「群馬県」カテゴリーアーカイブ

[群馬県桐生市] 織姫神社(織姫町)

社名織姫神社(おりひめじんじゃ)
所在地
織姫神社

群馬県桐生市織姫町1番1号
社格(屋敷神)
御祭神天八千々姫命(あめのやちちひめのみこと)
白瀧姫命
神紋
摂末社稲荷社?
情報源織姫神社 – 桐生市織姫自治会
織姫神社を記念公園に、地元3区準備進める | ウェブ桐生タイムス
訪問記訪問日: 2016/10/07

桐生市市民文化会館の一角に鎮座。
下草などはかられ、きれいに整備されているが、神社としてはなにか物足りなさを感じる境内。

境内には一宇の境内社。特に社名もないが、神紋から稲荷社であろうと推測。

後に謂れを調べてみたところ、もともと本地にあった日本織物会社が自社の繁栄を祈願し、1895(明治28)年、日本織物会社が川内村(現川内町)の白瀧神社から勧請し、敷地内に建立した屋敷神を由来とする神社で、本地がのちに桐生市に譲渡されたのを境に、近隣の自治会が管理を受託する形で運営がなされていたとのこと。想像するに、政教分離の原則から、神社を市が管理する事ができず、自治会に投げたという事なのでしょう。その自治体も過疎の影響で維持ができず、数年前に抜魂式をしたとのこと。

この物足りなさはそのせいなのかもしれません。
抜魂式を行った現在、この建築物を神社と呼んでよいのかどうかというものはあるけれど、やはり、それまでの住民の願いを受け止めてきたこの建築物は、やはり未だに神社であるのだろうと思う。

祭られている白瀧姫命。この白瀧姫命には伝承が残されていて、「桓武天皇の時代、上野国山田郡の男が京都に宮仕えに出た。その際、白瀧姫に恋をした。天皇の前で見事な和歌を披露し、白瀧姫を連れて帰ることを認めてもらう。」と、いう事で桐生に連れてこられた姫らしい。その姫は、桐生に移り住んだのちに、絹織物の技術を地域に伝承したというもの。現在の桐生織は白瀧姫より受け継がれたものなのだと。
白瀧姫は、死後に桐生市川内町の白瀧神社に埋葬され機織神として祀られたという。

御朱印
由緒書

[群馬県桐生市] 雷電神社(錦町)

社名雷電神社(らいでんじんじゃ)
桐生雷電神社
所在地
雷電神社

群馬県桐生市錦町1丁目3−6
社格村社(昭和18年6月)
御祭神火雷神(ほのいかづちのみこと)
神紋
摂末社不明2宇
(八坂神社?)
(八幡神社?)
情報源
訪問記訪問日: 2016/10/06

通りに面した朱色の巨大な明神鳥居。
その鳥居を抜けると、一般的なサイズの明神鳥居。
一の鳥居のサイズが大きかった分、標準サイズの二の鳥居が小さく見える。

鳥居をくぐると社殿。
社殿前には岡崎型の狛犬が一対。

社殿も立派でかなりの大きさ。
また境内にあった瑞鳳殿なる建物もやはりいいサイズ。
この瑞鳳殿はなにかよくわからなかったけれど、おそらくは神楽殿でしょう。

社殿右には境内社。2宇あるが、詳細は不明。
ネットで見ると八幡神社となっているが、地図で確認すると八坂神社。

御朱印掲示あり
由緒書雷電神社の由来

雷電神社は雷除け、雨乞い、五穀豊穣の神として荒戸五ケ村
が雷電山に祭る。永禄二年(一五五九)である。
常見隠岐守が上原に移った時に屋敷神として勧請した。
天和二年(一六八二)である。
その後最勝寺(現在は錦町)が別当寺として祭祀を預かる。
(最勝寺は常見隠岐守の開基と云い、神社に仕え、管理運営を
行っていた。)
亨保、元文の頃、寺と村方とで神社について紛議が起こり、
一時的に村方持ちになったが元文四年(一七三九)上野東叡山
から下書を賜って最勝寺が別当となり明治維新まで継続した。
明治時代より雷電神社はその所在地の鎮守様として、周辺の
崇敬者を氏子として祭祀管理運営されて、春秋二回の祭礼が
行われてきた。
太平洋戦争時は第3区区民が氏子となり、昭和五十九年に
老朽化した本殿、大鳥居等改修し現在にいたる。

祭神 火雷神(ほのいかづちのみこと)

平成二十一年

[群馬県桐生市] 美和神社(宮本町)

社名美和神社(みわじんじゃ)
美和神社 社頭
所在地
美和神社

群馬県桐生市宮本町二丁目1番1号
社格延喜式内
郷社
御祭神大物主櫛甕玉命 – 大物奇甕玉命(おおものぬしくしみかたまのみこと)
素盞嗚命 – 建速須佐之男命(たけすさのおのみこと)※ 建速須佐之男命は旧八坂神社の祭神であり、美和社の祭神は大物奇甕玉命。【琴平神社】
大物主命(おおものぬしのみこと)
【松尾神社】
大山咋命(おおやまくいのみこと)
【八意思兼神社】
思兼命 – 思慮分別の神
【西宮神社】
蛭子大神
神紋三つ巴
摂末社八意思兼神社 – 思兼神社とも。由緒不明。
機神神社
松尾神社 – 京都市左京嵐山北松尾山鎮座 元官幣大社 松尾神社 より勧請
金毘羅神社
西宮神社 – 兵庫県西宮市 西宮神社から分霊勧請
情報源関東一社 桐生西宮神社
桐生市史 別巻
訪問記訪問日: 2016/10/06
桐生駅より北東に約1.2km。駅を北側に出て道なりに進むこと15分ほど。左手に鳥居が見えてくる。「上野国十二社 三輪大明神」「上野国十二社 郷社 美和神社」社頭には「上野国十二社」と示されており、上野国十二社十之宮の美和神社であることが示されています。ざっとネットで検索したところ、もともとは三輪大明神と称していたところ、明治期に美和神社と改めたとのこと。「明神鳥居」をくぐり、境内へ。正面には美和神社の拝殿。
左側には神楽殿、境内社の八意思兼神社、機神神社、神輿倉。
右には松尾神社、金毘羅神社、西宮神社。もちろん、狛犬も一対。よく見かけるタイプ。狛犬は詳しく無いけれど、「江戸狛犬」というタイプの様です。右は口を開け、左は口を閉じています。松尾神社は美和神社のすぐ脇、独立して「明神鳥居」があり、一段高い位置に覆殿。金毘羅神社は松尾神社の隣。やはりこちらも独立して「明神鳥居」。ただ、鳥居の扁額には「琴平神社」。社殿は金毘羅神社。その奥に西宮神社。境内社ではありますが、規模的には神社が2社並んでいる様な感じ。
むしろ、こちらの神社の方が大きい様にも見えます。