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[千葉県勝浦市] 火防稲荷神社(勝浦)

社名火防稲荷神社(ひぶせいなりじんじゃ)
所在地
火防稲荷神社

千葉県千葉県勝浦市浜勝浦1
社格遠見岬神社 境外末社
御祭神宇迦之御魂神
神紋
摂末社
情報源神社のひろば 神社探検隊!
訪問記訪問日: 2017/02/05
勝浦の港のところにある駐車場から朝市に向かう途中に鎮座。
とにかく、看板が目立つ。
「開運火防稲荷神社」
特に由緒のようなものの記載は見当たらなかったが、ネットを漁っていると、遠見岬神社のfacebookと思われるところに
「この神社は約100年前の勝浦大火の時、この神社を境に延焼が止まった為、火防稲荷と呼ばれるようになりました。」
との記述。合わせて、伏見稲荷大社の記述も見られることから、もともとは京都からの勧請した稲荷神社なのでしょう。
御朱印
由緒書

[福島県郡山市] 水天宮(久留米)

社名水天宮
久留米水天宮
水天宮様
所在地
水天宮

福島県郡山市久留米3丁目54番地
社格
御祭神天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
安徳天皇(あんとくてんのう)
高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう)
二位尼(にいのあま)
神紋水天宮椿紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/28
御朱印
由緒書御由緒あさかの神社誌より)

 明治11年11月、士族授産により九州久留米藩より大蔵壇原(現郡山市久留米)に入植した先人たちが、安積原野開墾の辛苦の中から、開拓地に氏神を祀り、神の加護と移住者の一致団結をはかるべく、郷里の久留米水天宮の御分霊を勧請して、明治15年4月開墾地の鎮守とした。以来水天宮様と呼ばれ、入植者の子孫繁栄をはじめ地区民の心のよりどころとして、また安産の神として婦人の参拝ばかりでなく、水難防除の神としても広く信仰をあつめている。

[長野県長野市] 千石稲荷神社(南石堂町)

社名千石稲荷神社(せんごくいなりじんじゃ)
所在地
石稲荷神社

長野県長野市南長野南石堂町
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/20
御朱印
由緒書千石稲荷神社の由来

抑々、古くは善光寺平に濃厚が始まった時に遡り、その名も知れぬままこの地域の農耕の神として広く信仰されていたもので昭和十五年、駅前土地区画整理組合から、敷地の提供を受け現在の地に定着しました。
千石の名は、古くから善光寺領の石高を千石と言われ、又この稲荷神社の地が千歳町、石堂町、末広町に挟まれた位置にふさわしい縁起の良い名で知られております。
千石稲荷は農耕、商いの神として有名な伏見稲荷の御分身として、地名の千歳(長寿、病気平癒)石堂(家内安全、身体健全)末広(家運隆盛、商売繁盛)の名に稲荷(実る)の願望が叶うという意味が千石稲荷の名に織り込んだものです。
昔より、千石とは収穫の多きを意味し、千石船など豊かな感じを表現する名として使われております。
(紀元貳千六百年奉賛会の記録より)

[静岡県沼津市] 諏訪神社・縁結神社(政戸)

社名諏訪神社・縁結神社(すわじんじゃ・えんむすびじんじゃ)
所在地
諏訪神社・縁結神社

静岡県沼津市大平2943
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04

たまたま通りがかって鳥居を発見。急遽、参拝。

楔の大きさがきになる明神鳥居をくぐると目の前に小ぶりな社殿。
えらく新しい境内。整備されたのはつい最近のような雰囲気。

それにしても、諏訪神社はわかるが縁結神社とは…。
妙に俗っぽさを感じずにはいられない。
なんというか、バンレンタインチョコレートの売り場のような…そんな俗っぽさ。

そんなことを思いつつ参拝し、帰宅後にネットで検索。いろいろ検索した結果、
曹洞宗 桃源院に行き着く。そこの情報によると、

(1)諏訪大明神 
 当時の浪人は、信州出身の者が多かったので、長野県の諏訪神社を分祭祀し、天正十八年八月造営され、祭礼は四社合同にて、九月一日政戸区民一同で交代に祭っている。
(2)結大明神
 諏訪大明神と並んで祭られており、縁結びの神として信仰されている。祭神(いざなみ・いさなぎの尊)
(3)稲荷大明神
 右側に祭られており、農民になったとき農作物の神として祭った。祭神 (天白大権現)
(4)左口神
  じゃも(疱瘡や皮膚病の痕)を守って下さる神様として、祭っていたが、何時の間にか「オシャモジサン」と呼ばれ、あせも・おできの神として信仰されている。

ということで、この縁結神社は俗っぽい者ではなく、結大明神由来なのであろうことがわかった。
俗っぽいなどと考えたこと。反省。

ただ、この情報だと4宇の神社があったことになる。
稲荷大明神と左口神はどちらに行かれてしまったのだろうか…。

御朱印
由緒書

[静岡県伊豆の国市] 天野八幡神社(天野)

社名天野八幡神社(あまのはちまんじんじゃ)
所在地
天野八幡神社

静岡県田方郡伊豆長岡町天野五二九番地
社格村社
御祭神誉田別命(ほんだわけのみこと)
神紋
摂末社秋葉神社
琴平神社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04

修善寺から三島方面へ山の縁をドライブ。
ふと見ると明神鳥居。
目の前に少々の駐車スペースもある様なので、ちょっと参拝していこう。
そう思ったのが、間違いだったかも。

鳥居をくぐると、特筆するというほど大げさではないが、少々、急角度の石階段。約80段。
上った先に社殿。

社殿の軒には太鼓が吊るされており、何かしらの行事で使われている模様。
神社の軒に太鼓が吊るされているというのは、なかなかに見かけない風景。珍しいものを見たなぁ。という感じ。

社殿裏には一宇の境内社。
また、石段の下にも一宇の境内社。
どちらがどちらかの判断はつかなかったけれど、これが由緒書きにある秋葉神社と琴平神社なのでしょう。

石段を登りきったところからは、絶景とは言わないまでも遠方まで望めるビューポイント。

御朱印
由緒書天野八幡神社(あまのはちまんじんじゃ)

鎮座地 伊豆長岡町天野五二九
御祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇(おうじんてんのう))
例祭日 十月第二日曜日(旧十月十四日)

由緒

創立沿革は不詳であるが、享保
二年十二月遷宮棟札があったと記
録に残されている
別殿として秋葉神社、琴平神社が
ある。
神社の棟札の表側には奉造立八幡
宮一宇社中安全守護多聞天王、持
國天王、天下泰平、國土安穏、増
長天王、広目天王、氏子息災、延
命長寿守護とあり、村人たちが人
々の幸せを願って創立したもので
あろう。長い階段は八十四段ある

由緒書八幡神社
鎮座地 静岡県田方郡伊豆長岡町天野五二九番地
御祭神 誉田別命
例祭日 十月十六日由緒当社は天野の里の産土神社として創建されたが
その年代は定かではない。現存する棟札に、享
保二年(一七一七)十一月、同十六年(一七三
一)十二月、延享三年(一七四六)十月、文化
十四年(一八一七)九月に改修していることが
見える。
明治旧年に村社に加列され、里人の信仰を集め
たが、明治二十 年九月九日暴風の為上覆屋を
損なったのを機に、明治三十四年二月十二日上
覆屋、弊殿、拝殿改築工事を始め同年四月二日
竣工し、遷宮式を斉行した。爾来百年、氏子一
同崇敬の誠を捧げ、祭典を奉仕して来たが、老
朽化した社殿を憂い、平成七年本殿雨覆、弊殿
拝殿を改築し同年十月十日竣工祭を斎行した。

[静岡県沼津市] 金刀比羅神社(戸田)

社名金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)
所在地
金刀比羅神社

静岡県沼津市戸田3695
社格神社等級(十四等級神社)
御祭神
神紋丸に金文字紋
羽団扇紋
摂末社
情報源金刀比羅神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

戸田の港か見上げると山に神社と思しき影。
当たりをつけて階段を上る。
階段の先に赤い明神鳥居。

登りきった先に社殿。

社殿は戸が閉まり、賽銭箱もなく…。振り返ると戸田の港が綺麗に見えるのみ。
場所が場所だから、参拝する時に開けてくださいの類なのだろうと扉を開けると…予想通り無施錠。
都市部ではない神社の場合、参拝する時に開け、終わったらしめて帰るというところは割とある。
ここもそのパターンなんだろう。

参拝。

拝殿には、左右に丸に金文字紋、羽団扇紋。
静岡らしく、神社等級認証書が掲げてあり、本社は十四等級神社とのこと。

御朱印
由緒書

[静岡県伊豆市] 八幡神社(小土肥)

社名八幡神社(はちまんじんじゃ)
所在地
八幡神社

静岡県伊豆市小土肥707
社格延喜式内社(青玉比売命神社:論社)
村社
御祭神
神紋五三桐紋
摂末社
情報源八幡神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

なんども訪問している伊豆だが、いつも、土肥から修善寺に抜けてしまうので、なかなか来る機会の少ない小土肥。
久しぶりに通ってみたら…今まで気がつかなかったけれど、こんなにも目立つ形で神社があったのか。

大通りに面して鎮座しており、道からも大きな明神鳥居が目立つ。
鳥居には「八幡宮」との扁額。

正面に社殿、左にあるのは神楽殿かな?
鳥居は大きいが、それ以外は非常に簡素な印象。

社殿を覗くと、五三桐がでーんと存在。八幡なので三つ巴かと思ったけれど、ここは五三桐紋が神紋なのでしょうかね。

境内をうろうろしていたところ、社殿の左側に国土地理院の水準点を発見。
水準点はいろいろなところにあるけれど、割と伝統のある神社の境内なんかに多い。
こんなところでも少しばかり歴史を感じる。

御朱印
由緒書