社名 | 道部神社(みちぶじんじゃ) |
所在地 | 道部神社 静岡県賀茂郡松崎町道部387 |
社格 | 無格社 静岡県神社庁神社等級(十四等級神社) |
御祭神 | 水波能売命(みずはのめのみこと) |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | 道部神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/01 R136を松崎から岩地の方に向かう。 海辺の平坦な場所から急に駆け上がる山肌。 白い明神鳥居をくぐり、階段を上ると社殿。拝殿と覆屋。 拝殿を覗くと、神社等級認証書が御多分に洩れず掲げてあり、それによると十四等級神社との事。 後に調べてみると、祭りの時期には三番叟が奉納されるとのこと。 南豆風土誌によると、岩科村道部字横道にある道部神社が当社であると思われる。 |
御朱印 | |
由緒書 | 松崎町役場のWebサイトによると
とのこと。 |
「明神鳥居」タグアーカイブ
[静岡県西伊豆町] 多爾夜神社(安良里)
社名 | 多爾夜神社(たにやじんじゃ) |
所在地 | 多爾夜神社 静岡県賀茂郡西伊豆町安良里321(旧:安良里村字宮脇) |
社格 | 延喜式内(多尓夜神社) 村社 静岡県神社庁神社等級(十一等級神社) |
御祭神 | 積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬしのみこと) |
神紋 | |
摂末社 | 津島神社 大神宮 走湯神社 |
情報源 | 多爾夜神社 – 静岡県神社庁 新南豆風土誌 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/01 若大将のクルーザーが係留されているという安良里の入り江を見ながら国道を北上。トンネルを抜けるとすぐの信号を右折。 何度か訪問しているが、いつも扉が閉ざされており参拝すらできない状況だったけれど。さすがに正月という事で念願叶う。 本殿の左右にも小さな本殿。左に1宇、右に2宇の本殿。いずれかが、津島神社、大神宮、走湯神社という事なのでしょう。 そして、静岡らしく「神社等級認証書」も掲示されていた。十一等級神社のようである。 多爾夜神社というと、見た事はないが「猿っ子踊り」を思い出す。この地域の神事で、猿に扮した子どもが舞を奉納するのだとか。 新南豆風土誌には、「慶長13年 再建」とあり、少なくとも、1608年には鎮座していた神社ということになるようだ。 |
御朱印 | |
由緒書 |
[静岡県西伊豆町] 哆胡神社(合の浦)
社名 | 哆胡神社(たごじんじゃ) |
所在地 | 哆胡神社 静岡県賀茂郡西伊豆町田子203-1(旧:田子村合の浦) |
社格 | 村社 延喜式内(哆胡神社 – 比定) |
御祭神 | 積羽八重事代主命(つみはやへことしろぬしのおおかみ) 哆胡若宮命(たごわかみやのおおかみ) 八幡大神(やはたのおおかみ) ※ 南豆風土誌・新南豆風土誌 多胡若宮命 積羽八重事代主命 |
神紋 | |
摂末社 | 神明社(天照大神) 山神社(大山祇神) 天神社(菅原道真命) 天玉社(須佐之男命) 稲荷社 摂末社の扱いではないが、境内内にある神社 恵比寿社 |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/01 ここのところ、毎年の初詣はここにしている。旧136号線を進み、田子の隧道をくぐると、急峻な階段。 階段を登りきると明神鳥居と狛犬がお出迎え。 登りきったところに社殿。さすが元日だけあって、多くの人で賑わっている。拝殿と覆屋を兼ねた社殿の中には本殿。 ちょうどご祈祷を受けている方がおり、その後ろから参拝。 多くの人は気がつかないが、社殿の右脇奥に境内社。 こちらも参拝し、今年の初詣とする。北側階段の途中に少々大きめな広場があり、奥手前で段差がある構造。 古くを知らないが、昔の社地はこちらだったのかもしれない。 今は招魂社のみがひっそりと佇むのみである。 ただ、ここからの大田子海岸の眺めはなかなかである。 祭神であるが、社頭の由緒によると、積羽八重事代主命、哆胡若宮命、八幡大神の3柱となっている。 |
御朱印 | |
由緒書 | 哆胡神社 鎮座地 西伊豆町田子1100番地の1 ※ 天玉社(須佐之男命)、いろいろ調べたが天玉社の正体は不明。天王社の誤記だとすると、牛頭天王社ということになるけれど。 |
[静岡県伊豆の国市] 廣瀬神社(田京)
社名 | 廣瀬神社(ひろせじんじゃ) 広瀬神社 |
所在地 | 廣瀬神社 静岡県伊豆の国市田京1-1 |
社格 | 延喜式内(田方郡 廣瀬神社) 県社 |
御祭神 | 溝樴姫命 外二神 – 静岡縣神社志 による 三島溝樴姫命(みしまみぞくひひめのみこと) |
神紋 | 五七の桐紋 |
摂末社 | 見目神社・龍爪神社など八社を合祀 祖霊社
– 静岡縣神社志 による 見目神社(六座 波布比賣命 久爾都比賣命 伊賀牟比咩命 伊波乃比賣命 佐伎多摩比咩命) |
情報源 | 廣瀬神社 – 静岡県神社庁 静岡縣神社志 |
訪問記 | 訪問日: 2016/12/31 大晦日の早朝。 社頭付近に駐車場があったので、そこにクルマを駐車し、参拝。 真新しい狛犬に明神鳥居 その奥に社殿。 社殿裏には境内社、そして土俵、神楽殿。 明日の正月に向けて準備が開始されているようで、境内には薪が大量に積まれており、それらを燃やすのであろう場所が設けられていた。静寂な朝ではあるが、なんとなくせわしない空気を感じる。 |
御朱印 | |
由緒書 | 大仁町指定文化財 広瀬神社の杜(森)延喜式内社であり、神階帳従一位広瀬の明神と いう。祭神は、溝樴姫命外二神。見目神社・龍爪 神社など八社を合祀、祖霊社を祀っている。田方 一の大社である。 社伝によれば、三島大社はその昔下田の白浜か らこの地に移り、後に三島に遷祀したという。 天正十八年(一五九一)豊臣秀吉による韮山城 (北条氏)攻めの際兵火に遭い社殿ことごとく焼 失している。慶長元年(一五九六)に再建、江戸 時代には深沢明神として崇敬された。明治二十八 年(一八九五)より広瀬と称える。 例大祭は、毎年十一月三日に行われ、大仁町指 定無形文化財の式三番が奉納される。 境内には、クスノキ・ムクノキ・ケヤキ・カヤ ノキ・マキノキ・スギなど多くの樹木がある。ま た、海浜性のヒメユズリハ・モクレイシ・トベラ など注目すべきものがある。 大仁町教育委員会 |
[群馬県桐生市] 雷電神社(錦町)
社名 | 雷電神社(らいでんじんじゃ) 桐生雷電神社 |
所在地 | 雷電神社 群馬県桐生市錦町1丁目3−6 |
社格 | 村社(昭和18年6月) |
御祭神 | 火雷神(ほのいかづちのみこと) |
神紋 | |
摂末社 | 不明2宇 (八坂神社?) (八幡神社?) |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/10/06 通りに面した朱色の巨大な明神鳥居。 鳥居をくぐると社殿。 社殿も立派でかなりの大きさ。 社殿右には境内社。2宇あるが、詳細は不明。 |
御朱印 | 掲示あり |
由緒書 | 雷電神社の由来 雷電神社は雷除け、雨乞い、五穀豊穣の神として荒戸五ケ村 祭神 火雷神(ほのいかづちのみこと) 平成二十一年 |
[群馬県桐生市] 美和神社(宮本町)
社名 | 美和神社(みわじんじゃ) |
所在地 | 美和神社 群馬県桐生市宮本町二丁目1番1号 |
社格 | 延喜式内 郷社 |
御祭神 | 大物主櫛甕玉命 – 大物奇甕玉命(おおものぬしくしみかたまのみこと) 素盞嗚命 – 建速須佐之男命(たけすさのおのみこと)※ 建速須佐之男命は旧八坂神社の祭神であり、美和社の祭神は大物奇甕玉命。【琴平神社】 大物主命(おおものぬしのみこと) 【松尾神社】 大山咋命(おおやまくいのみこと) 【八意思兼神社】 思兼命 – 思慮分別の神 【西宮神社】 蛭子大神 |
神紋 | 三つ巴 |
摂末社 | 八意思兼神社 – 思兼神社とも。由緒不明。 機神神社 松尾神社 – 京都市左京嵐山北松尾山鎮座 元官幣大社 松尾神社 より勧請 金毘羅神社 西宮神社 – 兵庫県西宮市 西宮神社から分霊勧請 |
情報源 | 関東一社 桐生西宮神社 桐生市史 別巻 |
訪問記 | 訪問日: 2016/10/06 桐生駅より北東に約1.2km。駅を北側に出て道なりに進むこと15分ほど。左手に鳥居が見えてくる。「上野国十二社 三輪大明神」「上野国十二社 郷社 美和神社」社頭には「上野国十二社」と示されており、上野国十二社十之宮の美和神社であることが示されています。ざっとネットで検索したところ、もともとは三輪大明神と称していたところ、明治期に美和神社と改めたとのこと。「明神鳥居」をくぐり、境内へ。正面には美和神社の拝殿。 左側には神楽殿、境内社の八意思兼神社、機神神社、神輿倉。 右には松尾神社、金毘羅神社、西宮神社。もちろん、狛犬も一対。よく見かけるタイプ。狛犬は詳しく無いけれど、「江戸狛犬」というタイプの様です。右は口を開け、左は口を閉じています。松尾神社は美和神社のすぐ脇、独立して「明神鳥居」があり、一段高い位置に覆殿。金毘羅神社は松尾神社の隣。やはりこちらも独立して「明神鳥居」。ただ、鳥居の扁額には「琴平神社」。社殿は金毘羅神社。その奥に西宮神社。境内社ではありますが、規模的には神社が2社並んでいる様な感じ。 むしろ、こちらの神社の方が大きい様にも見えます。 |
[静岡県南伊豆町] 三島神社(下小野)
社名 | 三島神社(みしまじんじゃ) |
所在地 | 三島神社 静岡県賀茂郡南伊豆町下小野166 |
社格 | 延喜式内(阿米都加多比咩神社) 郷社 神社等級認証書 静岡県神社庁神社等級(十一等級神社) |
御祭神 | 阿米都加多比咩命(あめつかたひめのみこと) 誉田別命 |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/08/26 すこし角度が急な石段を登ると金属製の明神鳥居。 社殿前には一対の狛犬が鎮座。 社殿右手は広場になっており 社殿脇には鎮魂碑。 延喜式内の阿米都加多比咩神社に比定されるらしい。 南豆風土誌にある、 神社名:三島明神 が該当すると思われる。 建武二年とあるので、1336年に再建されたということか。 |
御朱印 | |
由緒書 |
[静岡県松崎町] 嵐稲荷神社(松崎)
社名 | 嵐稲荷神社 (あらしいなりじんじゃ) |
所在地 | 嵐稲荷神社 静岡県賀茂郡松崎町松崎 |
社格 | |
御祭神 | |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/08/24 長八美術館の駐車場の奥付近にひっそりと鎮座。 |
御朱印 | |
由緒書 | 250年ほど前までは道部にあった稲荷社だが、宝暦9年(1759)7月17日の洪水のとき、道部と松崎の村境に流れ着いた。 それ以来、「嵐の稲荷」と呼ばれている。 当時、道部村の住民たちは「普通なら海に流れ出るところだったが、まだ道部に未練があったためここにとどまったのだ」と主張。 片や松崎村側では『道部に愛想をつかして流れてきたのだから、松崎でまつるのが当然』と争ったが、結局は両方の村が共同で、流れ着いたその場所にまつることになった、と伝えられている。 |
[福島県本宮市] 愛宕神社(舘ノ越)
社名 | 愛宕神社(あたごじんじゃ) |
所在地 | 愛宕神社 福島県本宮市本宮字舘ノ越53番地 |
社格 | |
御祭神 | 火産霊命(ほむすびのみこと)? 推定 |
神紋 | |
摂末社 | 妙見神社 |
情報源 | (法人名)の情報|国税庁法人番号公表サイト 本宮城 三本松城 瀬戸川館 観音堂陣場 仁井田館 余湖 |
訪問記 | 訪問日: 2016/07/17 本宮小学校の南側。 昔からある愛宕神社。でも、市販の地図にはあまり載っていない。 まぁ、大きなものでも無いし、観光的要素も無い。そういうことなのでしょう。 明神鳥居を抜ける。鳥居の周りには庚申塚や二十三夜などが散見される。地域柄、この手の物は多い。 急傾斜の階段を登り、社殿。 境内社は妙見社。ここからの眺めはなかなか。本宮市を一望できる。よくよく調べてみると、ここ本宮城の物見・出城の跡では無いかと推測されている様だ。 なんとなく合点が行く景色である。目が良ければ人取橋合戦場の手前の高台まで見ることができる眺望である。 |
御朱印 |
[東京都板橋区] 向原八雲神社(向原)
社名 | 向原八雲神社(むかいはらやくもじんじゃ) |
所在地 | 向原八雲神社 東京都板橋区向原2丁目4−7 |
社格 | |
御祭神 | 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) |
神紋 | 祇園守紋 |
摂末社 | |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/06/06 地下鉄有楽町線の小竹向原駅より千川駅へ向かう途中に鎮座。 地下鉄の通る表通りではなく、一本裏の住宅街の中。 静かな通りに小ぶりな明神鳥居。入口が狭く多少窮屈に感じるが、奥には立派な社。 神社自体は八雲神社ということで、須佐之男命を祭っているという事になっているが、京都の八坂神社所縁の珍しい御神紋「祇園守」をいただいていたり、古から「天王さま」と呼ばれていたりすることから、本来は牛頭天王社であったものが、明治期に須佐之男命として現在に至るものと推測される。 総社が津島神社であるという事は、牛頭天王を祭神としていたことは間違いないでしょう。この辺りは、大宮の氷川神社由来の素戔嗚尊と牛頭天王社由来の須佐之男命が入り混じる。 そのあたりを推測しながら参拝するのも一つの楽しみ方ではないかと思う。 |
御朱印 | |
由緒書 | 向原八雲神社 御由緒 御祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) 当神社は江戸時代この地域の先祖が現在の向原一丁目に勧請し、江戸時代末期頃現在の地に遷されたと伝えられており、現在は向原地域の鎮守社としてお祀りしております(尚、向原地域の氏神は東新町に鎮座する氷川神社であります) 当神社には「祇園守」という京の祇園神社(現八坂神社)所縁の珍しい御神紋が有り、また古から「天王さま」と呼ばれ親しまれております。当神社の総社は愛知の津島神社であることから同御祭神の八坂様と共に深い所縁がございます 八雲神社は古来より疫病や天災を祓う神様として崇められておりますが、更に健康や家内安全・商売繁盛・学問成就などに御利益があるとして、向原地域のみならず近隣諸地域の皆様から厚い崇敬をいただいております。 比度、平成十九年丁亥九月崇敬者各位の御奉賛により新社殿が竣工致しました。この奉賛事業を記念し、永く御由緒之碑を奉納致します。 平成十九年九月四日 向原八雲神社奉賛会 |
向原八雲神社信仰関係資料 向原八雲神社は、須佐之男命を祭神とし、当地の鎮守であったと伝えられています。元々は向原一丁目に祀られていましたが、江戸期に現在地へと移座したとされます。 当社には、富士・大山信仰に関する資料があります。境内の手水鉢は、富士講の講中の一つである山万講の枝講で、上板橋村に展開した丸證講が江戸期に奉納したもので、そこに刻まれている世話人には、富士山三十三度成就を果たした大先達である向原の三原松五郎の名前が確認できます。 大山信仰に関わる資料としては、木太刀や神酒枠があります。木太刀は大山まで講員が持参し、良弁の滝で水垢離をした後に神前へと奉納され、それと引換えに以前奉納した木太刀を持ち帰ってお守りとするものです。神酒枠は大山へ御神酒を奉納し、帰りに御神水を入れる御神輿状のもので、これらは区内では当社だけに確認されています。 他にも、明治四年(一八七一)以降の年紀を持つ、榛名・大山・富士・古峯・武州御嶽・木曾御嶽などへの登拝講にかかわる古文書と、当地「オビシャ」信仰に関わる古文書も管理しています。 これらの八雲神社の信仰関係資料は、当地の江戸期以降の祭祀や登拝講について、その組織の実態などをあきらかとする貴重な資料群であり、平成二十年度に区登録有形民俗文化財となりました。 平成二十一年九月 板橋区教育委員会 |