社名 | 浮島神社(うきしまじんじゃ) – 明治2年よりの呼称 浮㠀神社 金連大明神 |
所在地 | 浮島神社 福島県本宮市白岩宮ノ下304 |
社格 | 村社 |
御祭神 | – |
神紋 | 中陰桔梗?(本殿に確認できる) |
摂末社 | 疱瘡神社 稲荷神社 養蚕神社 雷神社 金刀比羅神社 天満天神宮 忠魂碑 |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/09/03 旧白沢村の白岩地区に鎮座する神社。 鳥居をくぐると石段。 社殿は最近建て直されたのか、とても真新しく綺麗。社殿裏を見ると真新しい法面。神社で見る様な法面ではなく、どちらかというと砂防ダムなどの土木的な法面。正直言って、社頭で見た鎮守の森のイメージからみて真逆な印象で…ちょっと興ざめてしまう。 でも、社殿前の狛犬はなかなか…。 ここの神社は、県の重要無形民俗文化財として指定されている太々神楽(だいだいかぐら)という伝統芸能で有名。出雲流の神楽で、氏子により奉納される。 |
御朱印 | – |
由緒書 | 浮島神社(うきしまじんじゃ)の大欅(おおけやき) 昭和六十年市指定有形文化財 浮島神社は、昔、金連大明神と 本宮市教育委員会 |
「稲荷神社」タグアーカイブ
[静岡県松崎町] 火産霊神社
社名 | 火産霊神社(ほむすびじんじゃ) |
所在地 | 火産霊神社 静岡県賀茂郡松崎町吉田16 |
社格 | 静岡県神社庁神社等級 一五等級神社(昭和三十五年十月一日) |
御祭神 | 天御中主命(あめのみなかぬしのみこと) 手置帆負命(たおきほおいのみこと) 天彦狭知命(あめのひこさしりのみこと) |
神紋 | – |
摂末社 | 津島神社 稲荷神社 |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2016/11/23 Google Maps上では、「三宝大荒神神社」となっている神社。 松崎から峠に向かい、エネオスの手前の路地を左に入る。 苔むした階段を登ると鳥居、さらに階段を登り覆殿へ。 扉は鍵がかかっておらず、参拝時には扉を開けて良いようなので、開けて参拝。 また、【資料】松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編には、天御中主命(あめのみなかぬしのみこと)・手置帆負命(たおきほおいのみこと)・天彦挟知命(あめのひこさしりのみこと)の3柱が祭神であるとされているけれど。神社名である火産霊は、ご存知の通り、神産みにおいてイザナギとイザナミとの間に生まれた火の神、軻遇突智(かぐつち)の事。 正式な神社名や周囲での呼び名から考えても、火の神を祀る神社である事は間違いないだろう。ただ、資料にある祭神と一致しないところが気になる感じではある。 覆屋内の境内社には小さな本殿。中には津島神社と仲良く並んで牛頭天王の大麻収められておりました。これが資料にある津島神社なのでしょう。 |
御朱印 | なし |
由緒書 | (【資料】松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編) —火産霊神社祭神 天御中主命(あめのみなかぬしのみこと) 手置帆負命(たおきほおいのみこと) 天彦挟知命(あめのひこさしりのみこと) 由緒 例祭日 例祭日の行事 殿字 境内社 棟札 |
[静岡県沼津市] 稲荷神社
社名 | 稲荷神社 |
所在地 | 稲荷神社 静岡県沼津市三枚橋132-2 |
社格 | – |
御祭神 | – |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/08/19 |
御朱印 | – |
由緒書 |
[東京都足立区] 宮城氷川神社
社名 | 宮城氷川神社(みやぎひかわじんじゃ) |
所在地 | 宮城氷川神社 東京都足立区宮城1-38 |
社格 | – |
御祭神 | 素戔嗚尊 伊弉諾尊、伊邪那美尊(三峰神社) 木花咲邪媛命(浅間神社) 宇迦御魂命(稲荷神社) |
神紋 | 左三つ巴紋 |
摂末社 | 稲荷神社 水神宮 浅間神社 三峰神社 |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/08/18 東京なのに宮城? 由緒書きを見ると、荒川放水路周辺らしく、放水路工事の際に移転しているとのこと。 公園の隣、明神鳥居をくぐると氷川神社の境内。 社殿左の水神宮、いろいろ資料を調べているけど、どうも資料が出てこない。 氷川神社の賽銭箱には左三つ巴紋。 |
御朱印 | なし? – 江北氷川神社の兼務社 |
由緒書 | 創建は不詳なれど、古くは豪族の館跡に創建されたと伝う。しかしながら、 大正2年の荒川放水路建設工事にともない社殿を移築しなければならなくなり、現在の地に遷座しました。 境内には足立姫をお奉りしたと伝えられる富士浅間神社・稲荷神社・三峰神社があります。 |
由緒 | 宮城氷川神社由緒 祭神 素盞嗚尊 例祭 毎年九月十五日 当社の由緒は旧記を欠きその詳細は明らかではない。しかし按ずるに南北朝時代(一三一八ー九二)の昔武蔵国豊島郡一円を領していた豊島重信の子重中が新たに足立郡宮城の地を開発し、宮城八郎と称して居館をこの地に構えたとき守護神として足立郡大宮郷(現埼玉県大宮市)に鎮座する式内社(延喜式神名帳記載)武蔵一ノ宮氷川神社の分霊を勧請して祀ったのが始めである。そのころ宮城の地名はすでに足立姫による姫の父足立庄司宮城宰相の名に基づき、地名として存在していたものと考えられるが伝説による人物は、人皇四十八代聖武天皇の神亀天平時代(七二四ー四八)の人なれば、その実在必らずしも信ずべきにあらず。重中の後四代の子宮城泰業のころ泰業は相州小田原(現神奈川県小田原市)の北條氏に属し、武蔵国岩槻城(現埼玉県岩槻市)にあったが天正十八年(一五九〇)七月北條氏政が豊臣秀吉によって滅ぼされたとき宮城氏も亦北條氏と共に滅びた。しかし守護神は宮城氏没落後も猶この地に鎮座し、江戸時代宮城の地が近世村落として成立したとき、改めて鎮守社として之を祀り、十一面観世音菩薩を本尊とした。蓋し神仏習合によるものである。 が摂社として祭祀されている。 昭和六十二年正月朔日 |
[静岡県松崎町] 稲荷神社(船田)
社名 | 稲荷神社 |
所在地 | 稲荷神社 静岡県賀茂郡松崎町船田 |
社格 | – |
御祭神 | – |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/02 たまたま、若宮八幡神社宮に訪問した帰り道に発見。 傷みが激しいけれど、しっかりと大地に立つ、石造りの靖国鳥居。 社殿には特に社名等が書かれていないけれど、水田地帯の社であり、眷属が狐であることから稲荷神社なのでしょう。 資料が無いのでそれ以上は不明…。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
[静岡県松崎町] 津島神社(峰)
社名 | 津島神社 |
所在地 | 津島神社 静岡県賀茂郡松崎町岩科南側1199 |
社格 | 静岡県神社庁神社等級規定十一等級 |
御祭神 | 素戔嗚尊(津島神社) 八王子(若宮権現) |
神紋 | – |
摂末社 | 秋葉神社 稲荷神社 |
情報源 | 松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/01 |
御朱印 | – |
由緒書 | 祭神 素戔嗚尊(津島神社) 八王子(若宮権現)由緒 創立年月が不詳。中村の集落から東の段への登り道の直線約一〇 〇メートルは、昭和五〇年代までは立派な石畳となっていた。ここ は古くから「宮坂」と呼ばれ、かつての島津神社の参道と言われて いる。このように、社殿はもとは岩科川をはさんで現在地の北、天 王片の地にあったが、水害で山崩れにあい移転したと言い伝えられ ている。この伝承に関連していると考えられるのが寛文四年(一六 六四)の棟札であるが、ここには「修理」と記されていて、遷宮に ついての記載はない。水害は「峯村大海波涛涌く」とか「江水逆流 す」などとの記録から、寛文二年の西日本大地震による津波とも考え られるが、この地震による津波が伊豆西海岸を襲ったという記録は 見あたらない。一方、若宮権現の同年九月の棟札によれば、暴風雨あるい は山津波の可能性もあながち否定できない。現本殿は、文化一三年 (一八一六)大工、初代石田半兵衛らによるものである。特徴 津島神社(向かって右)と若宮権現(向かって左)の二殿相殿 例祭日 七月一五日前後の日曜日 従来は七月一五日に本祭りを行っていたが、近年になってあらた められた。 |
[静岡県伊豆の国市] 廣瀬神社(田京)
社名 | 廣瀬神社(ひろせじんじゃ) 広瀬神社 |
所在地 | 廣瀬神社 静岡県伊豆の国市田京1-1 |
社格 | 延喜式内(田方郡 廣瀬神社) 県社 |
御祭神 | 溝樴姫命 外二神 – 静岡縣神社志 による 三島溝樴姫命(みしまみぞくひひめのみこと) |
神紋 | 五七の桐紋 |
摂末社 | 見目神社・龍爪神社など八社を合祀 祖霊社
– 静岡縣神社志 による 見目神社(六座 波布比賣命 久爾都比賣命 伊賀牟比咩命 伊波乃比賣命 佐伎多摩比咩命) |
情報源 | 廣瀬神社 – 静岡県神社庁 静岡縣神社志 |
訪問記 | 訪問日: 2016/12/31 大晦日の早朝。 社頭付近に駐車場があったので、そこにクルマを駐車し、参拝。 真新しい狛犬に明神鳥居 その奥に社殿。 社殿裏には境内社、そして土俵、神楽殿。 明日の正月に向けて準備が開始されているようで、境内には薪が大量に積まれており、それらを燃やすのであろう場所が設けられていた。静寂な朝ではあるが、なんとなくせわしない空気を感じる。 |
御朱印 | |
由緒書 | 大仁町指定文化財 広瀬神社の杜(森)延喜式内社であり、神階帳従一位広瀬の明神と いう。祭神は、溝樴姫命外二神。見目神社・龍爪 神社など八社を合祀、祖霊社を祀っている。田方 一の大社である。 社伝によれば、三島大社はその昔下田の白浜か らこの地に移り、後に三島に遷祀したという。 天正十八年(一五九一)豊臣秀吉による韮山城 (北条氏)攻めの際兵火に遭い社殿ことごとく焼 失している。慶長元年(一五九六)に再建、江戸 時代には深沢明神として崇敬された。明治二十八 年(一八九五)より広瀬と称える。 例大祭は、毎年十一月三日に行われ、大仁町指 定無形文化財の式三番が奉納される。 境内には、クスノキ・ムクノキ・ケヤキ・カヤ ノキ・マキノキ・スギなど多くの樹木がある。ま た、海浜性のヒメユズリハ・モクレイシ・トベラ など注目すべきものがある。 大仁町教育委員会 |