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[静岡県松崎町] 津島神社(峰)

社名津島神社
所在地
津島神社

静岡県賀茂郡松崎町岩科南側1199
社格静岡県神社庁神社等級規定十一等級
御祭神素戔嗚尊(津島神社)
八王子(若宮権現)
神紋
摂末社秋葉神社
稲荷神社
情報源松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編
訪問記訪問日: 2017/05/01
御朱印
由緒書祭神 素戔嗚尊(津島神社)
八王子(若宮権現)由緒
創立年月が不詳。中村の集落から東の段への登り道の直線約一〇
〇メートルは、昭和五〇年代までは立派な石畳となっていた。ここ
は古くから「宮坂」と呼ばれ、かつての島津神社の参道と言われて
いる。このように、社殿はもとは岩科川をはさんで現在地の北、天
王片の地にあったが、水害で山崩れにあい移転したと言い伝えられ
ている。この伝承に関連していると考えられるのが寛文四年(一六
六四)の棟札であるが、ここには「修理」と記されていて、遷宮に
ついての記載はない。水害は「峯村大海波涛涌く」とか「江水逆流
す」などとの記録から、寛文二年の西日本大地震による津波とも考え
られるが、この地震による津波が伊豆西海岸を襲ったという記録は
見あたらない。一方、若宮権現の同年九月の棟札によれば、暴風雨あるい
は山津波の可能性もあながち否定できない。現本殿は、文化一三年
(一八一六)大工、初代石田半兵衛らによるものである。特徴
津島神社(向かって右)と若宮権現(向かって左)の二殿相殿
例祭日 七月一五日前後の日曜日
従来は七月一五日に本祭りを行っていたが、近年になってあらた
められた。

[静岡県松崎町] 諏訪神社(中村)

社名諏訪神社
所在地
諏訪神社

静岡県賀茂郡松崎町岩科北側691
社格
御祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)
神紋
摂末社
情報源松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編
訪問記訪問日: 2017/05/01
御朱印
由緒書祭神 建御名方命

由緒
縄文遺跡として古くから知られている岩科西の段を見渡す山の中
腹に南面して鎮座している。伝えられるところによると、元は西の
段にあり、規模宏大で末社数十座(八十八社ともいわれている)を有し
ていたが、中古火災にあい、社殿、旧記録の全てを焼失したとい
う。現在も西の段のすぐ下のほぼ平地になったあたりに祀られてい
る小社が数社あるが、かつて隆盛を極めた時の名残りを物語るもの
であろう。
一方、二枚ある明和九年(一七七二)九月の棟札の二枚目では、
延宝八年(一六八〇)の棟札を明和九年に書き写したと断り書きし
てあり、それによると「諏訪大明神の草創は久しいが、年を経て大
廃し嘆かわしい事であったが、当村中村清右衛門親知が施主となっ
て石宮一字を再興し云々」と記されている。現社殿の裏正面に、高
さ一メートル弱の古びた石宮が鎮座しているが、現社殿との位置関
係や、前記施主の末裔によって現在まで祀られてきていることなど
から、この石宮が延宝八年建立のものの可能性が極めて高いと思わ
れる。
現社殿は文久元年(一八六一)一一月の造営になるもので、彫刻
師石田半兵衛邦秀(推定・六一歳頃)の円熟期の装飾彫刻は見事で
ある。
例祭日 二月一一日
以前は二月一五日であったが、近年になって改められた。

[静岡県沼津市] 神明神社(舟山)

社名神明神社
所在地
神明神社

静岡県沼津市戸田2556
社格無格社
御祭神天照皇大神
神紋
摂末社舟山天満宮
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

海岸沿いの国道を南下中、途中の碧の丘(展望エリア)で休憩。
海が綺麗だなと見ていたら、ちょい先の集落に鳥居があるのが見えた。
ナビをみると、神社らしい。

そこでちょっと寄り道。舟山の集落方面に進む。

ゆめとびら舟山という青少年屋外研修施設の向かいに鳥居。
社地は木々に程よく光を遮られる形になっており、しっとりと湿った空気が流れている。
なんとなく、この空気感が神聖な場所に来た感じを誘ってくれる。

境内は綺麗に整備されており、社殿も手が入っているようである。
信仰が生きているのが感じられる。

境内社と思われる天満宮には誌文があったが、神明神社には特に由緒書などは無く、詳細は不明。

御朱印
由緒書
由緒書舟山天満宮誌文

天を敬い地に親しみ人々相和し文化を築く、是人の正道なり。
我等此処に社屋新たにし先祖伝来の天神を祀り、学業の進展を祈願す。
小学学習を旨とし、その実を挙げ文化の里たらんことを期す。

平成十三年十二月吉日 舟山区民一同

[静岡県沼津市] 八幡神社(戸田)

社名八幡神社
所在地
八幡神社

静岡県沼津市戸田1535
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

たまたま、地図を見ていて鳥居のマークを発見。
部田神社のすぐ南方のようなので、ついでにちょいと訪問。

うーん、人家と人家の間を進んだ一番奥、なんと無く、誰かの家に入り込んでいる感じ。

覆屋の中に石祠。

参拝。

のちに静岡県神社庁の一覧から本社を調べるが…該当なし。
地域で守られているものなのでしょう。

もちろん、由緒書きなども無く、詳細は不明。

ただわかるのは、近所からの信仰が生きていることくらいでしょうか。

御朱印
由緒書

[静岡県伊豆の国市] 金比羅神社(神島)

社名金比羅神社
所在地
金比羅神社

静岡県伊豆の国市神島
社格
御祭神伊雑皇大神宮
大山祇命
倉稲魂命
事比羅命
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

修善寺に向かう途中。崖の上に鳥居が見えて…前々から気になっていた神社。
地図を見てもネットで調べても入口がわからない。

という事で、朝早く現地に来てちょっと調査。

橋を渡ったところを右折、坂を下がり切る直前に参道の入り口。
そこから簡単な山道を登る事2分ほど。絶景の境内に到着。

社殿も小さいながらにきれいに整備されており、信仰が生きているのを感じさせます。

社殿には特に社号等の表示はなく、社殿内の本殿には4柱。
伊雑皇大神宮、大山祇命、倉稲魂命、事比羅命。
Googleの地図表示によると「金比羅神社」。たぶん、主神は事比羅命なのでしょう。
現時点では詳細は不明。

とはいえ、田方を見渡す絶景ポイントであることは確実。

御朱印
由緒書

[埼玉県八潮市] 氷川神社(木曽根)

社名氷川神社(ひかわじんじゃ)
所在地
氷川神社

埼玉県八潮市木曽根1092−8
(旧:木曾根字上 昭和61年1月に遷座。中川の河川改修による。)
社格村社(明治四年)
御祭神
神紋
摂末社天満宮
稲荷社
三峰・別雷
情報源埼玉の神社 P.1329
訪問記訪問日: 2017/04/22

三郷から中川を渡り、河川沿いに南下。
車を流していたら、コンビニ傍に鳥居を発見。

社地は微妙な形をしており、社頭からみると、敷地の右側に上木曽根会館、左に明神鳥居。
鳥居の内側は、たぶんだが会館利用者の駐車場となっている。
その億、クランク上に参道が曲がり会館の真裏に社殿が建っている。

由緒によると河川改修の折に移築しているとある。なぜ、まっすぐの参道になるように移築しなかったんだろうか…少々不思議に感じてしまう。

全体的に小ぶりな社地ではあるが、綺麗に整えられており清々しさがある。

面する通りはそこそこの交通量があり、騒々しさがあるけれど。
拝殿に向かうと、ちょうど会館が邪魔をするように立っているせいか、その騒々しさもなくいい感じである。
特徴的なのは鈴緒。右と左に一本ずつぶら下がっているのはいいとして、右側には「男鈴」、左には「女鈴」の文字。男女にて分けている意味なのでしょうかね。
特に説明書きを見つけられなかったけれど、男女にて使う鈴尾を変えるという事なのでしょう。

「埼玉の神社」によると、境内社は天満宮、稲荷社、三峰・別雷。社殿に向かって右側に並ぶ。
稲荷社はのぼりがありわかるが、そのほかはどれがどれに該当するのかの判別がつきにくかった。
普通に数えると7宇の境内社があるように見えるのだが…。

御朱印
由緒書 「埼玉の神社」歴史

永禄八年(一五六五)四月八目の創建と伝えられる当社は、嘉永三年(一八五〇)の本殿再建時の棟札「正一位 久伊豆大明神 氷川大明神」と併記されているように、元来は氷川・久伊豆両社の合殿であった。本殿が二間社になっているのはそのためである。また、この棟札には「別当金蔵院祐試法印」の名が見え、『風土記稿』では金蔵院の境内に「氷川社、村の鎮守なり」とあり、その創建には金蔵院の法印がかかわったことが推測される。
現在、当社の境内は県道に近い新興住宅地の一角にあるが、昭和六十一年一月までほ中川のほとりの、雑木林に囲まれた閑静な地にあった。遷座の理由は、中川の河川改修によるもので、これを機に拝殿・社務所など、境内の諸施設が一新された。ただし、嘉永三年五月に造られた本殿だけは、傷みも少なく、長い間崇敬し親しんできた社であったという理由から、新築はせずに旧地からそのまま移築した。
『風土記稿』に見られるように、木曾根の村内には、当社のほかに八幡社と二社の稲荷社があった。しかし、これらの諸社は当社が明治四年に村杜になったのに対し、無格社となったため、明治四十二年に当社に合祀された。しかし、木曾根新田の稲荷社だけは旧氏子の強い希望から、昭和二十九年に分祀され、照富久稲荷神社と、称して改めて祀られることとなり、現在に至っている。

[埼玉県三郷市] 香取神社(花和田)

社名香取神社(かとりじんじゃ)
花和田香取神社
所在地
香取神社

埼玉県三郷市花和田四一六番号
社格
御祭神経津主之命(ふつぬしのみこと)
(別名: 伊波比主之命(いわいぬしのみこと))
合祀: 天照皇大神、宇賀能魂命、須佐之男命、伊弉再命、八大竜王命
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/22
御朱印
由緒書香取神社(かとりじんじゃ)
所在地 三郷市花和田四一六番号 香取神社は、千葉県佐原の香取神宮を本社として、文明年間(一四六九〜一四七八)に勧請した神社で、明治四十年二月五日神明神社、稲荷神社、羽黒山を合祀した。
現在の中川は昔の利根川であり、この地方は下総国になっていた。このため現在の中川の東側は香取神社が祀られ、西側は武蔵国で氷川神社が多く祀られていた。その後、江戸時代になってこの地方は江戸川の西側となり武蔵国になった。
当神社の祭神は、経津主之命(ふつぬしのみこと)(別名伊波比主之命(いわいぬしのみこと))で、その他に天照皇大神、宇賀能魂命、須佐之男命、伊弉再命、八大竜王命が合祀されている。
合祀されている祭神のうち八大竜王命は、昔この地方の八人の名主が水害からこの地方を守るため、人柱となってくれた八人の命を水神様として祀ったものである。
例祭は、元旦祭(一月十二日)、初午(二月の初午日)、夏祭(七月十五日)、秋祭(お日待、十月十五日)である。このうち夏祭は、以前山車と囃子で村回りをしていたが、現在はお神輿で町内を回っている。昭和六十一年三月
埼玉県
三郷市

[埼玉県川口市] 畑田稲荷神社(辻)

社名畑田稲荷神社(はたけだいなりじんじゃ)
所在地
畑田稲荷

埼玉県川口市南鳩ヶ谷7丁目27
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/08
御朱印
由緒書鳩ヶ谷市史 民族編辻地区の畑田稲荷は、かつて辻村の鎮守様つまり村社であったが、明治末年に鳩ヶ谷氷川神社に合祀された。しかし、その後も村の中で信仰を集めている。現在の氏子は、ほとんど真言宗の人たちであり、氏子どうし四軒で組を組織し、年番を出し諸行事を行い、自ら「畑田の氏子」と称するなど、氏子意識がきわめて強い。氏子総代(世話人)は一〇名いるが、真言宗の真福寺・西光寺の世話人(檀家総代)と同一人であるなど、宗派との結びつきがここにもみられる。
行事は、正月・初午・春祈祷(四月十三日)・夏祈祷(五月十三日)・天王様(七月十五日)・お日待(十月十五日)であり、年番が集めたお金で祭礼を運営している。