中学校の運動場の後ろ、隠れるように…かすかに鳥居が見える。神社だ。仁科中学校運動場の東端、栗原集落の入口を左へ入り、長光寺の方向にグランドに沿って約一〇〇メートルほどでアプローチできる。 資料によると、昔は参道があり、まっすぐに神社の鳥居に向かっていけたらしい。いつの段階かで運動場ができて分断されてしまったということのようです。ひとまず、迂回しつつアプローチ。 運動場側に廻り込み、まずは鳥居をくぐる。 鳥居の先に拝殿。 拝殿は伊豆このあたりでよく見かけるタイプ。普通の民家の玄関を開けるとその奥に本殿みたいな。 拝殿から覆殿までの階段、石段の両脇にのちに手すりをつけた模様。もともとは脇から回り込んで本殿にというスタイルのだったのかもしれません。 手すりがついたからといって、入れなくなったわけではなく。 脇の道を使えばもちろんアプローチ可。 ということで、本殿にご挨拶…覆屋には鍵。隙間から覗くと、伊豆らしく等級の表示。 小さいながらに整備された境内、地域の信仰が残っているのでしょう。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県南伊豆町] 天神社(天神原)
社名 | 天神社 |
所在地 | 天神社 静岡県賀茂郡南伊豆町天神原 |
社格 | – |
御祭神 | – |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/02 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県沼津市] 神明神社(舟山)
社名 | 神明神社 |
所在地 | 神明神社 静岡県沼津市戸田2556 |
社格 | 無格社 |
御祭神 | 天照皇大神 |
神紋 | – |
摂末社 | 舟山天満宮 |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/04/30 海岸沿いの国道を南下中、途中の碧の丘(展望エリア)で休憩。 そこでちょっと寄り道。舟山の集落方面に進む。 ゆめとびら舟山という青少年屋外研修施設の向かいに鳥居。 境内は綺麗に整備されており、社殿も手が入っているようである。 境内社と思われる天満宮には誌文があったが、神明神社には特に由緒書などは無く、詳細は不明。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
由緒書 | 舟山天満宮誌文 天を敬い地に親しみ人々相和し文化を築く、是人の正道なり。 平成十三年十二月吉日 舟山区民一同 |
[埼玉県八潮市] 氷川神社(木曽根)
社名 | 氷川神社(ひかわじんじゃ) |
所在地 | 氷川神社 埼玉県八潮市木曽根1092−8 (旧:木曾根字上 昭和61年1月に遷座。中川の河川改修による。) |
社格 | 村社(明治四年) |
御祭神 | – |
神紋 | – |
摂末社 | 天満宮 稲荷社 三峰・別雷 |
情報源 | 埼玉の神社 P.1329 |
訪問記 | 訪問日: 2017/04/22 三郷から中川を渡り、河川沿いに南下。 社地は微妙な形をしており、社頭からみると、敷地の右側に上木曽根会館、左に明神鳥居。 由緒によると河川改修の折に移築しているとある。なぜ、まっすぐの参道になるように移築しなかったんだろうか…少々不思議に感じてしまう。 全体的に小ぶりな社地ではあるが、綺麗に整えられており清々しさがある。 面する通りはそこそこの交通量があり、騒々しさがあるけれど。 「埼玉の神社」によると、境内社は天満宮、稲荷社、三峰・別雷。社殿に向かって右側に並ぶ。 |
御朱印 | – |
由緒書 「埼玉の神社」 | 歴史 永禄八年(一五六五)四月八目の創建と伝えられる当社は、嘉永三年(一八五〇)の本殿再建時の棟札「正一位 久伊豆大明神 氷川大明神」と併記されているように、元来は氷川・久伊豆両社の合殿であった。本殿が二間社になっているのはそのためである。また、この棟札には「別当金蔵院祐試法印」の名が見え、『風土記稿』では金蔵院の境内に「氷川社、村の鎮守なり」とあり、その創建には金蔵院の法印がかかわったことが推測される。 |
[静岡県西伊豆町] 天満宮(小田瀬)
社名 | 小田瀬天満宮 |
所在地 | 小田瀬天満宮 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科小田瀬 |
社格 | |
御祭神 | 菅原之大神 |
神紋 | 梅鉢紋 |
摂末社 | |
情報源 | 見たい – 西伊豆町観光協会 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/01 仁科から道を一本入った先。 池と大きな太鼓橋を有していて、なかなかに立派。 境内・社殿ともにこざっぱりと手入れされており、氏子の崇敬を受けているのが感じられる。 参拝。 特に太鼓橋は素晴らしい。このサイズの太鼓橋はなかなかに目にかかることができない。 |
御朱印 | |
由緒書 | 天満宮 西伊豆町仁科一三七七番地の二(小田瀬) 祭神 菅原之大神 環境 仁科浜から野畑に至る道路。六〇〇メートルほどの小田瀬川沿いに天満宮は位置する。 境内に大小の竜神池を配し、ホテイアオイが群生する。石造の太鼓橋がかかっている。道真公ゆかりの梅林があり、楠の大樹が天を突き、ケヤキ・イチョウの木々など、静寂な神域のなかに社殿がある。縁起 大正九年七月十日、野畑出身の佐野為吉(一八七五〜一八三三)が私財を投じて京都北野天満宮の分祀を受け創建されたものである。 為吉は仁科浜の木炭問屋に丁稚奉公をし、青雲の志を抱いてほどなく上京、京橋の木炭問屋に働き、その後独立し、神田小川町に料亭「常盤亭」を興した実業家である。境内の一碑(堤達也撰)に、「郷人ノ佐野君ハ夙ニ天満宮ヲ崇信シテ、大正八年北野神社ヲ勧請シ、観望ノ利ヲ占ヒテ巨万ヲ投資ス、云々」とある。現存する棟札写 大正九年七月十日 奉納菅原之大神 斉主 佐野為吉 社殿内に道真公の神像が安置されている。祭礼・行事 例祭 三月二十五日 今は行われていない。 菅原道真公は学問の守護神として崇められ、昔は例祭日に小学校の全生徒が参拝し、紅白餅をもらい、羽織袴の為吉から、自ら歩んだ苦難の人生を拝聴したという。 殿宇・行事 境内造築物 |
[静岡県松崎町] 天神社(建久寺)
社名 | 天神社(てんじんじゃ) |
所在地 | 天神社 静岡県賀茂郡松崎町建久寺95 |
社格 | 無格社 |
御祭神 | 菅原道眞 |
神紋 | 星梅鉢紋 |
摂末社 | |
情報源 | 天神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2016/12/31 曹源山建久寺の北東に隣接、建久寺集落の中心地にこじんまりとして鎮座している。 南豆風土誌の中川村建久寺字西ノ畑にある天神社が当社であると思われる。 境内には朱色の両部鳥居。そこを超えると覆殿。 覆殿は扉はしまっていたが世情はされておらず、参拝時に自由に開けられるようになっている模様。 |
御朱印 | |
由緒書 |
[東京都中野区] 打越天神北野神社(中野)
社名 | 打越天神北野神社(うちごしてんじんきたのじんじゃ) |
所在地 | 打越天神北野神社 東京都中野区中野5丁目8−1 |
社格 | 無格社 |
御祭神 | 菅原道真(すがわらのみちざね) |
神紋 | 梅鉢紋 |
摂末社 | 天神伏見稲荷神社(てんじんふしみいなりじんじゃ) – 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと) |
情報源 | 打越天神北野神社|中野区中野の神社 |
訪問記 | 訪問日: 2016/06/06 所用で中野まで来たついでに参拝。 入り口の神明鳥居をくぐると目の前に社殿。右側には神輿庫と思われる建物、左には境内社である天神伏見稲荷神社。 参拝。 人通りの激しい中野駅前から徒歩数分。喧騒から離れ鎮守が守られている。 |
御朱印 | |
由緒書 |