「稲荷神社」カテゴリーアーカイブ

[埼玉県八潮市] 氷川神社(木曽根)

社名氷川神社(ひかわじんじゃ)
所在地
氷川神社

埼玉県八潮市木曽根1092−8
(旧:木曾根字上 昭和61年1月に遷座。中川の河川改修による。)
社格村社(明治四年)
御祭神
神紋
摂末社天満宮
稲荷社
三峰・別雷
情報源埼玉の神社 P.1329
訪問記訪問日: 2017/04/22

三郷から中川を渡り、河川沿いに南下。
車を流していたら、コンビニ傍に鳥居を発見。

社地は微妙な形をしており、社頭からみると、敷地の右側に上木曽根会館、左に明神鳥居。
鳥居の内側は、たぶんだが会館利用者の駐車場となっている。
その億、クランク上に参道が曲がり会館の真裏に社殿が建っている。

由緒によると河川改修の折に移築しているとある。なぜ、まっすぐの参道になるように移築しなかったんだろうか…少々不思議に感じてしまう。

全体的に小ぶりな社地ではあるが、綺麗に整えられており清々しさがある。

面する通りはそこそこの交通量があり、騒々しさがあるけれど。
拝殿に向かうと、ちょうど会館が邪魔をするように立っているせいか、その騒々しさもなくいい感じである。
特徴的なのは鈴緒。右と左に一本ずつぶら下がっているのはいいとして、右側には「男鈴」、左には「女鈴」の文字。男女にて分けている意味なのでしょうかね。
特に説明書きを見つけられなかったけれど、男女にて使う鈴尾を変えるという事なのでしょう。

「埼玉の神社」によると、境内社は天満宮、稲荷社、三峰・別雷。社殿に向かって右側に並ぶ。
稲荷社はのぼりがありわかるが、そのほかはどれがどれに該当するのかの判別がつきにくかった。
普通に数えると7宇の境内社があるように見えるのだが…。

御朱印
由緒書 「埼玉の神社」歴史

永禄八年(一五六五)四月八目の創建と伝えられる当社は、嘉永三年(一八五〇)の本殿再建時の棟札「正一位 久伊豆大明神 氷川大明神」と併記されているように、元来は氷川・久伊豆両社の合殿であった。本殿が二間社になっているのはそのためである。また、この棟札には「別当金蔵院祐試法印」の名が見え、『風土記稿』では金蔵院の境内に「氷川社、村の鎮守なり」とあり、その創建には金蔵院の法印がかかわったことが推測される。
現在、当社の境内は県道に近い新興住宅地の一角にあるが、昭和六十一年一月までほ中川のほとりの、雑木林に囲まれた閑静な地にあった。遷座の理由は、中川の河川改修によるもので、これを機に拝殿・社務所など、境内の諸施設が一新された。ただし、嘉永三年五月に造られた本殿だけは、傷みも少なく、長い間崇敬し親しんできた社であったという理由から、新築はせずに旧地からそのまま移築した。
『風土記稿』に見られるように、木曾根の村内には、当社のほかに八幡社と二社の稲荷社があった。しかし、これらの諸社は当社が明治四年に村杜になったのに対し、無格社となったため、明治四十二年に当社に合祀された。しかし、木曾根新田の稲荷社だけは旧氏子の強い希望から、昭和二十九年に分祀され、照富久稲荷神社と、称して改めて祀られることとなり、現在に至っている。

[埼玉県川口市] 畑田稲荷神社(辻)

社名畑田稲荷神社(はたけだいなりじんじゃ)
所在地
畑田稲荷

埼玉県川口市南鳩ヶ谷7丁目27
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/08
御朱印
由緒書鳩ヶ谷市史 民族編辻地区の畑田稲荷は、かつて辻村の鎮守様つまり村社であったが、明治末年に鳩ヶ谷氷川神社に合祀された。しかし、その後も村の中で信仰を集めている。現在の氏子は、ほとんど真言宗の人たちであり、氏子どうし四軒で組を組織し、年番を出し諸行事を行い、自ら「畑田の氏子」と称するなど、氏子意識がきわめて強い。氏子総代(世話人)は一〇名いるが、真言宗の真福寺・西光寺の世話人(檀家総代)と同一人であるなど、宗派との結びつきがここにもみられる。
行事は、正月・初午・春祈祷(四月十三日)・夏祈祷(五月十三日)・天王様(七月十五日)・お日待(十月十五日)であり、年番が集めたお金で祭礼を運営している。

[千葉県勝浦市] 火防稲荷神社(勝浦)

社名火防稲荷神社(ひぶせいなりじんじゃ)
所在地
火防稲荷神社

千葉県千葉県勝浦市浜勝浦1
社格遠見岬神社 境外末社
御祭神宇迦之御魂神
神紋
摂末社
情報源神社のひろば 神社探検隊!
訪問記訪問日: 2017/02/05
勝浦の港のところにある駐車場から朝市に向かう途中に鎮座。
とにかく、看板が目立つ。
「開運火防稲荷神社」
特に由緒のようなものの記載は見当たらなかったが、ネットを漁っていると、遠見岬神社のfacebookと思われるところに
「この神社は約100年前の勝浦大火の時、この神社を境に延焼が止まった為、火防稲荷と呼ばれるようになりました。」
との記述。合わせて、伏見稲荷大社の記述も見られることから、もともとは京都からの勧請した稲荷神社なのでしょう。
御朱印
由緒書

[長野県長野市] 千石稲荷神社(南石堂町)

社名千石稲荷神社(せんごくいなりじんじゃ)
所在地
石稲荷神社

長野県長野市南長野南石堂町
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/20
御朱印
由緒書千石稲荷神社の由来

抑々、古くは善光寺平に濃厚が始まった時に遡り、その名も知れぬままこの地域の農耕の神として広く信仰されていたもので昭和十五年、駅前土地区画整理組合から、敷地の提供を受け現在の地に定着しました。
千石の名は、古くから善光寺領の石高を千石と言われ、又この稲荷神社の地が千歳町、石堂町、末広町に挟まれた位置にふさわしい縁起の良い名で知られております。
千石稲荷は農耕、商いの神として有名な伏見稲荷の御分身として、地名の千歳(長寿、病気平癒)石堂(家内安全、身体健全)末広(家運隆盛、商売繁盛)の名に稲荷(実る)の願望が叶うという意味が千石稲荷の名に織り込んだものです。
昔より、千石とは収穫の多きを意味し、千石船など豊かな感じを表現する名として使われております。
(紀元貳千六百年奉賛会の記録より)

[埼玉県川口市] 大徳稲荷神社(並木元町)

社名大徳稲荷神社(だいとくいなりじんじゃ)
所在地
大徳稲荷神社

埼玉県川口市並木元町
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/12/02

かつてサッポロビールの工場であった場所にある神社。
本来は工場の邸内社であったもののようです。

御朱印
由緒書

[静岡県松崎町] 嵐稲荷神社(松崎)

社名嵐稲荷神社 (あらしいなりじんじゃ)
所在地
嵐稲荷神社

静岡県賀茂郡松崎町松崎
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/08/24

長八美術館の駐車場の奥付近にひっそりと鎮座。
朱色の明神鳥居をくぐると…拝殿も覆殿もなく、石祠が置かれているのみ。
ちょっと不思議な感じ。

御朱印
由緒書250年ほど前までは道部にあった稲荷社だが、宝暦9年(1759)7月17日の洪水のとき、道部と松崎の村境に流れ着いた。
それ以来、「嵐の稲荷」と呼ばれている。
当時、道部村の住民たちは「普通なら海に流れ出るところだったが、まだ道部に未練があったためここにとどまったのだ」と主張。
片や松崎村側では『道部に愛想をつかして流れてきたのだから、松崎でまつるのが当然』と争ったが、結局は両方の村が共同で、流れ着いたその場所にまつることになった、と伝えられている。

[埼玉県入間市] 根古稲荷社(春日町)

社名根古稲荷社(ねっこいなりしゃ)
所在地
根古稲荷社

埼玉県入間市春日町1-11-22
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源神社人 – 根古稲荷神社
訪問記訪問日: 2016/07/10
一部で有名な某食堂のちょっと手前、スーパーバリューが向かい側に鳥居があるのを発見。
気になって予定外にちょっと参拝。村持ちの様な屋敷神の様な…。鳥居は朱色に塗られたいかにもというもの。
ただ、神明鳥居のように柱や笠木は丸材、貫には板材なんだけど、貫は貫通しており額束がある。
神明鳥居と明神鳥居のハイブリッド。なんという形の鳥居なのやら。

入り口には「根古稲荷社」とあり、「正一位根古稲荷大明神」の旗がはためいています。
初見では「ねこいなり」と読むんだと思っていたけれど、ネットでざっと調べてみると「ねっこいなり」と呼ぶのが正しそう。

御朱印
由緒書

[埼玉県戸田市] 帝稲荷神社(美女木)

社名帝稲荷神社(みかどいなりじんじゃ)
所在地
帝稲荷神社

埼玉県戸田市美女木7
社格
御祭神
神紋
摂末社美女木八幡社の境外末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/05/28

美女木八幡社の裏手、住宅街の細路地を入ったところに鎮座。

特に由緒書き等はなく、詳細は不明だが、新編武蔵風土記稿の「美女木村 八幡社」の項目にある「末社。太神宮神后皇后高良明神住吉明神合社、天王社、帝稲荷社、飯綱権現社、辨天社、第六天社、大龍頭権現社。」の帝稲荷社が本社であると推測される。境外末社ということで良いのだと思う。
ただ、戸田市史 民俗編埼玉の神社などにはそれらしい記述が見つけられず、裏が取れない状態である。

御朱印
由緒書