「神明神社」カテゴリーアーカイブ

[東京都文京区] 駒込天祖神社

社名駒込天祖神社(こまごめてんそじんじゃ)
駒込神明宮
所在地
朝日氷川神社

東京都文京区本駒込3-40-1
社格村社
駒込村総鎮守
御祭神天照大御神(あまてらすおおみかみ)

宇迦御魂命 (うかのみたまのみこと) – 鎮火稲荷神社
淤母陀流神(おもだるのかみ) – 榊神社
阿夜訶志古泥神(あやかしこねのかみ) – 榊神社
須佐之男命(すさのおのみこと) – 須賀神社
天手力男命(あめのたぢからおのみこと) – 戸隠熱田神社
倭健命(やまとたけるのみこと) – 戸隠熱田神社

神紋花菱紋
摂末社鎮火稲荷神社(ちんかいなりじんじゃ)
三社合祭社(さんしゃごうさいしゃ) – 榊神社(さかきじんじゃ) : 須賀神社(すがじんじゃ) : 戸隠熱田神社(とがくしあつたじんじゃ)
情報源文京区 天祖神社(てんそじんじゃ)
訪問記訪問日: 2017/08/19

駒込駅より徒歩範囲。都道455線より入った場所に鎮座。
ここ、目指してくる様な状況でなければ、存在自体も気がつかなかったかも…。

ちなみに駐車スペースはなく、また路上駐車ができる様な道路上の余裕もありません。
近隣に幾らかのコインパーキングがあるので、車の場合はコインパーキングを利用するのが便利かもしれません。

住宅街の一角、細い路地の入り組んだ地域だけに、ちょっと狭苦しい感じがするけれど、境内に入ってしまうと、いかにも神域という空気が感じられます。

社頭から…まず、社号標を右手に見ながら、神明鳥居をくぐると境内。
境内は木々が茂り、いい雰囲気です。
参道を進むと三社合祭社、稲荷神社。そして、狛犬。
狛犬はなかなかに迫力がある子達。

拝殿横には社務所があり、そこで御朱印がいただけます。
駒込富士神社の御朱印もこちらでいただくことができるので、天祖神社にお参りする前に駒込富士登山をしてからというのもいいでしょう。駒込富士神社までは徒歩でも10分ほど。

御朱印あり(300円) – 社務所にて:書き置きの場合あり
由緒書天祖神社

江戸時代、駒込の氏神として、神明さまと呼ばれ、里人に親しまれてきた。社伝によると、文治5年(1189)源頼朝が奥羽征伐(藤原泰衡追討)の途中、この地に立ち寄り、夢のお告げで、松の枝に大麻(伊勢神宮のおふだ)がかかっているのを見つけた。頼朝は、討伐のよい前触れと喜び、この地に神明(天照大神)を祭ったのが、この神社の起源と言われる。社殿の様式は、神明造り。
大麻のかかっていた大木は、神木として崇められ、さしわたし4尺(12m)もある大木と伝えられている。(『江戸砂子』から)
その後、宮守もなく神木の根元に小さな祠を残すだけとなったが、1650年頃、堀丹後守利直によって再興された。神木は、その後枯れたという。
社殿の裏に、都立駒込病院あたりにあった「鷹匠組」の寄進名が刻まれた石柱が、いまも残る。

ー郷土愛をはぐくむ 文化財ー
東京都文京区教育委員会 昭和63年3月

[埼玉県志木市] 神明神社

社名神明神社(しんめいじんじゃ)
所在地
<br /> 神明神社

埼玉県志木市柏町5-18
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/06/10
御朱印
由緒書神明神社

伊勢の皇太神宮を分祀した神社。一般に皇太神宮を分祀したものを神明社と呼び、全国で一万五千社を数えるといわれています。
この神社は、元和二年(一六一六)に山本家が伊勢信仰のために創建したもので、その後文化文政期(十九世紀初頭)に尾崎家が宅地と社を買い受け、明治九年には字大塚へ移譲しましたが、昭和五年頃まで尾崎家で祭典を行っていました。
その後、大正初期の東武鉄道路線工事により、現在地に移設され祀られています。

平成七年一月三十日

志木市教育委員会

[静岡県沼津市] 神明神社(舟山)

社名神明神社
所在地
神明神社

静岡県沼津市戸田2556
社格無格社
御祭神天照皇大神
神紋
摂末社舟山天満宮
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

海岸沿いの国道を南下中、途中の碧の丘(展望エリア)で休憩。
海が綺麗だなと見ていたら、ちょい先の集落に鳥居があるのが見えた。
ナビをみると、神社らしい。

そこでちょっと寄り道。舟山の集落方面に進む。

ゆめとびら舟山という青少年屋外研修施設の向かいに鳥居。
社地は木々に程よく光を遮られる形になっており、しっとりと湿った空気が流れている。
なんとなく、この空気感が神聖な場所に来た感じを誘ってくれる。

境内は綺麗に整備されており、社殿も手が入っているようである。
信仰が生きているのが感じられる。

境内社と思われる天満宮には誌文があったが、神明神社には特に由緒書などは無く、詳細は不明。

御朱印
由緒書
由緒書舟山天満宮誌文

天を敬い地に親しみ人々相和し文化を築く、是人の正道なり。
我等此処に社屋新たにし先祖伝来の天神を祀り、学業の進展を祈願す。
小学学習を旨とし、その実を挙げ文化の里たらんことを期す。

平成十三年十二月吉日 舟山区民一同

[静岡県伊豆市] 神明神社(八木沢)

社名神明神社(しんめいじんじゃ)
所在地
日枝神社

静岡県伊豆市八木沢80
社格延喜式内(甕玉命神社)
御祭神甕玉姫命
神紋
摂末社
情報源神明神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

こんなところに神社?

正直言って、わかっていても見落としそうな場所。
旧道から海方面に下る細い道を下ると社殿と鳥居。

鹿島鳥居が立っているから神社だとわかるけれど、これがなかったら場所が場所だけになにかの倉庫である。
これが式内社だというのだから…時間というのは色々なことを変えていくんだなと感慨深く感じさせる。

御朱印
由緒書

[静岡県松崎町] 國柱命神社(岩科南側)

社名國柱命神社(くにはしらみことじんじゃ)
神明宮
所在地
國柱命神社

静岡県賀茂郡松崎町岩科南側176-1
社格延喜式内(國柱命神社)
村社
御祭神國柱姫命
小鷹神(小鷹神社)
茂山神(茂山神社)
神紋
摂末社小鷹神社
茂山神社
琴平社
情報源國柱命神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/01

松崎町の中心地から国道136号をまっすぐに進む。
長八美術館前の交差点で国道136号は右に折れていくが、気にせずに直進。
県道121号を進み伊豆太陽農協岩科支店まえで右折し宇治橋を渡る。
道が細くこの道でいいのかな?と思いながら道に入る…曲がるとすぐ右側に駐車場。その奥隣の路地というより隙間と表現するような道に入り込み、本当に細い道をひたすら登っていく。地元の車は細路地を車で普通に入っていくが、伊豆の道に慣れてないと前にも後ろにも進めなくなるかもしれない。伊豆の西側地域は非常に軽自動車率が高い。たぶん、こういう道が多いからなのだろう。路地を登り切ると白く大きな両部鳥居が見えてくる。

鳥居の扁額には「神明宮」と記載されている。
だが、実際の社名は國柱命神社(くにはしらみことじんじゃ)らしい。
かなり見晴らしはよく、近隣を一望できるいいロケーション。

南豆風土誌によると、「有建治二年版書」とある。

御朱印
由緒書

[静岡県西伊豆町] 神明神社(海名野)

社名神明神社(しんめいじんじゃ)
海名野神明神社(かいなのしんめいじんじゃ)
所在地
神明神社

静岡県賀茂郡西伊豆町仁科574(旧:仁科村浜字海名野)
社格村社
(延喜式内 仲大歳神社の論社は否定)
御祭神天照皇大神
天照皇太神(新南豆風土誌による)
神紋丸に五三の桐
摂末社
情報源人形三番叟、県文化財に 海名野神明神社―西伊豆 - 伊豆新聞
西伊豆町誌 資料 第一集 神社・寺院並びに棟札編
新南豆風土誌
訪問記訪問日: 2016/05/02

せせらぎの湯の奥。
西伊豆特有の細い道をちょっと心配しつつ進む。

西伊豆町の無形民俗文化財「海名野神明(かいなのしんめい)神社の人形三番叟」として名の通った神社。
とはいえ、今はその季節ではなく、ただただ、緑に勢い付く木々の間にひっそりと佇む社殿が神聖な空気をかもしだすだけである。

当初は「式内社・仲大歳神社の論社」ということもあって訪問したのだが、社殿に貼られていた由緒書き(というか、西伊豆町誌 資料 第一集 神社・寺院並びに棟札編のコピー)によると、「当社は曾て、式内社仲大歳神社とされた説があったがそれは謬である。」と真っ向から否定されていた。まぁ、創立年月日は不明であるものの「長禄元年(一四五七)」の記録があるということだから、500年以上の歴史があるのは間違いなく、長い間、住民の生活を見守ってきた重要な神社であることは間違い無いだろう。三世紀も守られ続けている人形三番叟もそれを裏付けている。

御朱印
由緒書西伊豆町誌 資料 第一集 神社・寺院並びに棟札編

神明神社

西伊豆町中五四七番地(海名野)

祭神 天照皇大神

環境
国道一三六号の仁科浜橋付近を基点とする主要地方道
西伊豆〜伊東線を仁科川の右岸を遡ること約一・五キロ
メートル中村の集落がある。ここは江戸時代の中村の名
が残っているところである。海名野橋のバス停付近から
橋を渡り石畳の坂道を登り海名野の家並みを通り抜け山
道にかかるところ右に谷川が流れ、左に神明社の石段が
見える。神域は集落から一段と高い場所にあり、杉木立
を背にして本殿が建てられている。前には、天然記念物
に指定されている一対のナギの大木が立っている。右側
は庁屋で、秋の祭りには民俗文化財に指定されている三
番叟が上演される。小規模ながら旧村社にふさわしい環
境にある。

縁起
創立年月日は不詳。かつては火災に遭って多くの記録
を失っている。
『豆州志稿』によれば、長禄三年(一四五九)の棟札に「神名
難分、本願須田対島頭」とあり。また、慶長三年(一五九八)
の札に「須田図書之助経営」とされているが、この二つの
棟札は現存していない。明治十八年調査佐波神社祠官間
野斉宮の報告によれば、長禄元年二月十一日(一四五七)
再建より重修の棟札ありと記されているが長禄元年の棟
札も現存しない。以上の諸記録の中でもっとも年代の古いも
のは長禄元年(一四五七)である。
現在当社には十二点の棟札が残されている。その中で
もっとも古いと思われるものに次のものがある。

本願須田図書助
豆州仁科庄海名野村  同仇左衛門
大工鍛冶関采女正政繁
奉建立伊勢神明御宝殿前諸願成就皆令満足者也
大工窪田彦左衛門吉次 鈴木藤衛門
干時慶長拾五年庚戌九月十日敬白 祢宜六左衛門
その他、建立、重修、造立等に関する記録を遺した棟
札の主なものとして次ぎのものがある。
1.奉建立勢陽天照大神宮与流氏諸願成就必矣
干時萬治二仲冬念五鳥(一六五九)
2.奉造立神明宮御神殿
延享三年十月十三日(一七四六)
3.宝暦五年九月十六日(一七五五)氏子四十九人が門前
の土地その地を献納
4。文化三年七月吉日(一八〇六)
奉修大峯乗灯護摩供社頭安全枚
5。明治六年十月
奉斉神明社、合並社(栗原天神社・寺川駒形神社・岩谷戸八
幡社・堀坂熊野社・一色山神社・祢宜畑子神社・白川三王
社・大城八幡社・宮ケ原天神社)(註村社となる)
6.大正九年十一月四日
鳥居新設
7.昭和四年十月七日
奉納神明社昇格記念
8.昭和二十七年十一月四日
奉斉神明復興記念
9.年代不詳(大正末期から昭和初期)
奉鎮斉
神明社改築拝殿
当社は曾て、式内社仲大歳神社とされた説があったが
それは謬である。仲は中村に由来するとしたのであろう
が、往時中村は仁科庄の本郷に含まれており、(本郷には
既に式内佐波神社があり)村に式内社が二社存在するこ
とはないのである。また口碑によれば「当社は式内にして、
須田対島頭守広創建」とあるが須田対島頭守広は文亀、大
永の十六世紀初頭の人であって、式内社を定めた延喜式
の成立は十世紀であり、須田氏が式内社を創建すること
はあり得ないことである。
当社において、毎年十一月の秋祭りに奉納される三番
叟は初演が享保年間即ち一七〇〇年代と伝えられ、三世
紀にわたって伝承されている貴重な文化財である。