社名 | 火産靈神社(ほむすびじんじゃ) 火産霊神社(ほむすびじんじゃ) |
所在地 | 火産靈神社 静岡県賀茂郡松崎町門野80 |
社格 | – |
御祭神 | 火産霊神社: 火産霊命(ほむすびのみこと) 高根大明神: 不詳 |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | 松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/02 松崎新堤のところから山道を登る。 山に向かってまっすぐ伸びる細い道。その先に明神鳥居が見える。 拝殿は硬く閉ざされており、参拝不能。 それにしても、本当に隠れ里と言った雰囲気の集落。平地から隔絶されたような場所、アクセス道路の分かりにくさ。こんなところに家を持っていたら、本当に隠れ家と呼んでも良さそうな感じである。 |
御朱印 | – |
由緒書 | (松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編) 由緒 門野の集落を見渡す山の斜面に南面して鎮座しており、この地域が開けた頃からの神社と言われ、また天長五年(八二八)再建とも、天長七年頃の創立とも伝えられているが、詳しいことは不明である。しかし、文字がうすくて判読困難な棟札のあることや、一メートル余の板に荒神の像を画いた御神体に応永八年(一四〇一)二月一二日と記されていること、また大久保石見守の名の見える慶長一四年(一六〇九)の棟札の存在等、地域の中でももっとも古くからあった社の一つであり、また人々の信仰も厚かった様子がうかがわれる。 なお高根大明神は、増訂豆州志稿によれば、「承応三年梅木原ヨリ遷ス」とあるが、所蔵の棟札によると、むしろ明和三年(一七六六)か文政四年(一八二一)に合祀した可能性がありそうである。特徴火産霊命(向かって右)と高根大明神(向かって左)の二殿合殿例祭日かつては七月一五日であったが、第二次大戦後はやめて現在は例祭としての祭ごとは行われていない。 |
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[静岡県沼津市] 諏訪神社・縁結神社(政戸)
社名 | 諏訪神社・縁結神社(すわじんじゃ・えんむすびじんじゃ) |
所在地 | 諏訪神社・縁結神社 静岡県沼津市大平2943 |
社格 | |
御祭神 | |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/04 たまたま通りがかって鳥居を発見。急遽、参拝。 楔の大きさがきになる明神鳥居をくぐると目の前に小ぶりな社殿。 それにしても、諏訪神社はわかるが縁結神社とは…。 そんなことを思いつつ参拝し、帰宅後にネットで検索。いろいろ検索した結果、
ということで、この縁結神社は俗っぽい者ではなく、結大明神由来なのであろうことがわかった。 ただ、この情報だと4宇の神社があったことになる。 |
御朱印 | |
由緒書 | – |
[静岡県伊豆の国市] 天野八幡神社(天野)
社名 | 天野八幡神社(あまのはちまんじんじゃ) |
所在地 | 天野八幡神社 静岡県田方郡伊豆長岡町天野五二九番地 |
社格 | 村社 |
御祭神 | 誉田別命(ほんだわけのみこと) |
神紋 | |
摂末社 | 秋葉神社 琴平神社 |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/04 修善寺から三島方面へ山の縁をドライブ。 鳥居をくぐると、特筆するというほど大げさではないが、少々、急角度の石階段。約80段。 社殿の軒には太鼓が吊るされており、何かしらの行事で使われている模様。 社殿裏には一宇の境内社。 石段を登りきったところからは、絶景とは言わないまでも遠方まで望めるビューポイント。 |
御朱印 | |
由緒書 | 天野八幡神社(あまのはちまんじんじゃ) 鎮座地 伊豆長岡町天野五二九 由緒 創立沿革は不詳であるが、享保 |
由緒書 | 八幡神社 鎮座地 静岡県田方郡伊豆長岡町天野五二九番地 御祭神 誉田別命 例祭日 十月十六日由緒当社は天野の里の産土神社として創建されたが その年代は定かではない。現存する棟札に、享 保二年(一七一七)十一月、同十六年(一七三 一)十二月、延享三年(一七四六)十月、文化 十四年(一八一七)九月に改修していることが 見える。 明治旧年に村社に加列され、里人の信仰を集め たが、明治二十 年九月九日暴風の為上覆屋を 損なったのを機に、明治三十四年二月十二日上 覆屋、弊殿、拝殿改築工事を始め同年四月二日 竣工し、遷宮式を斉行した。爾来百年、氏子一 同崇敬の誠を捧げ、祭典を奉仕して来たが、老 朽化した社殿を憂い、平成七年本殿雨覆、弊殿 拝殿を改築し同年十月十日竣工祭を斎行した。 |
[静岡県伊豆の国市] 神益麻志神社(神島)
社名 | 神益麻志神社(かんますましじんじゃ) |
所在地 | 神益麻志神社 静岡県伊豆の国市神島1307 |
社格 | 延喜式内(大朝神社) 延喜式内(伊加麻志神社) |
御祭神 | 長白羽命(ながしらはのみこと) |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | 神益麻志神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/04 西伊豆よりの帰り道。気が向いて狩野川の西側を通ることにする。 道より石段を登り明神鳥居をくぐる。 鳥居の脇に「神益麻志神社」の社号標がある。 すぐ目の前に社殿。 参拝。 特に由緒等の掲示もなく詳細は不明。 家に帰り社名より検索すると、延喜式内の大朝神社や伊加麻志神社と比定する説のある神社だったようだ。 |
御朱印 | |
由緒書 | – |
[静岡県沼津市] 金刀比羅神社(戸田)
社名 | 金刀比羅神社(ことひらじんじゃ) |
所在地 | 金刀比羅神社 静岡県沼津市戸田3695 |
社格 | 神社等級(十四等級神社) |
御祭神 | |
神紋 | 丸に金文字紋 羽団扇紋 |
摂末社 | |
情報源 | 金刀比羅神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/04 戸田の港か見上げると山に神社と思しき影。 登りきった先に社殿。 社殿は戸が閉まり、賽銭箱もなく…。振り返ると戸田の港が綺麗に見えるのみ。 参拝。 拝殿には、左右に丸に金文字紋、羽団扇紋。 |
御朱印 | |
由緒書 | – |
[静岡県沼津市] 諸口神社(戸田)
社名 | 諸口神社(じんじゃ) |
所在地 | 諸口神社 静岡県沼津市戸田2710 |
社格 | 延喜式内(国玉姫命神社) 村社 |
御祭神 | 弟橘姫命 |
神紋 | 丸に右三つ巴紋 |
摂末社 | |
情報源 | 諸口神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/04 戸田の砂洲の先端部分に鎮座する。 社殿を通り抜け直進すると浜辺に鳥居。 先の突堤から鳥居、社殿を望む。脇に映る富士山と合わせて良い絵となった。 |
御朱印 | |
由緒書 | 諸口神社 祭神 橘姫命 例祭日 四月四日 由緒 当社の創建由緒等詳ならざれども増訂豆州志稿によれば、延喜式神名帳伊豆国那賀郡二十二座の内国玉姫命神社にて伊豆国神階帳従四位上もろき姫の明神に座すとなす。 もろき姫、国玉姫、橘姫は同一神でもあらうか現称諸口はもろきと同語にて古来当社を辨天と称し、女神なること明らかなり。航海及漁業者の守護神とし崇敬あつく海上安全大漁満足を祈願し諸船この沖を通過すると言う。 応永八年三月(一四〇二)再建、明治十二年八月村社に列す。 現社殿は昭和二十八年四月改築 社宝 応永八年三月吉日棟札 鰐口 武蔵国吉見郡久米田郷施主等敬白 諸口大明神 応永八年辛己霜月十五日とあり(日 本金石年表に見える) 註 延喜式内とは醍醐天皇の朝廷延喜年間(九〇一~九二七)撰修の延喜式神名帳所載の神社の意にて単に式内社又は式社とも言う。 |
[静岡県伊豆市] 國玉神社(小土肥)
社名 | 國玉神社(くにたまじんじゃ) |
所在地 | 國玉神社 静岡県伊豆市小土肥669 |
社格 | 延喜式内(國玉命神社) 無格社 |
御祭神 | 大國主命 または 國玉命 |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/04 八幡神社に訪問したのち、小土肥大川沿いこちらに訪問。 社殿には由緒書きではないが民話が書かれていた。看板に書くにはかなりの長文である。 |
御朱印 | |
由緒書 | 国玉神社(御社サン)の由来 『子宝の湯、子宝の松』の民話とアスネロの樹コン吉とキツネ火古民話に、天城山頂と久能山頂のキツネ城に王様がいた。仲の悪い原因は駿河湾の所有権。天城の駿河湾だ、久能の駿河湾だと共に一歩も譲らず、常日頃にらみ合っていた。天城の城にはコン吉という美少年王子、久能の城にはコン子という一人娘の姫がいた。二人はいつしか恋心が芽生え、コン吉は泳いで三保の松原、羽衣の松の木陰で愛のひと時、いつしか双方の王様に知れ、結婚どころか二人の王様の仲の悪さは増すばかり。二人は家出を誓い、コン吉は三保海岸から良く見えるキツネ岩にキツネ火を焚き、コン子は故郷の形見に羽衣の松ボックリを口にくわえ、キツネ火をたよりに八里(三〇k)の海、大土肥海岸をめざし泳ぎ着きました。コン子と白酒(甘酒)に、ぬる湯コン子は子どもがお腹にあり、疲労と冷えで息もトギレトギレ、驚いたコン吉はコン子を抱き上げ、ぬる湯(天城の湯)に入れると湯量がコンコンと増えて湧き、白酒(甘酒)を飲ませ体を温め介抱のかいあって、コン子は元気を取り戻し、この時に口にくわえた松ボックリを湯の河原に落としました。二人はキツネ岩に住みつき、コン吉は体の衰弱がひどいコン子に毎日、白酒とぬる湯で母体を温めたので元気になり、無事、子供を産む事ができました。そして、駿河の国伊豆君澤郡大土肥村狐岩城主となり、仲の悪い二人の王様も孫の笑顔を見て、共に笑顔。コン吉コン子も民に親しまれ、近郷の里人はいつしか、ぬる湯を後世「子宝の湯」と言うようになり、小土肥温泉の源泉です。国玉神社(お社サン)と子宝の松 樹高 約百尺(三十三m) 湯の河原に、落とした松ボックリが芽をだし、すくすくと大きくなったので誰言うことなく「子宝の松」(樹齢千数百年)と呼ぶようになりました。里人は、お産の守り神、国玉姫の命を御神体に、子安の神と鬼子母神をまつり、国玉神社を造り、子孫繁栄、産前産後と赤子の産着初参 り、子供に恵まれない人、四百四病の難病非行悩みごとは、子宝の松に抱きつき参拝祈願すると子どもが授かり、悪魔を御払いする御社サンの有り難い神話があります。桃の節句には、身も心も白く清める参斗八升の甘酒を奉納し、「甘酒祭」をして童の育成祈願をしております。 アスネロの樹とチンタチ草 この里には、槙の樹を「アスネロ」、明日葉を「チンタチ」と言う方言がある。千数百年の年月、里人の幸福を授け、昭和半ばに枯死した子宝の松は鬼子母神となり童の育成を願っている。境内には槙アスネロの大樹と原野に明日葉チンタチ山菜が多く生えていて、里料理に授かりいつしか「子宝と夫婦の仲はチンタチを食べてアスもネロ」と夫婦花嫁のお参り、赤子の産着祝いに夫婦重ね餅を奉納、商売繁盛、豊作大漁、福に授かる祈願、長寿と足腰痛の礼参り、槙の大樹を抱く参拝者が多くなりました。近年、境内に愛をささやく若者が増え、恋の芽生えは「縁結び」に御利益が授かる「御社サン」参りと近郷の里人に愛されている「国玉神社」鎮守の御宮です。「子宝の松」弐代目誕生記念に「アスネロの樹」と命名、祝七五三〆(シメ)縄を奉納しております。 大土肥と土肥 古伝説に金山奉行土肥金山街人の数が多く、大土肥は代官村郷で人の数が少ない。勢力争いの根源は川の手長海老を大土肥はガンジャ、土肥はジャンガ、川の小魚を大土肥はカアジ、土肥はモクンチョといまだに双方意地の張り合い。キツネ岩近くに勝負ヶ平の地名がある。どっちが本当か勝負したが未だに決着がついた話はないが、人数の多い金山街を土肥、人数の少ない村郷を小土肥と円満決着したキツネ頓智古話もあります。後日、町政合併で土肥町になり現在は伊豆市小土肥になりました。 平成拾八年吉日 氏子 山元芳光書 |
[静岡県伊豆市] 八幡神社(小土肥)
社名 | 八幡神社(はちまんじんじゃ) |
所在地 | 八幡神社 静岡県伊豆市小土肥707 |
社格 | 延喜式内社(青玉比売命神社:論社) 村社 |
御祭神 | |
神紋 | 五三桐紋 |
摂末社 | |
情報源 | 八幡神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/04 なんども訪問している伊豆だが、いつも、土肥から修善寺に抜けてしまうので、なかなか来る機会の少ない小土肥。 大通りに面して鎮座しており、道からも大きな明神鳥居が目立つ。 正面に社殿、左にあるのは神楽殿かな? 社殿を覗くと、五三桐がでーんと存在。八幡なので三つ巴かと思ったけれど、ここは五三桐紋が神紋なのでしょうかね。 境内をうろうろしていたところ、社殿の左側に国土地理院の水準点を発見。 |
御朱印 | |
由緒書 |
[静岡県伊豆市] 土肥神社(土肥)
社名 | 土肥神社(といじんじゃ) |
所在地 | 土肥神社 静岡県伊豆市土肥729-1 |
社格 | 延喜式内(豊御玉命神社) 村社 |
御祭神 | 豊御玉姫命 大鷦鷯尊(おほさざきのみこと) |
神紋 | |
摂末社 | 馬場神社 土肥静霊神社 |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/04 土肥の山の麓に鎮座する。 平地が多くない土肥という場所を考えると、かなり大きい社地の神社。綺麗に整備されている。交差点を曲がると、いきなり白色の大きな明神鳥居が現れる。 社頭の由緒によると式内社の豊御玉命神社であるとされている。 社殿のはクリーム色で、なんとも言えない雰囲気。 社殿を右にすすむと槙と楠の御神木。 それにしても、正月だというのに…全くもって飾りっ気がない。 |
御朱印 | |
由緒書 | 土肥神社由緒 当神社ノ創立年代ハ極メテ古ク、既ニ延喜五年(九〇五)延喜式神名 |
[静岡県伊豆市] 日枝神社(修善寺)
社名 | 日枝神社(ひえじんじゃ) |
所在地 | 日枝神社 静岡県伊豆市修善寺 |
社格 | |
御祭神 | |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/03 所用で修善寺。 温泉街の建物の隙間。気をつけてみないと通り過ぎてしまいそうな場所。 参道を進むと社殿。 ともかく立派な木が幾本も立っており、心が落ち着く感じ。 社殿右には社務所。御朱印の授与を行っておりました。 修善寺というと温泉に入って修禅寺に詣でるというのが定番な感じ。 |
御朱印 | あり |
由緒書 | 日枝神社 日枝神社は修禅寺の鬼門に当たり、弘法大師の建立と言われている。明治元年(1868年)の神仏分離令により分離されたもので、もとは修禅寺の山王社(鎮守)であった。毎年10月18日、19日には例祭が行われ、18日の前夜祭には神輿が練り歩き、威勢の良い掛け声が温泉場中に響き渡る。 |