社名 | 御嶽普寛神社(おんたけふかんじんじゃ) |
![]() | |
所在地 | 御嶽普寛神社 埼玉県秩父市大滝944 |
社格 | 単立神社 |
御祭神 | – |
神紋 | 山丸三 |
摂末社 | 熊野神社 三峯神社 出世稲荷神社 |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/28 三峰神社よりの帰り道。 門はキッチリと閉めてありましたが、掲示によると獣害がひどいための措置で参拝者は開けて入っていいとの事。 日が悪かったのか社務所は締まっており、お話等を聞くことはできませんでした。 境内社の出世稲荷神社は境内ではなく、門の外に隣接して鎮座。 後に帰ってから調べたところ、この神社は、御嶽教の中では特別な位置にある様で、御嶽教を創設した普寛の墓所四カ所の一つであり、出生地とされているとの事。 |
御朱印 | 情報あり(未確認) |
由緒書 |
[埼玉県秩父市] 三峰神社
社名 | 三峰神社(みつみねじんじゃ) |
![]() | |
所在地 | 三峰神社 埼玉県秩父市三峰298−1 |
社格 | 県社 別表神社 秩父三社(三峰神社・秩父神社・宝登山神社) |
御祭神 | 主祭神 伊弉諾尊 (いざなぎのみこと) 伊弉册尊 (いざなみのみこと) 配祀神 造化三神 – 天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ) 天照大神 (あまてらすおおかみ) |
神紋 | 菖蒲菱(あやめびし) |
摂末社 | – |
情報源 | 秩父 三峯神社 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/28 埼玉県の神社というと、思い浮かぶ神社はいくつかあるけれど。 埼玉県内の神社事情をざっと見ると、県東部の利根川や江戸川付近に点在する「久伊豆神社」。 そんなに思っておきながら…。 三峰神社と言えば、どうしても思い浮かぶものは2つ。 神社というと、狛犬、もしくは狐を思い浮かべるけれど。三峰神社というと犬。正確にはオオカミ。 まぁ、そういう話をすると、神社だって狛”犬”がいるじゃないかと言われることもあるけれど。 そして、三ツ鳥居。これは明神鳥居の両脇に、小規模な2つの鳥居を組み合わせた様なもので、あまり見かけない様式の鳥居。 とりあえず、駐車場渋滞で長いこと待たされた後、広い境内を進む。 順路に沿って参拝。 社殿前の鳥居。扁額が凝ったことになっていますね。 そして参拝。 脇には境内社。 そこから山を下りつつ、日本武尊の巨大な像などに参拝しつつ駐車場に戻って一巡。 本来なら、ここから登山道に入り奥の院へと進みたいところだけれど、今回は小さい同行者もいるので…。山道を進み最初の鳥居までで引き返す。 まぁ、参拝の感想は…ともかく人・人・人。 |
御朱印 | あり(社務所にて) |
由緒書 | – |
[埼玉県川口市] 朝日氷川神社
社名 | 朝日氷川神社 |
![]() | |
所在地 | 朝日氷川神社 埼玉県川口市朝日1−3−15 |
社格 | – |
御祭神 | 素盞嗚命 櫛稲田姫命 |
神紋 | – |
摂末社 | ・出世稲荷神社 ・須賀神社 ・大国神社 |
情報源 | 朝日氷川神社 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/07 |
御朱印 | あり(500円) – 社務所にて |
由緒書 | 朝日氷川神社 御由緒 川口市朝日一ー三ー十五 □ 御縁起(歴史) 当社創建は、天正年中(一五七三〜室町末期)に今の地に再建されたと あり、約五百年間と推定される。『風土記稿』に、樋爪村(二十九日村)・ 十二月田村・前田村・二軒在家村の鎮守とあり、現在の十二月田を含む朝 日町全域となっている。鎮座地は樋爪村の西端にあり、氏子が氷川大神を 拝する時は、西方にある芝川を望むがごとくある。現在、社殿裏手の道路 は、かつての芝川堤防跡である。 御祭神は素盞嗚命、櫛稲田姫命の二柱で、神仏分離まで内陣には聖観音 を奉安していた。また、素盞嗚命を「牛頭天王」として祀る須賀神社が合 祀されている。 『明細帳」によると、明治四十年六月十四日、大字十二月田字大坪にあっ た村社稲荷社、大字二軒在家字稲荷田の無格社稲荷社が当社に合祀されて いる。内陣にはこの両社いずれかのものと思われる「正一位稲荷五柱太神」 と墨書された神璽と、高さ二十五センチメートルの自然石がある。 本殿は一間社流造りで、銅板葺きの屋根となっている。拝殿内には川口市 青木の氷川神社の随神門にあった左大臣、右大臣が奉安されている。大正 十二年の関東大震災では社殿が倒壊するも、昭和十三年七月二十五日に再建。 その後老朽化した建物すべてを「平成の大造営」と称して再建し、平成十五 年五月、新社殿・社務所が木の香清しく完成となった。 □ 御祭神と御神徳 ・素盞嗚命・・・・厄除招福、厄災消除、病気平癒 ・櫛稲田姫命・・・安産、子育て、夫婦和合、五穀豊穣 □ 末社 ・出世稲荷神社 ・須賀神社 ・大国神社 □ 御祭日 ・春祭り(二月二十五日) ・夏祭り(七月十五日前後の土、日) ・例大祭(十月十五日) ・新嘗祭(十一月二十三日) |
[静岡県三島市] 三嶋大社
社名 | 三島神社(みしまじんじゃ) 三嶋大社(みしまたいしゃ) |
![]() | |
所在地 | 三嶋大社 静岡県三島市大宮町二丁目1番5号 |
社格 | 延喜式内(名神大社) 伊豆国一宮 伊豆国総社 官幣大社 別表神社 |
御祭神 | 三嶋大社 Webサイトによる 大山祇命(おおやまつみのみこと) 積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ) 御二柱の神を総じて三嶋大明神(みしまだいみょうじん)と称しています。 — 静岡縣神社志 による 祭神 正殿一座 玉籤入彦厳之事代神(たまくしいりひこいづのことしろぬしのみこと) 或云、積羽八重事代主命(つみはやゑえことしろぬしのみこと) 或云、都波八重事代主神(つはやゑえことしろぬしのみこと) 相殿四座 阿波神(あはのはみ) 或云、阿波咩命(あはめのみこと) 伊古奈比咩命(いこなひめのみこと) 又御名 三島溝樴姫(みしまみそくひひめのみこと) 一座神名未詳(社傳、物忌奈命(ものいみなのみこと)) 一座神名未詳(社傳、大山祇命) — 祭神を事代主とする主張は江戸時代後期の平田篤胤によるものであり、割と最近の話である。 江戸期までは大山祇命とされていた。 ただし、近年では伊豆諸島の神、ミシマ(御島)の神(三嶋大明神)であるとする資料も多く見られる。 |
神紋 | 折敷に三文字紋 五七の桐紋 |
摂末社 | – |
情報源 | 三嶋大社 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/06 伊豆地域の神社を目指して参拝旅行をする関係で、三島もよく来るには来るけれど。 社頭右側に神社の駐車場(有料)があるので、そこに車を止めて参拝。 崇拝篤い神社だけあって、参拝するたびに感嘆である。 社頭にある灯篭にある「折敷に三文字」の神紋を確認しつつ、境内へ。 社伝によると、災害により深刻な被害を受けることもあったが、その度に再建してきたという。 ともかく、いつ来ても大勢の人でにぎわっている。 |
御朱印 | あり |
由緒書 | – |
[静岡県西伊豆町] 辨財天社
社名 | 辨財天社 |
![]() | |
所在地 | 辨財天社 静岡県賀茂郡西伊豆町田子字本宮 (田子瀬浜海岸) |
社格 | – |
御祭神 | 辨財尊天 |
神紋 | 波に三つ鱗紋 |
摂末社 | – |
情報源 | 西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/05 田子港より海沿いに約1キロほど南下する。 途中の道は細く、すれ違いも気を使う。途中の入江には造船所などもあり、港町の雰囲気を存分に楽しめる。 車でアプローチできる一番奥、海水浴場までいくと、海に向かってひとつの社が立っている。 弁天社である。 西伊豆町誌によると、この弁天社はもともと、目の前の海に浮かぶ「弁天島」に鎮座していたとのこと。 昭和五十二年に発生した伊豆大島近海地震により大きな被害を受けたため、本地に遷座したとのことのようである。 大きな被害は受けたが、弁天島での本殿修復の意向もあったが、今後予想される東海地震を懸念し、最終的に、昭和五十八年三月の遷座となったようだ。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県下田市] 波夜多麻和氣命神社
社名 | 波夜多麻和氣命神社(はやたまわきのみことじんじゃ) 波夜多麻和氣神社 相玉天神宮(旧社名) |
![]() | |
所在地 | 波夜多麻和氣命神社 静岡県下田市相玉8 |
社格 | 村社(明治六年) 従四位上 おほゐの明神(伊豆国神階帳) 波夜多麻和氣命神社(延喜式内:論社) 佐伎多麻比咩命神社(延喜式内:論社) |
御祭神 | 波夜多麻和氣命(はやたまわけのみこと) |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | 波夜多麻和気命神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/05 稲生沢川の南側、並走する15号線を伊豆急行稲梓駅より西方面に進む。 台輪鳥居、社号標の先に急峻な石段。 社号標には「式内波夜多麻和氣神社」の陰刻。 例えば伊豆下田市相玉の式内:波夜多麻和氣命神社は土地では「天神さん」として祀られてきており(波夜多麻和氣命を祀るという記録はない)、神社前のバス停名も「天神前」である。しかしここは「菅原道真公を祀る」という伝があったわけでもない。まことに大雑把に「天神さんの社」だったのだ。伊豆は伊豆三嶋大神の御子神たちが複雑な名前であることから一般に膾炙しなく、単に若宮さんとか天神さんとか呼ばれてよく分からなくなってしまった例が多い。 神社巡りの方法|四座 読|龍学 -dragonology-より なるほど、バス停が天神前だからと言って、過去は菅公を祀っていたものを…みたいな安直な想定はよろしくないという事なのだろう。 石段を登り、参拝。 鳥居は綺麗にペンキが塗られているところを見ると、地域の信仰は残っているんだろうと思う。 参拝後、振り返ると周囲の美しい景色。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県下田市] 高根神社(落合)
社名 | 高根神社(たかねじんじゃ) 高根白山神社 白山宮・高根宮 |
![]() | |
所在地 | 高根白山神社 静岡県下田市落合276 |
社格 | 村社 |
御祭神 | 白山姫神(南豆風土誌・新南豆風土誌による) 勾大兄廣國押武金日天皇(安閑天皇)(静岡縣神社志による) |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | 高根神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/05 稲梓駅の目の前、山に張り付くように社殿があり、そこそこ目立つ存在。 この神社、社名がよくわからん。っというところから始まった。 社地は急峻。拝殿から本殿までは階段で登る。これがまた急峻。 本殿まで登り後ろを向くと…綺麗に鉄道の橋梁を拝むことができる感じ。 いずれにしろ、追加資料を探してみないことには詳細は不明。 —– のちに資料を幾つか入手して確認してみた。 (南豆風土誌) (新南豆風土誌) (静岡縣神社志) ◯高根神社は五社あるがその祭神は一定せぬ、味耜高彦根命を祀るは南上村に三社、三濱村に一社ある、而して稻梓村落合高根神社は勾大兄廣國押武金日天皇(安閑天皇)を奉祀する。 静岡縣神社志が昭和16年の資料、南豆風土誌は大正3年の資料、新南豆風土誌は昭和32年。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県西伊豆町] 神明神社(浮島)
社名 | 神明神社 |
![]() | |
所在地 | 神明神社 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科三〇三五番地の一(浮島) 旧表記:仁科村濱字富洞(南豆風土誌・新南豆風土誌) |
社格 | 延喜式内(布刀主若玉命神社:比定) 無格社 |
御祭神 | 布刀主若玉命(南豆風土誌・新南豆風土誌・西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編による) 布刀若玉比売命(村社加列願 による) 布刀主若玉姫命 |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | 南豆風土誌 新南豆風土誌 西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/05 以前より、「浮島(ふとう)には神社がある。」という情報は得ていて、一度、詣でてみたいと思って早6年。 ムズムズと考えながら情報を検索するも、これ以上の情報もなし。 「しおさいの湯」に行った際に、番頭をしていた初老の男性に神社の事を聞くことからスタート。 結局、場所は分かった。 大屋荘の脇の路地を入り、大屋荘の真裏にある道を浜に下る。 ちょろちょろと水の流れる小川を超え、境内へ。 延喜式内の布刀主若玉命神社に比定される古社。 |
御朱印 | – |
由緒書 | 西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編 神明神社(延喜式内・無格社) 西伊豆町仁科三〇三五番地の一(浮島) 祭神 布刀主若玉命 環境 旧国道「浮島」のバス停から小さな谷川に沿って四〇 |
由緒書 | 村社加列願 伊豆国那賀郡浜村字浮島 式内 富洞神社 一、祭神 布刀若玉比売命 |
[静岡県下田市] 両神社
社名 | 両神社(りょうじんじゃ) 兩神社 三島大明神(旧社名) |
![]() | |
所在地 | 両神社 静岡県下田市須崎838 |
社格 | 佐伎多麻比咩命神社(延喜式内:論社) 穂都佐氣命神社(延喜式内:論社) |
御祭神 | 伊邪那岐命(いざなぎのみこと) 伊邪那美命(いざなみのみこと) |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/04 須崎の漁港の入り口付近、床屋の脇の路地に入り、すぐを左へ。 手前には手水舎。 社殿右脇には境内社。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県松崎町] 稲荷神社(船田)
社名 | 稲荷神社 |
![]() | |
所在地 | 稲荷神社 静岡県賀茂郡松崎町船田 |
社格 | – |
御祭神 | – |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/02 たまたま、若宮八幡神社宮に訪問した帰り道に発見。 傷みが激しいけれど、しっかりと大地に立つ、石造りの靖国鳥居。 社殿には特に社名等が書かれていないけれど、水田地帯の社であり、眷属が狐であることから稲荷神社なのでしょう。 資料が無いのでそれ以上は不明…。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |