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[静岡県三島市] 三嶋大社

社名三島神社(みしまじんじゃ)
三嶋大社(みしまたいしゃ)
所在地
三嶋大社

静岡県三島市大宮町二丁目1番5号
社格延喜式内(名神大社)
伊豆国一宮
伊豆国総社
官幣大社
別表神社
御祭神三嶋大社 Webサイトによる
大山祇命(おおやまつみのみこと)
積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)
御二柱の神を総じて三嶋大明神(みしまだいみょうじん)と称しています。

静岡縣神社志 による
祭神 正殿一座 玉籤入彦厳之事代神(たまくしいりひこいづのことしろぬしのみこと)
或云、積羽八重事代主命(つみはやゑえことしろぬしのみこと)
或云、都波八重事代主神(つはやゑえことしろぬしのみこと)
相殿四座 阿波神(あはのはみ) 或云、阿波咩命(あはめのみこと)
伊古奈比咩命(いこなひめのみこと) 又御名 三島溝樴姫(みしまみそくひひめのみこと)
一座神名未詳(社傳、物忌奈命(ものいみなのみこと))
一座神名未詳(社傳、大山祇命)

祭神を事代主とする主張は江戸時代後期の平田篤胤によるものであり、割と最近の話である。
江戸期までは大山祇命とされていた。
ただし、近年では伊豆諸島の神、ミシマ(御島)の神(三嶋大明神)であるとする資料も多く見られる。
神紋折敷に三文字紋
五七の桐紋
摂末社
情報源三嶋大社
訪問記訪問日: 2017/05/06

伊豆地域の神社を目指して参拝旅行をする関係で、三島もよく来るには来るけれど。
いつも混雑している三島大社はなかなか訪問する機会もなく。
その昔は仕事の関係でもよく来ていたこともあり、年に数回は詣でていたんだけれど。
かれこれ20年ぶりくらいの訪問。

社頭右側に神社の駐車場(有料)があるので、そこに車を止めて参拝。

崇拝篤い神社だけあって、参拝するたびに感嘆である。
ともかく広い境内で、鹿苑もある。

社頭にある灯篭にある「折敷に三文字」の神紋を確認しつつ、境内へ。
かなり大きな境内で、立派な神池が出迎えてくれます。
そしていたるところに十六八重表菊。
神池をみながら境内を進むと神門、その先には舞殿があり、その真裏に社殿。
社殿もかなりの豪勢さ。

社伝によると、災害により深刻な被害を受けることもあったが、その度に再建してきたという。
しかも迅速な再建で、各地からの信仰の篤さを感じさせる。

ともかく、いつ来ても大勢の人でにぎわっている。
一度でいいから、落ち着いてゆっくり参拝してみたいものだ。

御朱印あり
由緒書

[静岡県西伊豆町] 辨財天社

社名辨財天社
所在地
辨財天社

静岡県賀茂郡西伊豆町田子字本宮 (田子瀬浜海岸)
社格
御祭神辨財尊天
神紋波に三つ鱗紋
摂末社
情報源西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編
訪問記訪問日: 2017/05/05
田子港より海沿いに約1キロほど南下する。
途中の道は細く、すれ違いも気を使う。途中の入江には造船所などもあり、港町の雰囲気を存分に楽しめる。
車でアプローチできる一番奥、海水浴場までいくと、海に向かってひとつの社が立っている。
弁天社である。
西伊豆町誌によると、この弁天社はもともと、目の前の海に浮かぶ「弁天島」に鎮座していたとのこと。
昭和五十二年に発生した伊豆大島近海地震により大きな被害を受けたため、本地に遷座したとのことのようである。
大きな被害は受けたが、弁天島での本殿修復の意向もあったが、今後予想される東海地震を懸念し、最終的に、昭和五十八年三月の遷座となったようだ。
御朱印
由緒書

[静岡県松崎町] 仲神社

社名仲神社
所在地
仲神社

静岡県賀茂郡松崎町那賀64
社格静岡県神社庁神社等級規定 十四等級神社
村社
延喜式内(仲神社:論社)
延喜式内(伊那上神社:論社)
延喜式内(仲大歳神社:論社)
御祭神
神紋
摂末社
情報源仲神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/05/05

所用で松崎町を通過する用事があったので、以前から気になっていた「仲神社」を目指す。
この地域は道が入り組んでいて細い上、生垣などがあったりして見通しも悪い。
迷いに迷って、ようやく探し出した。迷ったおかげでどうやってたどり着いたかすらよくわからない。
たぶんだが、車で向かうのであれば、「那賀生活改善センター」あたりを目標にするとよいと思う。

入り組んだ細い道を進んできた感覚からすると、集落の中にぽかっと空いた空き地的境内。
広くもないが、集落の集会を行ったりお祭りを行うのは事足りそうなサイズである。
境内内には「那賀生活改善センター」があり、近隣住民の集会所等として利用されているようだ。

道路から見ると敷地に斜め方向に立つ白色の明神鳥居。
鳥居に向かって左が「那賀生活改善センター」、右が「拝殿」である。

拝殿は神社建築というより、どちらかというと商家の建物…といった様相。
扉には鍵はかかっておらず、自由に開けて参拝する形式の様です。

ひとまず、扉を開けて参拝。

拝殿内には、静岡の神社らしく等級が掲示されており、本社は静岡県神社庁神社等級規定十一等級とのこと。

御朱印
由緒書

[静岡県下田市] 波夜多麻和氣命神社

社名波夜多麻和氣命神社(はやたまわきのみことじんじゃ)
波夜多麻和氣神社
相玉天神宮(旧社名)
所在地
波夜多麻和氣命神社

静岡県下田市相玉8
社格村社(明治六年)
従四位上 おほゐの明神(伊豆国神階帳)
波夜多麻和氣命神社(延喜式内:論社)
佐伎多麻比咩命神社(延喜式内:論社)
御祭神波夜多麻和氣命(はやたまわけのみこと)
神紋
摂末社
情報源波夜多麻和気命神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/05/05

稲生沢川の南側、並走する15号線を伊豆急行稲梓駅より西方面に進む。
南側の丘の上に社が見える。

台輪鳥居、社号標の先に急峻な石段。
その先に社殿。

社号標には「式内波夜多麻和氣神社」の陰刻。
ただ、神社庁などの情報によると…社名は「波夜多麻和氣命神社」で「命」の一文字が抜けている模様である。
ただ、目と鼻の先にあるバス停の名称は天神前。
本来の社号は天神社なのか?と帰宅後にネットで簡単に検索。

例えば伊豆下田市相玉の式内:波夜多麻和氣命神社は土地では「天神さん」として祀られてきており(波夜多麻和氣命を祀るという記録はない)、神社前のバス停名も「天神前」である。しかしここは「菅原道真公を祀る」という伝があったわけでもない。まことに大雑把に「天神さんの社」だったのだ。伊豆は伊豆三嶋大神の御子神たちが複雑な名前であることから一般に膾炙しなく、単に若宮さんとか天神さんとか呼ばれてよく分からなくなってしまった例が多い。

神社巡りの方法|四座 読|龍学 -dragonology-より

なるほど、バス停が天神前だからと言って、過去は菅公を祀っていたものを…みたいな安直な想定はよろしくないという事なのだろう。
伊豆神社は奥深い。

石段を登り、参拝。

鳥居は綺麗にペンキが塗られているところを見ると、地域の信仰は残っているんだろうと思う。
それでも、社殿はかなり痛んでおり、維持の難しさを感じさせる様相。
神社の維持というのは現代ではかなり難しいんであろうと思う。

参拝後、振り返ると周囲の美しい景色。

御朱印
由緒書

[静岡県下田市] 高根神社(落合)

社名高根神社(たかねじんじゃ)
高根白山神社
白山宮・高根宮
所在地
高根白山神社

静岡県下田市落合276
社格村社
御祭神白山姫神(南豆風土誌・新南豆風土誌による)

勾大兄廣國押武金日天皇(安閑天皇)(静岡縣神社志による)

神紋
摂末社
情報源高根神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/05/05

稲梓駅の目の前、山に張り付くように社殿があり、そこそこ目立つ存在。

この神社、社名がよくわからん。っというところから始まった。
神社庁の登録によると、高根神社とされている。ただ、地図をみる限り、高根白山神社である。現地でみると、白山宮・高根宮と併記。神社庁のものが正しいのであろうけれど、現地の白山宮・高根宮も気になる。
現地に行けば、由緒の掲示でもあろうかと思ったけれど…もちろん、何もなし。

社地は急峻。拝殿から本殿までは階段で登る。これがまた急峻。
脇に作られた登山道のような道を登り本殿へ向かう。
本殿は2間で2扉。どちらかが白山宮で高根宮なのでしょう。
ネットで見ていたところ、安閑天皇と白山姫命を祀ると書いている人も見かけたし、その2柱なのかもしれない。
とはいえ、確証はないけれど。

本殿まで登り後ろを向くと…綺麗に鉄道の橋梁を拝むことができる感じ。
もしかすると、イベント列車的なものが走るときには、鉄道ファンのお立ち台に化けるのかもしれないなぁ。

いずれにしろ、追加資料を探してみないことには詳細は不明。

—–

のちに資料を幾つか入手して確認してみた。

(南豆風土誌)
南豆風土誌によると
神社名: 高根神社
所在地: 落合字宮の前
創立年月: 応永9年(1402)棟札
祭神: 白山姫神
社格: 村社
境内地: 一一八官一
とある。

(新南豆風土誌)
新南豆風土誌によると
神社名: 高根神社
祭神名: 白山姫神
所在地: 落合字宮の前
創立年: 応永9年(1402)棟札
旧社格: 村社
とある。

(静岡縣神社志)
静岡縣神社志には単独で本神社を掲載していないけれど、賀茂郡の項に次のようにある。

◯高根神社は五社あるがその祭神は一定せぬ、味耜高彦根命を祀るは南上村に三社、三濱村に一社ある、而して稻梓村落合高根神社は勾大兄廣國押武金日天皇(安閑天皇)を奉祀する。

静岡縣神社志が昭和16年の資料、南豆風土誌は大正3年の資料、新南豆風土誌は昭和32年。
時代変遷によって祭神が変わってきたのかとも思えるけれど、そうとも限らないようにも見える。
いずれにしろ、他の資料に当たってみない事にはなんとも言えなさそうである。

御朱印
由緒書

[静岡県西伊豆町] 神明神社(浮島)

社名神明神社
所在地
神明神社

静岡県賀茂郡西伊豆町仁科三〇三五番地の一(浮島)
旧表記:仁科村濱字富洞(南豆風土誌新南豆風土誌
社格延喜式内(布刀主若玉命神社:比定)
無格社
御祭神布刀主若玉命(南豆風土誌新南豆風土誌西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編による)
布刀若玉比売命(村社加列願 による)
布刀主若玉姫命
神紋
摂末社
情報源南豆風土誌
新南豆風土誌
西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編
訪問記訪問日: 2017/05/05

以前より、「浮島(ふとう)には神社がある。」という情報は得ていて、一度、詣でてみたいと思って早6年。
何度も浮島海岸には行っているが、一度も社の様なものは見かけたことがなく、正直、いったいどこにあるのだろうという状況であった。
玄松子の記憶さんのところに神明神社とあり訪問ん記録が記載されている。
その後、むく犬のブログさんの【無狛犬】西伊豆町浮島 浮島神社のエントリーなども発見。
やはり、この小さな浮島エリアのどこかに潜んでいるんだろうなぁ。

ムズムズと考えながら情報を検索するも、これ以上の情報もなし。
結論。やはり足で稼ぐしかなかろう。

「しおさいの湯」に行った際に、番頭をしていた初老の男性に神社の事を聞くことからスタート。
地元の人ならと期待を込めたが、「神社なんて聞いたことがないな。俺は田子の人間だから良く知らない。」と…田子、山を挟んで隣のエリア。
やはりそのくらいの距離の人ですら知らないのであれば、どうにもならんなぁ。と思いつつ、もうやけになって路地を歩きだす。

結局、場所は分かった。
「しおさいの湯」を背に真ん前の山裾である。

大屋荘の脇の路地を入り、大屋荘の真裏にある道を浜に下る。
道と言っても自転車が精一杯の「路地」。
ゼンリンの住宅地図でも見れば乗っているんだろうけれど、普段使っているネット上の地図には道の存在すら記載されないレベル。
下りながら山を覗くと、これまた細い路地の先に鳥居が見える。
ようやく発見である。

ちょろちょろと水の流れる小川を超え、境内へ。
石積の上に社殿。
社殿は大きくはないがきれいに整えられており、信仰が続いているのがわかる。

延喜式内の布刀主若玉命神社に比定される古社。
観光資源にでもなりそうな気もするんだが、そこは、観光のメインストリートではなく、生活のメインストリートを通り、さらに地域住民に近い路地の奥。やはり地域としてはそっとしておいてほしい領域なのかもしれません。

御朱印
由緒書西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編

神明神社(延喜式内・無格社)

西伊豆町仁科三〇三五番地の一(浮島)

祭神 布刀主若玉命

環境

旧国道「浮島」のバス停から小さな谷川に沿って四〇
〇メートル余り下り、民宿の角を右に折れると間もなく
小さな鳥居が見える。
ここが旧式内社「神明神社」である。社の前には、先
程の谷川が流れている。幅二メートル程の川には以前船
板がかけてあったが、現在はコンクリート造りの小さな
太鼓橋に替っていた。不思議なことに、ここの川底だけ
が岩盤で、一か所深く抉られたところがある。前にはこ
の淵で、よくウナギが捕れたという。
橋を渡った左側の袂に、直径二〇センチメートルくら
いのウバメガシがある。幹の片面に長く大きな傷跡が残
っている。これは明治の火事の名残である。
『増訂豆州志稿』に「祠域狭隘極テ衰頽ニ属ス」とあ
るように、今も小さな社であるが、かつては式内社であっ
た。この辺りを昔から御庵と呼び、五輪さんの伝説やま
た瓶棺の出土などを考え合わせると、改めてこの土地の
歴史のロマンを感じさせる。縁起
創立年月は不詳である。『延喜式神名帳』に「布刀主若
玉姫神社」とある式内社である。また『伊豆国神階帳』に
「従四位上二浦谷玉姫ノ明神」とあるが当社に当てられる。
ただし『増訂豆州志稿』や『大日本史神祇志」に「谷
は若の誤字」であるとされる。
祭神の「布刀主若玉命」は、神話の「天岩屋物語(後
記)』に出てくる姫神である。
また鎮座地の浮島の地名は祭神の布刀、二浦から富戸、
富洞から現在の浮島となったものである。また、この付
近の小字が御庵となっていることなどを考えると、この
神社との古いつながりを感じさせる。
神社の神明は姫神を神明と尊称することが多いという
ことから土地の人は昔から「神明さん」と呼び親しんで
きたものである。明治十六年五月の村社加列願いには
式社「富洞神社」とあるが、これは格式を高めるためと
思われる。同十九年の古社寺調には、無格社「神明社」
となっている。
なお昭和二十八年の『神社明細帳』には「神明神社」
として登録された。
明治十九年の調書に「此処ハ人家只六七軒ニシテ祠モ
甚小ナレトモ相伝ヘテ式社ト云極メテ古祠ナル由」とあ
るように古くから、式内社と伝えられ尊崇されていた社
である。また棟札写しとして「奉再建神明宮慶長十三年
(一六〇八)正月再建願主氏子中」とあるが、この棟札
は現存しない。
明治二十八年五月古社寺調に「今ハ社域狭隘ニシテ唯
小祠ヲ存スル耳ミ、再三海嘯ノ為、流レテ旧記ヲ失フト
云フ」とあるように記録はほとんど残されていない。
当社の社格は無格社とあるがこれは、明治四年以降の
神社規則による国が所管する官幣、国幣の大中小の官社
と府県社・郷社・村社・無格社の社格をいう。無格社を
社格なしと考えるのは間違いで無格社も「無格社」とい
う社格である。ただしこれは昭和二十一年廃止された。

由緒書村社加列願

伊豆国那賀郡浜村字浮島

式内 富洞神社

一、祭神 布刀若玉比売命
一、由緒 延喜式神名帳ニ載スル処ノ官社ニシテ其証ハ
去ル明治五年旧韮山県ニ於テ編相成候伊豆国
式社考証又同八年旧足柄県ニ於テ編進相成候
伊豆国式社未定神社考証書又其後旧教部省ニ
於テ編纂相成候纂定神名■等ニ判然記載有之

一、社殿間数 間口壱間半 奥行壱間
一、境内反別 三畝十歩
一、氏子戸数 三百四十三戸
右者由緒ノ通リ式内ニシテ村民信仰ニ因リ従来修
理維持罷在候処社格未定ニ付今般更ニ村社加列願
上弥増尊信仕度人民協議ノ上鹿絵図相添情願仕候
間御聞届被下候様奉願上候也
那賀郡浜村佐波神社祠官 間野斎宮
同村氏子惣代      山本良吉
同           加藤兼吉
明治十六年五月

[静岡県下田市] 両神社

社名両神社(りょうじんじゃ)
兩神社
三島大明神(旧社名)
所在地
両神社

静岡県下田市須崎838
社格佐伎多麻比咩命神社(延喜式内:論社)
穂都佐氣命神社(延喜式内:論社)
御祭神伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/05/04

須崎の漁港の入り口付近、床屋の脇の路地に入り、すぐを左へ。
そこが神社への参道。
すぐに靖国鳥居が見えてくる。

手前には手水舎。
階段を登り鳥居をくぐると…参道の幅からは想像しにくい境内の広さ。
社殿もなかなか立派。
手入れもされており信仰が残っているのがよくわかる。

社殿右脇には境内社。
詳細は不明だが、大きな鏡が置かれていた。

御朱印
由緒書

[静岡県松崎町] 稲荷神社(船田)

社名稲荷神社
所在地
稲荷神社

静岡県賀茂郡松崎町船田
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/05/02

たまたま、若宮八幡神社宮に訪問した帰り道に発見。
松崎の松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編にも載っていない神社だけれど、どう見ても邸内社という感じでもなく。
ひとまず、参拝。

傷みが激しいけれど、しっかりと大地に立つ、石造りの靖国鳥居。
その先には眷属たる狐が4匹。
こちらも傷みが激しく、少し見ていてかわいそうな感じ。

社殿には特に社名等が書かれていないけれど、水田地帯の社であり、眷属が狐であることから稲荷神社なのでしょう。

資料が無いのでそれ以上は不明…。

御朱印
由緒書

[静岡県松崎町] 若宮八幡宮(船田)

社名若宮八幡宮
所在地
若宮八幡宮

静岡県賀茂郡松崎町船田321
社格
御祭神仁徳天皇
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/05/02

山間の船田の集落のほぼ中央に鎮座。
周りには清流が流れ、子供達が水遊びに興じている。
のどかな日本の原風景。
自然豊かで山の木々と小川のせせらぎ。
こういう風景を見るとあこがれてしまう。

集落のほぼ中心線の奥、子供が水遊びに興じる水路の先に神社。

小さな橋を渡り、純白の台輪鳥居をくぐる。

その先には拝殿。
参拝しようと手を掛けるが…拝殿は硬く扉を閉ざしている。
「ここも伊豆方式か!」
伊豆は拝殿脇から階段を上り、覆殿を開けて直接の参拝となることが多い。
ここもその方式かなと拝殿裏に回り、急な石段を登り、集落を見渡せる覆殿まで登る。
心地よい空気を吸いながら登る階段。これまた心が洗われるような気分。

覆殿前で振り返ると、集落を見下ろす絶景。

残念ながら、覆殿も施錠されていたが、扉の格子越しに参拝。

松崎町史資料によると、覆殿は明治二〇年五月の造立、中の本殿は寛政元年二月の造立とのこと。

御朱印
由緒書(境内掲示)若宮八幡宮(わかみやはちまんぐう)
鎮座地 松崎町船田三二一
御祭神 仁徳天皇
例祭日 二月十一日・十一月三日由緒創建は詳らかでないが、現在残る文正二年(一四六七)の棟札からも古い社であることがわかる。
所蔵する棟札は、文正二年以外、天文十一年(一五四二)等八枚あるがその棟札によれば現在の本殿は寛政元年(一七八九)初代石田半兵衛も参加して造営されたもので、覆殿は明治二十年(一八八七)、拝殿については記載の棟札なく不明である。近年まで境内にスギ・ヒノキ・ケヤキの大木があった。

[静岡県松崎町] 火産霊神社(門野)

社名火産靈神社(ほむすびじんじゃ)
火産霊神社(ほむすびじんじゃ)
所在地
火産靈神社

静岡県賀茂郡松崎町門野80
社格
御祭神火産霊神社: 火産霊命(ほむすびのみこと)
高根大明神: 不詳
神紋
摂末社
情報源松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編
訪問記訪問日: 2017/05/02

松崎新堤のところから山道を登る。
いい加減、道に迷ったかな?でも、車を回す場所もないなぁ。と心細くなってきた頃にようやく門野の集落に到着。

山に向かってまっすぐ伸びる細い道。その先に明神鳥居が見える。
害獣の被害が多いのでしょう。厳重に防護された畑と畑の間、の山道は車でのアプローチは無理。
手前の少し道幅の広くなっている場所に車を停めさせてもらって、徒歩で参拝。

拝殿は硬く閉ざされており、参拝不能。
ここもかな?と裏手に回り、少々急な石段を登る。
覆殿…こちらも硬く閉ざされており残念な結果に。

それにしても、本当に隠れ里と言った雰囲気の集落。平地から隔絶されたような場所、アクセス道路の分かりにくさ。こんなところに家を持っていたら、本当に隠れ家と呼んでも良さそうな感じである。

御朱印
由緒書(松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編)
由緒 門野の集落を見渡す山の斜面に南面して鎮座しており、この地域が開けた頃からの神社と言われ、また天長五年(八二八)再建とも、天長七年頃の創立とも伝えられているが、詳しいことは不明である。しかし、文字がうすくて判読困難な棟札のあることや、一メートル余の板に荒神の像を画いた御神体に応永八年(一四〇一)二月一二日と記されていること、また大久保石見守の名の見える慶長一四年(一六〇九)の棟札の存在等、地域の中でももっとも古くからあった社の一つであり、また人々の信仰も厚かった様子がうかがわれる。
なお高根大明神は、増訂豆州志稿によれば、「承応三年梅木原ヨリ遷ス」とあるが、所蔵の棟札によると、むしろ明和三年(一七六六)か文政四年(一八二一)に合祀した可能性がありそうである。特徴火産霊命(向かって右)と高根大明神(向かって左)の二殿合殿例祭日かつては七月一五日であったが、第二次大戦後はやめて現在は例祭としての祭ごとは行われていない。