「若宮八幡宮」タグアーカイブ

[静岡県松崎町] 若宮八幡宮(船田)

社名若宮八幡宮
所在地
若宮八幡宮

静岡県賀茂郡松崎町船田321
社格
御祭神仁徳天皇
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/05/02

山間の船田の集落のほぼ中央に鎮座。
周りには清流が流れ、子供達が水遊びに興じている。
のどかな日本の原風景。
自然豊かで山の木々と小川のせせらぎ。
こういう風景を見るとあこがれてしまう。

集落のほぼ中心線の奥、子供が水遊びに興じる水路の先に神社。

小さな橋を渡り、純白の台輪鳥居をくぐる。

その先には拝殿。
参拝しようと手を掛けるが…拝殿は硬く扉を閉ざしている。
「ここも伊豆方式か!」
伊豆は拝殿脇から階段を上り、覆殿を開けて直接の参拝となることが多い。
ここもその方式かなと拝殿裏に回り、急な石段を登り、集落を見渡せる覆殿まで登る。
心地よい空気を吸いながら登る階段。これまた心が洗われるような気分。

覆殿前で振り返ると、集落を見下ろす絶景。

残念ながら、覆殿も施錠されていたが、扉の格子越しに参拝。

松崎町史資料によると、覆殿は明治二〇年五月の造立、中の本殿は寛政元年二月の造立とのこと。

御朱印
由緒書(境内掲示)若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)
鎮座地 松崎町船田三二一
御祭神 仁徳天皇
例祭日 二月十一日・十一月三日由緒創建は詳らかでないが、現在残る文正二年(一四六七)の棟札からも古い社であることがわかる。
所蔵する棟札は、文正二年以外、天文十一年(一五四二)等八枚あるがその棟札によれば現在の本殿は寛政元年(一七八九)初代石田半兵衛も参加して造営されたもので、覆殿は明治二十年(一八八七)、拝殿については記載の棟札なく不明である。近年まで境内にスギ・ヒノキ・ケヤキの大木があった。

[静岡県伊豆市] 土肥神社(土肥)

社名土肥神社(といじんじゃ)
所在地
土肥神社

静岡県伊豆市土肥729-1
社格延喜式内(豊御玉命神社)
村社
御祭神豊御玉姫命
大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)
神紋
摂末社馬場神社
土肥静霊神社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04
土肥の山の麓に鎮座する。
平地が多くない土肥という場所を考えると、かなり大きい社地の神社。綺麗に整備されている。交差点を曲がると、いきなり白色の大きな明神鳥居が現れる。

社頭の由緒によると式内社の豊御玉命神社であるとされている。
また、相殿の若宮八幡宮は鎌倉(鶴岡)八幡宮の分霊であり、祭神は大鷦鷯命であるとの事。
ただ、Webで調べてみると、若宮八幡宮は應神天皇と書いているところが多い。
大鷦鷯命は仁徳天皇であり応神天皇とは親子関係であるので、若宮というのであれば、大鷦鷯命が正しい気もする。

社殿のはクリーム色で、なんとも言えない雰囲気。
拝殿の扁額は「鎮護社」。

社殿を右にすすむと槙と楠の御神木。
二本の木の間をしめ縄が張られている。

それにしても、正月だというのに…全くもって飾りっ気がない。
こんなに大きいのに、正月の準備が何もない。アンバランスな感じに少々の違和感を感じながらの参拝となった。

御朱印
由緒書土肥神社由緒

当神社ノ創立年代ハ極メテ古ク、既ニ延喜五年(九〇五)延喜式神名
帳ニ伊豆國那賀郡豐御玉命ノ神社 更ニ伊豆國神階帳ニ従四位上とよ
み玉命ノ明神トアリ 豆誌ニ土肥明神ハ祭神豐御玉命ナルベシ村名土
肥ハ蓋シ神名豐ノ轉訛ナラン 社地ハ村落ノ中央ニアリ真ニ産土ノ神
ニ座ス 又古ク社中ニアル御神ハ姫神ナレバ豆州九十二社ノ一ナルヲ
信ズトモアル 土肥大明神ハ郷土開發ノ靈神トシテ今ニ至ルマデ奉齋
セシハ誠ニ神徳ノ厚キ所以デアル
相殿若宮八幡宮御祭神大鷦鷯命ハ相州鎌倉八幡宮ノ御分靈ヲ建久六年
(一一九五)豆州君澤郡稲田ノ庄土肥高谷ノ城主富永氏ニヨリ勧請サ
レ天文十九年(一五五〇)両神社ノ社殿ヲ再建シ 明治六年(一八七
三)村社ニ列セラレ 昭和三十三年(一九五八)拝殿ヲ新築シ愈々荘
厳サヲ加ヘ鬱蒼タル大樹林ヲ背ニ益々崇敬ノ念ヲ深クサセテイル