「朝霞市」カテゴリーアーカイブ

[埼玉県朝霞市] 氷川神社

社名氷川神社(ひかわじんじゃ)
所在地
氷川神社

埼玉県朝霞市溝沼6-23-1
社格村社
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/06/10
御朱印
由緒書氷川神社 御由緒

 

□ 御縁起(歴史)

 

かつては当社を「じるいね様」と呼ぶ古老がしばしばあったように、明治四十一年八月八日までは当社は地類神社と称していた。「風土記稿」溝沼村の項には、その沿革について「地類権現社 除地五畝、村の東にあり、社は一間に一間半、南の向ふ、祭神詳ならず、寛文の頃(一六六一-七三)村民畑を耕すとて、地類権現と彫づけし石を得たり、時の地頭中山勘三郎、此由を聞て社を立てんと思けるに、此地を古より稲荷山と号せしかば、社地のあとならんとて、社地と定め、この権現を勧請せりと云伝ふ、村内泉蔵寺の持」と記しており、創建の経緯をうかがうことができる。一方「郡村誌」では、社名は地類神社、祭神は稲田姫命となっていることから、当社は、豊かな実りをもたらす地霊を祀った社として信仰されていたものと推測される。
現在、当社の本殿の中には、「風土記稿」に伝えられる石はなく、代わりに一七基の金幣が祀られている。地類神社から氷川神社へ改称した際の理由は定かではないが、明治四十年に字泉水の無格社氷川神社など地内の神社八社を合祀したことを契機に、村社にふさわしい社名ということで武蔵一宮に倣ったものであろう。十七基の金幣の各々には社名と元鎮座地の字名が記されているが、その中に地類神社と記したものはなく、代わりに氷川神社と記したものが他より大きいのは、そうした事情を物語るものと推測される。

 

□ 御祭神と御神徳

 

・ 稲田姫命・・・五穀豊穣、厄除け

 

□ 御祭日

 

・元旦祭(一月一日)  ・新年祭(二月初午)
・例大祭(四月十八日) ・新穀祭(十一月二十三日)

[埼玉県朝霞市] 美女神社(田島)

社名美女神社(びじょじんじゃ)
宇津久志の宮(うつくしのみや)
美女神社
所在地
美女神社

埼玉県朝霞市田島2-16-33
社格
御祭神市杵島姫命
神紋
摂末社※ 田島神明神社の飛地境内社
情報源
訪問記訪問日: 2016/03/27
大通りから一本入った路地、一方通行ゆえに狙っていかなければこの神社にはたどり着かないだろう。
住宅に囲まれた狭小の社地に神明鳥居。
境内はきれいに整備されており、心地よい。社名の由来は川の向こう側にある「美女木」の関連か?と思って訪れたが、どうもそれは関係がないらしい。
市杵島姫命の「いちきしま」が転化し美女神社になったようだ。埼玉の神社によると、本社は神明神社(田島)の飛地境内社で、当該項目には下記のように記されている。


当社北方の飛地境内に美女神社と呼ばれる珍しい社名の社がある。祭日は五月一日で、俗に「美女(うつくし)様のお経」と飛ばれる。元来は氏子銘銘が持参したお重の手料理を神前に供え、その前に筵を敷いて全員が着座し、年長者の発声で般若心経を唱和したが、昭和十五年頃に行われなくなった。現在は神饌をお重に入れて供え祭典を行い、終わると町会会館で直会をする。
美女様は子供の麻疹やクチムキを治すといわれ、かつては子供の参詣が多く見られた。お参りの際に社頭の鈴に下げてある布を裂いて持ち帰り、これを首に巻いておくと治るとされ、お礼参りには新しい布を鈴に下げるのが習わしであった。また、女の子は社名にあやかって美しくなるように祈り、手を合わせた。


みていてよくわからなかったのは「クチムキ」。何だろうと調べてみると、百日咳のことのようである。

御朱印
由緒書美女神社 御由緒

□ 御縁起(歴史)
当神社は古くより「うつくしさま」と親し
まれ、子供の病気を治したり、健康を守る神
様として信仰されてきた。徳川時代の地誌
「新編武蔵風土記稿(一八三〇年)」には、
「美宮ハ村ノ北ニアリ宇津久志ノ宮ト云ウ」
と記されている。
□ 御祭神
市杵島姫命
御祭神、市杵島姫命は、日本の最も古い書物である
古事記・日本書紀にも載っている宗像三女神の一人
で九州の宗像神社・広島の厳島神社の御祭神である。
美女神社の名前の由来について一説では「いちきしま」
が「いつくしま」となり「うつくしさま」に転化し
美女神社になったとも言われている。
□ 祭事表
五月一日  春祭り
九月十五日 秋祭り