「鎮座地」カテゴリーアーカイブ

[静岡県沼津市] 諸口神社(戸田)

社名諸口神社(じんじゃ)
所在地
諸口神社

静岡県沼津市戸田2710
社格延喜式内(国玉姫命神社)
村社
御祭神弟橘姫命
神紋丸に右三つ巴紋
摂末社
情報源諸口神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

戸田の砂洲の先端部分に鎮座する。
鳥居の位置からすると、参道は海側ということになるのだろう。鳥居の前には小さい突堤があり、船でそこまでつけて参拝すれば順通りである。
ただ、船を持っていない人にとってはそれは叶わぬ参拝方法で、砂洲沿いに道を進み、傍から参拝することになる。脇とは言っても、社殿が横を向いた形になることを除けば、なかなかの風格。
朱色の大きな明神鳥居をくぐると長い参道。両側には南国の香り漂う立木。
そこを抜けると社殿脇にでる。参拝。
砂浜に立つ社殿。
海辺の古社というのは、津波などの影響から一定の距離、高さを持って鎮座することが多い。
そして、例外なく海に向かって鳥居がある。
ここは式内社ということで、古社であることは間違いないのだろう。
ただ、砂洲に鎮座するこの場所であれば、津波など起きればひとたまりもないだろう。
都度、再建されてきた歴史があるのか…それとも、津波の難を逃れられる奇跡の場所なんだろうか。
そんなことを思いつつ参拝したのち、更に先に進む。

社殿を通り抜け直進すると浜辺に鳥居。

先の突堤から鳥居、社殿を望む。脇に映る富士山と合わせて良い絵となった。

御朱印
由緒書諸口神社
祭神 橘姫命
例祭日 四月四日
由緒 当社の創建由緒等詳ならざれども増訂豆州志稿によれば、延喜式神名帳伊豆国那賀郡二十二座の内国玉姫命神社にて伊豆国神階帳従四位上もろき姫の明神に座すとなす。
もろき姫、国玉姫、橘姫は同一神でもあらうか現称諸口はもろきと同語にて古来当社を辨天と称し、女神なること明らかなり。航海及漁業者の守護神とし崇敬あつく海上安全大漁満足を祈願し諸船この沖を通過すると言う。
応永八年三月(一四〇二)再建、明治十二年八月村社に列す。
現社殿は昭和二十八年四月改築
社宝
応永八年三月吉日棟札
鰐口 武蔵国吉見郡久米田郷施主等敬白
諸口大明神 応永八年辛己霜月十五日とあり(日 本金石年表に見える)
註 延喜式内とは醍醐天皇の朝廷延喜年間(九〇一~九二七)撰修の延喜式神名帳所載の神社の意にて単に式内社又は式社とも言う。

[静岡県伊豆市] 國玉神社(小土肥)

社名國玉神社(くにたまじんじゃ)
所在地
國玉神社

静岡県伊豆市小土肥669
社格延喜式内(國玉命神社)
無格社
御祭神大國主命
または
國玉命
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04

八幡神社に訪問したのち、小土肥大川沿いこちらに訪問。
式内社がこんな距離である。しかもこんなのどかな場所に。

社殿には由緒書きではないが民話が書かれていた。看板に書くにはかなりの長文である。

御朱印
由緒書国玉神社(御社サン)の由来
『子宝の湯、子宝の松』の民話とアスネロの樹コン吉とキツネ火古民話に、天城山頂と久能山頂のキツネ城に王様がいた。仲の悪い原因は駿河湾の所有権。天城の駿河湾だ、久能の駿河湾だと共に一歩も譲らず、常日頃にらみ合っていた。天城の城にはコン吉という美少年王子、久能の城にはコン子という一人娘の姫がいた。二人はいつしか恋心が芽生え、コン吉は泳いで三保の松原、羽衣の松の木陰で愛のひと時、いつしか双方の王様に知れ、結婚どころか二人の王様の仲の悪さは増すばかり。二人は家出を誓い、コン吉は三保海岸から良く見えるキツネ岩にキツネ火を焚き、コン子は故郷の形見に羽衣の松ボックリを口にくわえ、キツネ火をたよりに八里(三〇k)の海、大土肥海岸をめざし泳ぎ着きました。コン子と白酒(甘酒)に、ぬる湯コン子は子どもがお腹にあり、疲労と冷えで息もトギレトギレ、驚いたコン吉はコン子を抱き上げ、ぬる湯(天城の湯)に入れると湯量がコンコンと増えて湧き、白酒(甘酒)を飲ませ体を温め介抱のかいあって、コン子は元気を取り戻し、この時に口にくわえた松ボックリを湯の河原に落としました。二人はキツネ岩に住みつき、コン吉は体の衰弱がひどいコン子に毎日、白酒とぬる湯で母体を温めたので元気になり、無事、子供を産む事ができました。そして、駿河の国伊豆君澤郡大土肥村狐岩城主となり、仲の悪い二人の王様も孫の笑顔を見て、共に笑顔。コン吉コン子も民に親しまれ、近郷の里人はいつしか、ぬる湯を後世「子宝の湯」と言うようになり、小土肥温泉の源泉です。国玉神社(お社サン)と子宝の松
樹高 約百尺(三十三m)

湯の河原に、落とした松ボックリが芽をだし、すくすくと大きくなったので誰言うことなく「子宝の松」(樹齢千数百年)と呼ぶようになりました。里人は、お産の守り神、国玉姫の命を御神体に、子安の神と鬼子母神をまつり、国玉神社を造り、子孫繁栄、産前産後と赤子の産着初参 り、子供に恵まれない人、四百四病の難病非行悩みごとは、子宝の松に抱きつき参拝祈願すると子どもが授かり、悪魔を御払いする御社サンの有り難い神話があります。桃の節句には、身も心も白く清める参斗八升の甘酒を奉納し、「甘酒祭」をして童の育成祈願をしております。

アスネロの樹とチンタチ草

この里には、槙の樹を「アスネロ」、明日葉を「チンタチ」と言う方言がある。千数百年の年月、里人の幸福を授け、昭和半ばに枯死した子宝の松は鬼子母神となり童の育成を願っている。境内には槙アスネロの大樹と原野に明日葉チンタチ山菜が多く生えていて、里料理に授かりいつしか「子宝と夫婦の仲はチンタチを食べてアスもネロ」と夫婦花嫁のお参り、赤子の産着祝いに夫婦重ね餅を奉納、商売繁盛、豊作大漁、福に授かる祈願、長寿と足腰痛の礼参り、槙の大樹を抱く参拝者が多くなりました。近年、境内に愛をささやく若者が増え、恋の芽生えは「縁結び」に御利益が授かる「御社サン」参りと近郷の里人に愛されている「国玉神社」鎮守の御宮です。「子宝の松」弐代目誕生記念に「アスネロの樹」と命名、祝七五三〆(シメ)縄を奉納しております。

大土肥と土肥

古伝説に金山奉行土肥金山街人の数が多く、大土肥は代官村郷で人の数が少ない。勢力争いの根源は川の手長海老を大土肥はガンジャ、土肥はジャンガ、川の小魚を大土肥はカアジ、土肥はモクンチョといまだに双方意地の張り合い。キツネ岩近くに勝負ヶ平の地名がある。どっちが本当か勝負したが未だに決着がついた話はないが、人数の多い金山街を土肥、人数の少ない村郷を小土肥と円満決着したキツネ頓智古話もあります。後日、町政合併で土肥町になり現在は伊豆市小土肥になりました。

平成拾八年吉日 氏子 山元芳光書

[静岡県伊豆市] 八幡神社(小土肥)

社名八幡神社(はちまんじんじゃ)
所在地
八幡神社

静岡県伊豆市小土肥707
社格延喜式内社(青玉比売命神社:論社)
村社
御祭神
神紋五三桐紋
摂末社
情報源八幡神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

なんども訪問している伊豆だが、いつも、土肥から修善寺に抜けてしまうので、なかなか来る機会の少ない小土肥。
久しぶりに通ってみたら…今まで気がつかなかったけれど、こんなにも目立つ形で神社があったのか。

大通りに面して鎮座しており、道からも大きな明神鳥居が目立つ。
鳥居には「八幡宮」との扁額。

正面に社殿、左にあるのは神楽殿かな?
鳥居は大きいが、それ以外は非常に簡素な印象。

社殿を覗くと、五三桐がでーんと存在。八幡なので三つ巴かと思ったけれど、ここは五三桐紋が神紋なのでしょうかね。

境内をうろうろしていたところ、社殿の左側に国土地理院の水準点を発見。
水準点はいろいろなところにあるけれど、割と伝統のある神社の境内なんかに多い。
こんなところでも少しばかり歴史を感じる。

御朱印
由緒書

[静岡県伊豆市] 土肥神社(土肥)

社名土肥神社(といじんじゃ)
所在地
土肥神社

静岡県伊豆市土肥729-1
社格延喜式内(豊御玉命神社)
村社
御祭神豊御玉姫命
大鷦鷯尊(おほさざきのみこと)
神紋
摂末社馬場神社
土肥静霊神社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04
土肥の山の麓に鎮座する。
平地が多くない土肥という場所を考えると、かなり大きい社地の神社。綺麗に整備されている。交差点を曲がると、いきなり白色の大きな明神鳥居が現れる。

社頭の由緒によると式内社の豊御玉命神社であるとされている。
また、相殿の若宮八幡宮は鎌倉(鶴岡)八幡宮の分霊であり、祭神は大鷦鷯命であるとの事。
ただ、Webで調べてみると、若宮八幡宮は應神天皇と書いているところが多い。
大鷦鷯命は仁徳天皇であり応神天皇とは親子関係であるので、若宮というのであれば、大鷦鷯命が正しい気もする。

社殿のはクリーム色で、なんとも言えない雰囲気。
拝殿の扁額は「鎮護社」。

社殿を右にすすむと槙と楠の御神木。
二本の木の間をしめ縄が張られている。

それにしても、正月だというのに…全くもって飾りっ気がない。
こんなに大きいのに、正月の準備が何もない。アンバランスな感じに少々の違和感を感じながらの参拝となった。

御朱印
由緒書土肥神社由緒

当神社ノ創立年代ハ極メテ古ク、既ニ延喜五年(九〇五)延喜式神名
帳ニ伊豆國那賀郡豐御玉命ノ神社 更ニ伊豆國神階帳ニ従四位上とよ
み玉命ノ明神トアリ 豆誌ニ土肥明神ハ祭神豐御玉命ナルベシ村名土
肥ハ蓋シ神名豐ノ轉訛ナラン 社地ハ村落ノ中央ニアリ真ニ産土ノ神
ニ座ス 又古ク社中ニアル御神ハ姫神ナレバ豆州九十二社ノ一ナルヲ
信ズトモアル 土肥大明神ハ郷土開發ノ靈神トシテ今ニ至ルマデ奉齋
セシハ誠ニ神徳ノ厚キ所以デアル
相殿若宮八幡宮御祭神大鷦鷯命ハ相州鎌倉八幡宮ノ御分靈ヲ建久六年
(一一九五)豆州君澤郡稲田ノ庄土肥高谷ノ城主富永氏ニヨリ勧請サ
レ天文十九年(一五五〇)両神社ノ社殿ヲ再建シ 明治六年(一八七
三)村社ニ列セラレ 昭和三十三年(一九五八)拝殿ヲ新築シ愈々荘
厳サヲ加ヘ鬱蒼タル大樹林ヲ背ニ益々崇敬ノ念ヲ深クサセテイル

[静岡県伊豆市] 神明神社(八木沢)

社名神明神社(しんめいじんじゃ)
所在地
日枝神社

静岡県伊豆市八木沢80
社格延喜式内(甕玉命神社)
御祭神甕玉姫命
神紋
摂末社
情報源神明神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

こんなところに神社?

正直言って、わかっていても見落としそうな場所。
旧道から海方面に下る細い道を下ると社殿と鳥居。

鹿島鳥居が立っているから神社だとわかるけれど、これがなかったら場所が場所だけになにかの倉庫である。
これが式内社だというのだから…時間というのは色々なことを変えていくんだなと感慨深く感じさせる。

御朱印
由緒書

[静岡県伊豆市] 高根神社(上船原)

社名高根神社(たかねじんじゃ)
所在地
高根神社

静岡県伊豆市上船原134
社格
御祭神味鋤高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
神紋五三桐
摂末社
情報源高根神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/03

土肥に向かう街道沿い。
普段は夜明け前か夜中しか通らないこの道。久々に昼間に通ると発見がある。
街道沿いに鳥居。

明神鳥居にはしめ縄。ただ、かなり低い位置に締められており屈みながらくぐる感じ。
伝統的にこうなのか、過疎で高いところにしめ縄を張れる若い人もいなくなってしまっtのか…。

鳥居をくぐると正月を迎え綺麗になった社殿が見えてくる。

社殿の前にはさらに不思議なしめ縄。
笹の柱に竹の渡し柱。その柱に前掛け状のしめ縄。
こちらも大人だと若干は屈まないと通れない。
もしかすると、この地域は屈みながら通るってのに何かしらのものがあるのかもしれない。

参拝。

社殿内には、静岡らしく神社等級認証書。十一等級神社との事。

御朱印
由緒書高根神社

鎮座地 天城湯ケ島町上船原一三四
御祭神 味鋤高日子根命(あじすきたかひこねのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと) 大山祇命(おおやまつみのみこと)
例祭日 十月二十九日

由 緒
容赦往昔は「宮の沢」に鎮座して
いたが、寛文十一年(一六七一)
の洪水で現在地まで流出したため
当地に社殿を再建したといわれる
創建年代は詳らかでない。
当社は上船原の一の宮としての社
格を具備し、四辺の崇敬を集めて
いた。氏子住民が禍除招福の悉く
を祈願し、その加護を得ていた。
今でも祝事があると、その報告と
将来の安全・幸せを祈願すること
を習としている。

[静岡県伊豆市] 日枝神社(修善寺)

社名日枝神社(ひえじんじゃ)
所在地
日枝神社

静岡県伊豆市修善寺
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/03

所用で修善寺。
ついでに特に用事もないが修禅寺へ。
そのまたついでにお隣の鎮守へ。

温泉街の建物の隙間。気をつけてみないと通り過ぎてしまいそうな場所。
覗き込むと明神鳥居がお出迎え。

参道を進むと社殿。

ともかく立派な木が幾本も立っており、心が落ち着く感じ。
こういう木の感じこそが、神社の神域であると感じさせる。

社殿右には社務所。御朱印の授与を行っておりました。
常に誰かがおられるのか、正月だからかは聞きそびれたけれど…。
社殿左奥には不明の境内社が数宇。

修善寺というと温泉に入って修禅寺に詣でるというのが定番な感じ。
修禅寺も悪くわないけれど、それよりこっちの方が歴史を感じられそうだ。

御朱印あり
由緒書日枝神社

日枝神社は修禅寺の鬼門に当たり、弘法大師の建立と言われている。明治元年(1868年)の神仏分離令により分離されたもので、もとは修禅寺の山王社(鎮守)であった。毎年10月18日、19日には例祭が行われ、18日の前夜祭には神輿が練り歩き、威勢の良い掛け声が温泉場中に響き渡る。
境内には夫婦杉の大木や、静岡県指定天然記念物の一位樫などがそびえ立っている。一位樫は九州地方に育成する木で伊豆では珍しい。
また源範頼が幽閉され住んでいたという信功院跡(庚申塔のみ現存)もある。

[静岡県西伊豆町] 弁財天(沢田)

社名弁財天
弁財天宗像宮
所在地
弁財天宗像宮

静岡県賀茂郡西伊豆町仁科
社格
御祭神市杵島姫命
神紋
摂末社
情報源西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編
訪問記訪問日: 2017/01/02

毎年恒例の仁科港での餅まきを見物。
見ていると港の突端の崖の上に鳥居のようなものを発見。
散歩がてら訪問。

水門を出てすぐのところに登り口があり、そこから遊歩道を登る。
登り初めてすぐ、赤の鹿島鳥居が見えてくる。鹿島鳥居とはいうものの額束があるので、呼び方としてはちょっと違うのかも。

小さな祠。
脇には神域整備の記載があり、そこに「弁財天宗像宮」とあった。
それ以外の由緒は不明。

弁財天宗像宮だし、祭神は市杵島姫命なのでしょう。

—-

後に西伊豆町誌を手に入れ…詳細を確認

縁起に関しては造立年月日等は不明だが、棟札によれば、元禄十一戌寅年とあり、周囲の弁財天の勧請時期から元禄年代ごろであろうとのこと。
そこそこの古社である。
管理は仁科漁業協同組合と一本釣組合が行っており。例祭は3月17日に行われているとのこと。

御朱印
由緒書

[静岡県松崎町] 諸石神社(岩地)

社名諸石神社(もろいそじんじゃ)
所在地
諸石神社

静岡県賀茂郡松崎町岩地34
社格村社
御祭神高皇産霊神
神紋
摂末社
情報源諸石神社 | 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/01

岩地に鎮座。
海岸沿いの道にひっそりと案内板。そこから本当に細い路地を入り進む。
いきなり両部鳥居が現れ社地へ。

拝殿脇から裏に回ると急な階段。
登りきると本殿。

振り返ると綺麗に海が見える。特等席のような場所。
ただ、階段がかなり急。登りはいいが下りはちょっと怖い。

南豆風土誌によると、寛永四年の棟札があるとのこと。

御朱印
由緒書

[静岡県松崎町] 國柱命神社(岩科南側)

社名國柱命神社(くにはしらみことじんじゃ)
神明宮
所在地
國柱命神社

静岡県賀茂郡松崎町岩科南側176-1
社格延喜式内(國柱命神社)
村社
御祭神國柱姫命
小鷹神(小鷹神社)
茂山神(茂山神社)
神紋
摂末社小鷹神社
茂山神社
琴平社
情報源國柱命神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/01

松崎町の中心地から国道136号をまっすぐに進む。
長八美術館前の交差点で国道136号は右に折れていくが、気にせずに直進。
県道121号を進み伊豆太陽農協岩科支店まえで右折し宇治橋を渡る。
道が細くこの道でいいのかな?と思いながら道に入る…曲がるとすぐ右側に駐車場。その奥隣の路地というより隙間と表現するような道に入り込み、本当に細い道をひたすら登っていく。地元の車は細路地を車で普通に入っていくが、伊豆の道に慣れてないと前にも後ろにも進めなくなるかもしれない。伊豆の西側地域は非常に軽自動車率が高い。たぶん、こういう道が多いからなのだろう。路地を登り切ると白く大きな両部鳥居が見えてくる。

鳥居の扁額には「神明宮」と記載されている。
だが、実際の社名は國柱命神社(くにはしらみことじんじゃ)らしい。
かなり見晴らしはよく、近隣を一望できるいいロケーション。

南豆風土誌によると、「有建治二年版書」とある。

御朱印
由緒書