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[静岡県沼津市] 部田神社(戸田)

社名部田神社(へだじんじゃ)
所在地
部田神社

静岡県沼津市戸田1585
社格延喜式内(部多神社)
郷社(明治六年八月)
御祭神大國主命
熊野櫲樟日命(日枝神社)
猿田比古命(八衢神社)
應神天皇(八幡宮)
大日孁貴命(大神宮)
級長戸邊命(龍田神宮)
級長津彦命(龍田神宮)
聖徳太子(厩戸神社)
神紋五三桐紋
摂末社日枝神社
八衢神社
八幡宮
大神宮
龍田神宮
厩戸神社
忠魂社
情報源部田神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

戸田の市街地から戸田峠の方に進むこと数分。
右手の細道に入るとそこに神社。

新道・旧道の間に鎮座しており、ただ車で走っているだけだと存在に気が付かないかも。

ただ、社地は比較的広く、社殿も迫力がある感じ。

社殿の扉は閉ざされているが、入り口には紙が貼られており、自由に中に入って参拝してよいとのこと。ここは有難くしたがって参拝させてもらう。

どうも伊豆という土地は大盤振る舞いの気質なんだろうか。
ここもご自由に社殿へどうぞだし、ほかでも、拝殿ではなく脇から階段で本殿へどうぞだったり。

社殿裏手には境内社

御朱印
由緒書部田神社

祭神 大国主命
例祭日 十月九日

由緒 当社の創建は古く、延喜式神名帳(九二七)伊豆国那賀郡二十二座の内、部多神社にて伊豆国神階帳(一三四二)従四位上へたの明神に座すと伝う。
古来西伊豆地方の総鎮守として近隣の尊崇厚く氏神社として農漁商工業の守護神福の神として崇敬あつい。
境内には千数百年経た神木、鬱蒼として南隣の妙法蓮華寺は往古当社の別当なるべしと伝へられる。
天正二十年(一五九〇)九月再建明治六年八月郷社に列っす。
境内 四百二十四坪
社殿 両部造
境内社 三社、日枝神社 熊野櫲樟日命  八衢神社-猿田比古命 八幡宮-應神天皇
相殿二社 大神宮-大日孁貴命  龍田神宮 級長戸邊命 級長津彦命 厩戸神社- 聖徳太子 忠魂社

[静岡県伊豆市] 國玉神社(小土肥)

社名國玉神社(くにたまじんじゃ)
所在地
國玉神社

静岡県伊豆市小土肥669
社格延喜式内(國玉命神社)
無格社
御祭神大國主命
または
國玉命
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04

八幡神社に訪問したのち、小土肥大川沿いこちらに訪問。
式内社がこんな距離である。しかもこんなのどかな場所に。

社殿には由緒書きではないが民話が書かれていた。看板に書くにはかなりの長文である。

御朱印
由緒書国玉神社(御社サン)の由来
『子宝の湯、子宝の松』の民話とアスネロの樹コン吉とキツネ火古民話に、天城山頂と久能山頂のキツネ城に王様がいた。仲の悪い原因は駿河湾の所有権。天城の駿河湾だ、久能の駿河湾だと共に一歩も譲らず、常日頃にらみ合っていた。天城の城にはコン吉という美少年王子、久能の城にはコン子という一人娘の姫がいた。二人はいつしか恋心が芽生え、コン吉は泳いで三保の松原、羽衣の松の木陰で愛のひと時、いつしか双方の王様に知れ、結婚どころか二人の王様の仲の悪さは増すばかり。二人は家出を誓い、コン吉は三保海岸から良く見えるキツネ岩にキツネ火を焚き、コン子は故郷の形見に羽衣の松ボックリを口にくわえ、キツネ火をたよりに八里(三〇k)の海、大土肥海岸をめざし泳ぎ着きました。コン子と白酒(甘酒)に、ぬる湯コン子は子どもがお腹にあり、疲労と冷えで息もトギレトギレ、驚いたコン吉はコン子を抱き上げ、ぬる湯(天城の湯)に入れると湯量がコンコンと増えて湧き、白酒(甘酒)を飲ませ体を温め介抱のかいあって、コン子は元気を取り戻し、この時に口にくわえた松ボックリを湯の河原に落としました。二人はキツネ岩に住みつき、コン吉は体の衰弱がひどいコン子に毎日、白酒とぬる湯で母体を温めたので元気になり、無事、子供を産む事ができました。そして、駿河の国伊豆君澤郡大土肥村狐岩城主となり、仲の悪い二人の王様も孫の笑顔を見て、共に笑顔。コン吉コン子も民に親しまれ、近郷の里人はいつしか、ぬる湯を後世「子宝の湯」と言うようになり、小土肥温泉の源泉です。国玉神社(お社サン)と子宝の松
樹高 約百尺(三十三m)

湯の河原に、落とした松ボックリが芽をだし、すくすくと大きくなったので誰言うことなく「子宝の松」(樹齢千数百年)と呼ぶようになりました。里人は、お産の守り神、国玉姫の命を御神体に、子安の神と鬼子母神をまつり、国玉神社を造り、子孫繁栄、産前産後と赤子の産着初参 り、子供に恵まれない人、四百四病の難病非行悩みごとは、子宝の松に抱きつき参拝祈願すると子どもが授かり、悪魔を御払いする御社サンの有り難い神話があります。桃の節句には、身も心も白く清める参斗八升の甘酒を奉納し、「甘酒祭」をして童の育成祈願をしております。

アスネロの樹とチンタチ草

この里には、槙の樹を「アスネロ」、明日葉を「チンタチ」と言う方言がある。千数百年の年月、里人の幸福を授け、昭和半ばに枯死した子宝の松は鬼子母神となり童の育成を願っている。境内には槙アスネロの大樹と原野に明日葉チンタチ山菜が多く生えていて、里料理に授かりいつしか「子宝と夫婦の仲はチンタチを食べてアスもネロ」と夫婦花嫁のお参り、赤子の産着祝いに夫婦重ね餅を奉納、商売繁盛、豊作大漁、福に授かる祈願、長寿と足腰痛の礼参り、槙の大樹を抱く参拝者が多くなりました。近年、境内に愛をささやく若者が増え、恋の芽生えは「縁結び」に御利益が授かる「御社サン」参りと近郷の里人に愛されている「国玉神社」鎮守の御宮です。「子宝の松」弐代目誕生記念に「アスネロの樹」と命名、祝七五三〆(シメ)縄を奉納しております。

大土肥と土肥

古伝説に金山奉行土肥金山街人の数が多く、大土肥は代官村郷で人の数が少ない。勢力争いの根源は川の手長海老を大土肥はガンジャ、土肥はジャンガ、川の小魚を大土肥はカアジ、土肥はモクンチョといまだに双方意地の張り合い。キツネ岩近くに勝負ヶ平の地名がある。どっちが本当か勝負したが未だに決着がついた話はないが、人数の多い金山街を土肥、人数の少ない村郷を小土肥と円満決着したキツネ頓智古話もあります。後日、町政合併で土肥町になり現在は伊豆市小土肥になりました。

平成拾八年吉日 氏子 山元芳光書