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[埼玉県川口市] 畑田稲荷神社(辻)

社名畑田稲荷神社(はたけだいなりじんじゃ)
所在地
畑田稲荷

埼玉県川口市南鳩ヶ谷7丁目27
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/08
御朱印
由緒書鳩ヶ谷市史 民族編辻地区の畑田稲荷は、かつて辻村の鎮守様つまり村社であったが、明治末年に鳩ヶ谷氷川神社に合祀された。しかし、その後も村の中で信仰を集めている。現在の氏子は、ほとんど真言宗の人たちであり、氏子どうし四軒で組を組織し、年番を出し諸行事を行い、自ら「畑田の氏子」と称するなど、氏子意識がきわめて強い。氏子総代(世話人)は一〇名いるが、真言宗の真福寺・西光寺の世話人(檀家総代)と同一人であるなど、宗派との結びつきがここにもみられる。
行事は、正月・初午・春祈祷(四月十三日)・夏祈祷(五月十三日)・天王様(七月十五日)・お日待(十月十五日)であり、年番が集めたお金で祭礼を運営している。

[千葉県勝浦市] 遠見岬神社(浜勝浦)

社名遠見岬神社(とみさきじんじゃ)
所在地
遠見岬神社

千葉県千葉県勝浦市勝浦92
社格郷社
御祭神天冨命(あめのとみのみこと)
神紋麻の葉紋
摂末社摂社
忌部神社
末社
月読神社(月読命)
金刀比羅神社(大物主神)
福徳稲荷(豊受大神)
伏見稲荷(宇迦之御魂神)
境外神社
火防稲荷(宇迦之御魂神)
西宮神社(西宮大神)
情報源遠見岬(とみさき)神社【公式HP】千葉県勝浦市鎮守
神社のひろば 神社探検隊!
訪問記訪問日: 2017/02/05
御朱印あり
由緒書

[千葉県勝浦市] 火防稲荷神社(勝浦)

社名火防稲荷神社(ひぶせいなりじんじゃ)
所在地
火防稲荷神社

千葉県千葉県勝浦市浜勝浦1
社格遠見岬神社 境外末社
御祭神宇迦之御魂神
神紋
摂末社
情報源神社のひろば 神社探検隊!
訪問記訪問日: 2017/02/05
勝浦の港のところにある駐車場から朝市に向かう途中に鎮座。
とにかく、看板が目立つ。
「開運火防稲荷神社」
特に由緒のようなものの記載は見当たらなかったが、ネットを漁っていると、遠見岬神社のfacebookと思われるところに
「この神社は約100年前の勝浦大火の時、この神社を境に延焼が止まった為、火防稲荷と呼ばれるようになりました。」
との記述。合わせて、伏見稲荷大社の記述も見られることから、もともとは京都からの勧請した稲荷神社なのでしょう。
御朱印
由緒書

[福島県郡山市] 水天宮(久留米)

社名水天宮
久留米水天宮
水天宮様
所在地
水天宮

福島県郡山市久留米3丁目54番地
社格
御祭神天御中主神(あめのみなかぬしのかみ)
安徳天皇(あんとくてんのう)
高倉平中宮(たかくらたいらのちゅうぐう)
二位尼(にいのあま)
神紋水天宮椿紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/28
御朱印
由緒書御由緒あさかの神社誌より)

 明治11年11月、士族授産により九州久留米藩より大蔵壇原(現郡山市久留米)に入植した先人たちが、安積原野開墾の辛苦の中から、開拓地に氏神を祀り、神の加護と移住者の一致団結をはかるべく、郷里の久留米水天宮の御分霊を勧請して、明治15年4月開墾地の鎮守とした。以来水天宮様と呼ばれ、入植者の子孫繁栄をはじめ地区民の心のよりどころとして、また安産の神として婦人の参拝ばかりでなく、水難防除の神としても広く信仰をあつめている。

[福島県郡山市] 近津・安倍両神社

社名近津安倍両神社
所在地
近津安倍両神社

福島県郡山市安積町荒井安倍
社格
御祭神味耕高彦根命
安倍継守
神紋
摂末社稲荷社
疱瘡神
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/28

たまたま所用で郡山。
用事を済ませて。さて帰ろうかと地図を見るとナビ上に神社のマーク。
時間もあるしと参拝。

集会所併設のタイプで、特に由緒書等はなし。

狛犬はちょっと見た目が変わり者。狛犬というにはサル顔。
古いのかな?と思ったけれど、作は昭和32年。比較的新しい。
何か意図があってのこの感じなのでしょう。

社殿の周りには石祠が多数。

のちにネットでちょっと調べたところ、個人サイトで情報を出している人がいた。
逆に言うと、その個人サイトのみで情報が手に入った。
祭神は味耕高彦根命と安倍継守との記載。味耕高彦根命の方は味耜高彦根命ではないかと思われる。
情報としては、相生集に記載されているようだけど…さすがに相生集は持ってないなぁ…。

御朱印
由緒書

[長野県長野市] 柳原神社(中御所)

社名柳原神社(やなぎはらじんじゃ)
笹焼神社(ささやきじんじゃ) – 通称
笹焼大明神(ささやきだいみょうじん) – 通称
諏訪大明神 – 旧称
所在地
柳原神社

長野県長野市中御所一丁目4番1号
社格村社
御祭神健御名方命
少彦名命
誉田別命
神紋
摂末社
情報源柳原神社 (長野市) – Wikipedia
訪問記訪問日: 2017/01/21
御朱印
由緒書社号標 裏に陰刻されたもの

柳原神社は、健御名方命・少彦名命の二神を御祭神とし、昔より笹焼大明神と崇められ 善光寺七社の一つとして数えられる由緒ある氏神様であります。文政元年に柳原神社と改称されその後明治四十二年に誉田別命が合祀され、御三神となりました。氏子並びに崇敬者はその御神徳を仰ぎ、産土の社ば今般、長野市が施行される都市計画街路(ターミナル南通り)の拡幅事業にあたり、神社境内の土地の一部を、提供せざるを得ない事態に立ち至りました。この結果、本殿の移転、祝詞殿、拝殿、社務所、倉庫等の新得、手水舎の移転改装、また鳥居、玉垣、燈篭等の移転改築にともない、御社の構造を新たに整えることに相成りました。このようなことは恐らく、神社創建以来始めてのことであり、今後数百年間はあり得ないことと思われ、地域氏子、崇敬者が挙つて取り組まなければらなない大事業であると思われました。さてこのために要する経費については、長野市に提供する土地代金、建造物の移転及び立木の補償等、総額約八千万円をもってこれに充当することに致しました。この際に神社の面目を一新することが時機を得た方策であり、御神意にも添うものと考えられます。これに要する諸経費につきましては氏子地域の崇敬者及び篤信の方々の心がからなる御浄財をもってここに完成する事が出来ました。

[長野県長野市] 千石稲荷神社(南石堂町)

社名千石稲荷神社(せんごくいなりじんじゃ)
所在地
石稲荷神社

長野県長野市南長野南石堂町
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/20
御朱印
由緒書千石稲荷神社の由来

抑々、古くは善光寺平に濃厚が始まった時に遡り、その名も知れぬままこの地域の農耕の神として広く信仰されていたもので昭和十五年、駅前土地区画整理組合から、敷地の提供を受け現在の地に定着しました。
千石の名は、古くから善光寺領の石高を千石と言われ、又この稲荷神社の地が千歳町、石堂町、末広町に挟まれた位置にふさわしい縁起の良い名で知られております。
千石稲荷は農耕、商いの神として有名な伏見稲荷の御分身として、地名の千歳(長寿、病気平癒)石堂(家内安全、身体健全)末広(家運隆盛、商売繁盛)の名に稲荷(実る)の願望が叶うという意味が千石稲荷の名に織り込んだものです。
昔より、千石とは収穫の多きを意味し、千石船など豊かな感じを表現する名として使われております。
(紀元貳千六百年奉賛会の記録より)

[静岡県沼津市] 諏訪神社・縁結神社(政戸)

社名諏訪神社・縁結神社(すわじんじゃ・えんむすびじんじゃ)
所在地
諏訪神社・縁結神社

静岡県沼津市大平2943
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04

たまたま通りがかって鳥居を発見。急遽、参拝。

楔の大きさがきになる明神鳥居をくぐると目の前に小ぶりな社殿。
えらく新しい境内。整備されたのはつい最近のような雰囲気。

それにしても、諏訪神社はわかるが縁結神社とは…。
妙に俗っぽさを感じずにはいられない。
なんというか、バンレンタインチョコレートの売り場のような…そんな俗っぽさ。

そんなことを思いつつ参拝し、帰宅後にネットで検索。いろいろ検索した結果、
曹洞宗 桃源院に行き着く。そこの情報によると、

(1)諏訪大明神 
 当時の浪人は、信州出身の者が多かったので、長野県の諏訪神社を分祭祀し、天正十八年八月造営され、祭礼は四社合同にて、九月一日政戸区民一同で交代に祭っている。
(2)結大明神
 諏訪大明神と並んで祭られており、縁結びの神として信仰されている。祭神(いざなみ・いさなぎの尊)
(3)稲荷大明神
 右側に祭られており、農民になったとき農作物の神として祭った。祭神 (天白大権現)
(4)左口神
  じゃも(疱瘡や皮膚病の痕)を守って下さる神様として、祭っていたが、何時の間にか「オシャモジサン」と呼ばれ、あせも・おできの神として信仰されている。

ということで、この縁結神社は俗っぽい者ではなく、結大明神由来なのであろうことがわかった。
俗っぽいなどと考えたこと。反省。

ただ、この情報だと4宇の神社があったことになる。
稲荷大明神と左口神はどちらに行かれてしまったのだろうか…。

御朱印
由緒書