社名 | 土肥神社(といじんじゃ) |
所在地 | 土肥神社 静岡県伊豆市土肥729-1 |
社格 | 延喜式内(豊御玉命神社) 村社 |
御祭神 | 豊御玉姫命 大鷦鷯尊(おほさざきのみこと) |
神紋 | |
摂末社 | 馬場神社 土肥静霊神社 |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/04 土肥の山の麓に鎮座する。 平地が多くない土肥という場所を考えると、かなり大きい社地の神社。綺麗に整備されている。交差点を曲がると、いきなり白色の大きな明神鳥居が現れる。 社頭の由緒によると式内社の豊御玉命神社であるとされている。 社殿のはクリーム色で、なんとも言えない雰囲気。 社殿を右にすすむと槙と楠の御神木。 それにしても、正月だというのに…全くもって飾りっ気がない。 |
御朱印 | |
由緒書 | 土肥神社由緒 当神社ノ創立年代ハ極メテ古ク、既ニ延喜五年(九〇五)延喜式神名 |
「静岡県」カテゴリーアーカイブ
[静岡県伊豆市] 神明神社(八木沢)
社名 | 神明神社(しんめいじんじゃ) |
所在地 | 日枝神社 静岡県伊豆市八木沢80 |
社格 | 延喜式内(甕玉命神社) |
御祭神 | 甕玉姫命 |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | 神明神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/04 こんなところに神社? 正直言って、わかっていても見落としそうな場所。 鹿島鳥居が立っているから神社だとわかるけれど、これがなかったら場所が場所だけになにかの倉庫である。 |
御朱印 | |
由緒書 |
[静岡県伊豆市] 高根神社(上船原)
社名 | 高根神社(たかねじんじゃ) |
所在地 | 高根神社 静岡県伊豆市上船原134 |
社格 | |
御祭神 | 味鋤高日子根命(あじすきたかひこねのみこと) 誉田別命(ほんだわけのみこと) 大山祇命(おおやまつみのみこと) |
神紋 | 五三桐 |
摂末社 | |
情報源 | 高根神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/03 土肥に向かう街道沿い。 明神鳥居にはしめ縄。ただ、かなり低い位置に締められており屈みながらくぐる感じ。 鳥居をくぐると正月を迎え綺麗になった社殿が見えてくる。 社殿の前にはさらに不思議なしめ縄。 参拝。 社殿内には、静岡らしく神社等級認証書。十一等級神社との事。 |
御朱印 | |
由緒書 | 高根神社 鎮座地 天城湯ケ島町上船原一三四 由 緒 |
[静岡県伊豆市] 日枝神社(修善寺)
社名 | 日枝神社(ひえじんじゃ) |
所在地 | 日枝神社 静岡県伊豆市修善寺 |
社格 | |
御祭神 | |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/03 所用で修善寺。 温泉街の建物の隙間。気をつけてみないと通り過ぎてしまいそうな場所。 参道を進むと社殿。 ともかく立派な木が幾本も立っており、心が落ち着く感じ。 社殿右には社務所。御朱印の授与を行っておりました。 修善寺というと温泉に入って修禅寺に詣でるというのが定番な感じ。 |
御朱印 | あり |
由緒書 | 日枝神社 日枝神社は修禅寺の鬼門に当たり、弘法大師の建立と言われている。明治元年(1868年)の神仏分離令により分離されたもので、もとは修禅寺の山王社(鎮守)であった。毎年10月18日、19日には例祭が行われ、18日の前夜祭には神輿が練り歩き、威勢の良い掛け声が温泉場中に響き渡る。 |
[静岡県西伊豆町] 弁財天(沢田)
社名 | 弁財天 弁財天宗像宮 |
所在地 | 弁財天宗像宮 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科 |
社格 | |
御祭神 | 市杵島姫命 |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | 西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/02 毎年恒例の仁科港での餅まきを見物。 水門を出てすぐのところに登り口があり、そこから遊歩道を登る。 小さな祠。 弁財天宗像宮だし、祭神は市杵島姫命なのでしょう。 —- 後に西伊豆町誌を手に入れ…詳細を確認 縁起に関しては造立年月日等は不明だが、棟札によれば、元禄十一戌寅年とあり、周囲の弁財天の勧請時期から元禄年代ごろであろうとのこと。 |
御朱印 | |
由緒書 |
[静岡県松崎町] 諸石神社(岩地)
社名 | 諸石神社(もろいそじんじゃ) |
所在地 | 諸石神社 静岡県賀茂郡松崎町岩地34 |
社格 | 村社 |
御祭神 | 高皇産霊神 |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | 諸石神社 | 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/01 岩地に鎮座。 拝殿脇から裏に回ると急な階段。 振り返ると綺麗に海が見える。特等席のような場所。 南豆風土誌によると、寛永四年の棟札があるとのこと。 |
御朱印 | |
由緒書 |
[静岡県松崎町] 國柱命神社(岩科南側)
社名 | 國柱命神社(くにはしらみことじんじゃ) 神明宮 |
所在地 | 國柱命神社 静岡県賀茂郡松崎町岩科南側176-1 |
社格 | 延喜式内(國柱命神社) 村社 |
御祭神 | 國柱姫命 小鷹神(小鷹神社) 茂山神(茂山神社) |
神紋 | |
摂末社 | 小鷹神社 茂山神社 琴平社 |
情報源 | 國柱命神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/01 松崎町の中心地から国道136号をまっすぐに進む。 鳥居の扁額には「神明宮」と記載されている。 南豆風土誌によると、「有建治二年版書」とある。 |
御朱印 | |
由緒書 |
[静岡県松崎町] 道部神社(道部)
社名 | 道部神社(みちぶじんじゃ) |
所在地 | 道部神社 静岡県賀茂郡松崎町道部387 |
社格 | 無格社 静岡県神社庁神社等級(十四等級神社) |
御祭神 | 水波能売命(みずはのめのみこと) |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | 道部神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/01 R136を松崎から岩地の方に向かう。 海辺の平坦な場所から急に駆け上がる山肌。 白い明神鳥居をくぐり、階段を上ると社殿。拝殿と覆屋。 拝殿を覗くと、神社等級認証書が御多分に洩れず掲げてあり、それによると十四等級神社との事。 後に調べてみると、祭りの時期には三番叟が奉納されるとのこと。 南豆風土誌によると、岩科村道部字横道にある道部神社が当社であると思われる。 |
御朱印 | |
由緒書 | 松崎町役場のWebサイトによると
とのこと。 |
[静岡県西伊豆町] 天満宮(小田瀬)
社名 | 小田瀬天満宮 |
所在地 | 小田瀬天満宮 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科小田瀬 |
社格 | |
御祭神 | 菅原之大神 |
神紋 | 梅鉢紋 |
摂末社 | |
情報源 | 見たい – 西伊豆町観光協会 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/01 仁科から道を一本入った先。 池と大きな太鼓橋を有していて、なかなかに立派。 境内・社殿ともにこざっぱりと手入れされており、氏子の崇敬を受けているのが感じられる。 参拝。 特に太鼓橋は素晴らしい。このサイズの太鼓橋はなかなかに目にかかることができない。 |
御朱印 | |
由緒書 | 天満宮 西伊豆町仁科一三七七番地の二(小田瀬) 祭神 菅原之大神 環境 仁科浜から野畑に至る道路。六〇〇メートルほどの小田瀬川沿いに天満宮は位置する。 境内に大小の竜神池を配し、ホテイアオイが群生する。石造の太鼓橋がかかっている。道真公ゆかりの梅林があり、楠の大樹が天を突き、ケヤキ・イチョウの木々など、静寂な神域のなかに社殿がある。縁起 大正九年七月十日、野畑出身の佐野為吉(一八七五〜一八三三)が私財を投じて京都北野天満宮の分祀を受け創建されたものである。 為吉は仁科浜の木炭問屋に丁稚奉公をし、青雲の志を抱いてほどなく上京、京橋の木炭問屋に働き、その後独立し、神田小川町に料亭「常盤亭」を興した実業家である。境内の一碑(堤達也撰)に、「郷人ノ佐野君ハ夙ニ天満宮ヲ崇信シテ、大正八年北野神社ヲ勧請シ、観望ノ利ヲ占ヒテ巨万ヲ投資ス、云々」とある。現存する棟札写 大正九年七月十日 奉納菅原之大神 斉主 佐野為吉 社殿内に道真公の神像が安置されている。祭礼・行事 例祭 三月二十五日 今は行われていない。 菅原道真公は学問の守護神として崇められ、昔は例祭日に小学校の全生徒が参拝し、紅白餅をもらい、羽織袴の為吉から、自ら歩んだ苦難の人生を拝聴したという。 殿宇・行事 境内造築物 |
[静岡県西伊豆町] 多爾夜神社(安良里)
社名 | 多爾夜神社(たにやじんじゃ) |
所在地 | 多爾夜神社 静岡県賀茂郡西伊豆町安良里321(旧:安良里村字宮脇) |
社格 | 延喜式内(多尓夜神社) 村社 静岡県神社庁神社等級(十一等級神社) |
御祭神 | 積羽八重事代主命(つみはやえことしろぬしのみこと) |
神紋 | |
摂末社 | 津島神社 大神宮 走湯神社 |
情報源 | 多爾夜神社 – 静岡県神社庁 新南豆風土誌 |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/01 若大将のクルーザーが係留されているという安良里の入り江を見ながら国道を北上。トンネルを抜けるとすぐの信号を右折。 何度か訪問しているが、いつも扉が閉ざされており参拝すらできない状況だったけれど。さすがに正月という事で念願叶う。 本殿の左右にも小さな本殿。左に1宇、右に2宇の本殿。いずれかが、津島神社、大神宮、走湯神社という事なのでしょう。 そして、静岡らしく「神社等級認証書」も掲示されていた。十一等級神社のようである。 多爾夜神社というと、見た事はないが「猿っ子踊り」を思い出す。この地域の神事で、猿に扮した子どもが舞を奉納するのだとか。 新南豆風土誌には、「慶長13年 再建」とあり、少なくとも、1608年には鎮座していた神社ということになるようだ。 |
御朱印 | |
由緒書 |