「鎮座地」カテゴリーアーカイブ

[長野県長野市] 柳原神社(中御所)

社名柳原神社(やなぎはらじんじゃ)
笹焼神社(ささやきじんじゃ) – 通称
笹焼大明神(ささやきだいみょうじん) – 通称
諏訪大明神 – 旧称
所在地
柳原神社

長野県長野市中御所一丁目4番1号
社格村社
御祭神健御名方命
少彦名命
誉田別命
神紋
摂末社
情報源柳原神社 (長野市) – Wikipedia
訪問記訪問日: 2017/01/21
御朱印
由緒書社号標 裏に陰刻されたもの

柳原神社は、健御名方命・少彦名命の二神を御祭神とし、昔より笹焼大明神と崇められ 善光寺七社の一つとして数えられる由緒ある氏神様であります。文政元年に柳原神社と改称されその後明治四十二年に誉田別命が合祀され、御三神となりました。氏子並びに崇敬者はその御神徳を仰ぎ、産土の社ば今般、長野市が施行される都市計画街路(ターミナル南通り)の拡幅事業にあたり、神社境内の土地の一部を、提供せざるを得ない事態に立ち至りました。この結果、本殿の移転、祝詞殿、拝殿、社務所、倉庫等の新得、手水舎の移転改装、また鳥居、玉垣、燈篭等の移転改築にともない、御社の構造を新たに整えることに相成りました。このようなことは恐らく、神社創建以来始めてのことであり、今後数百年間はあり得ないことと思われ、地域氏子、崇敬者が挙つて取り組まなければらなない大事業であると思われました。さてこのために要する経費については、長野市に提供する土地代金、建造物の移転及び立木の補償等、総額約八千万円をもってこれに充当することに致しました。この際に神社の面目を一新することが時機を得た方策であり、御神意にも添うものと考えられます。これに要する諸経費につきましては氏子地域の崇敬者及び篤信の方々の心がからなる御浄財をもってここに完成する事が出来ました。

[長野県長野市] 千石稲荷神社(南石堂町)

社名千石稲荷神社(せんごくいなりじんじゃ)
所在地
石稲荷神社

長野県長野市南長野南石堂町
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/20
御朱印
由緒書千石稲荷神社の由来

抑々、古くは善光寺平に濃厚が始まった時に遡り、その名も知れぬままこの地域の農耕の神として広く信仰されていたもので昭和十五年、駅前土地区画整理組合から、敷地の提供を受け現在の地に定着しました。
千石の名は、古くから善光寺領の石高を千石と言われ、又この稲荷神社の地が千歳町、石堂町、末広町に挟まれた位置にふさわしい縁起の良い名で知られております。
千石稲荷は農耕、商いの神として有名な伏見稲荷の御分身として、地名の千歳(長寿、病気平癒)石堂(家内安全、身体健全)末広(家運隆盛、商売繁盛)の名に稲荷(実る)の願望が叶うという意味が千石稲荷の名に織り込んだものです。
昔より、千石とは収穫の多きを意味し、千石船など豊かな感じを表現する名として使われております。
(紀元貳千六百年奉賛会の記録より)

[静岡県沼津市] 諏訪神社・縁結神社(政戸)

社名諏訪神社・縁結神社(すわじんじゃ・えんむすびじんじゃ)
所在地
諏訪神社・縁結神社

静岡県沼津市大平2943
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04

たまたま通りがかって鳥居を発見。急遽、参拝。

楔の大きさがきになる明神鳥居をくぐると目の前に小ぶりな社殿。
えらく新しい境内。整備されたのはつい最近のような雰囲気。

それにしても、諏訪神社はわかるが縁結神社とは…。
妙に俗っぽさを感じずにはいられない。
なんというか、バンレンタインチョコレートの売り場のような…そんな俗っぽさ。

そんなことを思いつつ参拝し、帰宅後にネットで検索。いろいろ検索した結果、
曹洞宗 桃源院に行き着く。そこの情報によると、

(1)諏訪大明神 
 当時の浪人は、信州出身の者が多かったので、長野県の諏訪神社を分祭祀し、天正十八年八月造営され、祭礼は四社合同にて、九月一日政戸区民一同で交代に祭っている。
(2)結大明神
 諏訪大明神と並んで祭られており、縁結びの神として信仰されている。祭神(いざなみ・いさなぎの尊)
(3)稲荷大明神
 右側に祭られており、農民になったとき農作物の神として祭った。祭神 (天白大権現)
(4)左口神
  じゃも(疱瘡や皮膚病の痕)を守って下さる神様として、祭っていたが、何時の間にか「オシャモジサン」と呼ばれ、あせも・おできの神として信仰されている。

ということで、この縁結神社は俗っぽい者ではなく、結大明神由来なのであろうことがわかった。
俗っぽいなどと考えたこと。反省。

ただ、この情報だと4宇の神社があったことになる。
稲荷大明神と左口神はどちらに行かれてしまったのだろうか…。

御朱印
由緒書

[静岡県伊豆の国市] 天野八幡神社(天野)

社名天野八幡神社(あまのはちまんじんじゃ)
所在地
天野八幡神社

静岡県田方郡伊豆長岡町天野五二九番地
社格村社
御祭神誉田別命(ほんだわけのみこと)
神紋
摂末社秋葉神社
琴平神社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04

修善寺から三島方面へ山の縁をドライブ。
ふと見ると明神鳥居。
目の前に少々の駐車スペースもある様なので、ちょっと参拝していこう。
そう思ったのが、間違いだったかも。

鳥居をくぐると、特筆するというほど大げさではないが、少々、急角度の石階段。約80段。
上った先に社殿。

社殿の軒には太鼓が吊るされており、何かしらの行事で使われている模様。
神社の軒に太鼓が吊るされているというのは、なかなかに見かけない風景。珍しいものを見たなぁ。という感じ。

社殿裏には一宇の境内社。
また、石段の下にも一宇の境内社。
どちらがどちらかの判断はつかなかったけれど、これが由緒書きにある秋葉神社と琴平神社なのでしょう。

石段を登りきったところからは、絶景とは言わないまでも遠方まで望めるビューポイント。

御朱印
由緒書天野八幡神社(あまのはちまんじんじゃ)

鎮座地 伊豆長岡町天野五二九
御祭神 誉田別命(ほんだわけのみこと)(応神天皇(おうじんてんのう))
例祭日 十月第二日曜日(旧十月十四日)

由緒

創立沿革は不詳であるが、享保
二年十二月遷宮棟札があったと記
録に残されている
別殿として秋葉神社、琴平神社が
ある。
神社の棟札の表側には奉造立八幡
宮一宇社中安全守護多聞天王、持
國天王、天下泰平、國土安穏、増
長天王、広目天王、氏子息災、延
命長寿守護とあり、村人たちが人
々の幸せを願って創立したもので
あろう。長い階段は八十四段ある

由緒書八幡神社
鎮座地 静岡県田方郡伊豆長岡町天野五二九番地
御祭神 誉田別命
例祭日 十月十六日由緒当社は天野の里の産土神社として創建されたが
その年代は定かではない。現存する棟札に、享
保二年(一七一七)十一月、同十六年(一七三
一)十二月、延享三年(一七四六)十月、文化
十四年(一八一七)九月に改修していることが
見える。
明治旧年に村社に加列され、里人の信仰を集め
たが、明治二十 年九月九日暴風の為上覆屋を
損なったのを機に、明治三十四年二月十二日上
覆屋、弊殿、拝殿改築工事を始め同年四月二日
竣工し、遷宮式を斉行した。爾来百年、氏子一
同崇敬の誠を捧げ、祭典を奉仕して来たが、老
朽化した社殿を憂い、平成七年本殿雨覆、弊殿
拝殿を改築し同年十月十日竣工祭を斎行した。

[静岡県伊豆の国市] 神益麻志神社(神島)

社名神益麻志神社(かんますましじんじゃ)
所在地
神益麻志神社

静岡県伊豆の国市神島1307
社格延喜式内(大朝神社)
延喜式内(伊加麻志神社)
御祭神長白羽命(ながしらはのみこと)
神紋
摂末社
情報源神益麻志神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

西伊豆よりの帰り道。気が向いて狩野川の西側を通ることにする。
すれ違いも困難なほどの細い道を進んでいると鳥居が見える。
狩野川にかかる神島橋の少し南側である。

道より石段を登り明神鳥居をくぐる。

鳥居の脇に「神益麻志神社」の社号標がある。
パッと見て読み方がわからない。

すぐ目の前に社殿。

参拝。

特に由緒等の掲示もなく詳細は不明。

家に帰り社名より検索すると、延喜式内の大朝神社や伊加麻志神社と比定する説のある神社だったようだ。
境内にも式内社という文字は見かけなかった。

御朱印
由緒書

[静岡県沼津市] 部田神社(戸田)

社名部田神社(へだじんじゃ)
所在地
部田神社

静岡県沼津市戸田1585
社格延喜式内(部多神社)
郷社(明治六年八月)
御祭神大國主命
熊野櫲樟日命(日枝神社)
猿田比古命(八衢神社)
應神天皇(八幡宮)
大日孁貴命(大神宮)
級長戸邊命(龍田神宮)
級長津彦命(龍田神宮)
聖徳太子(厩戸神社)
神紋五三桐紋
摂末社日枝神社
八衢神社
八幡宮
大神宮
龍田神宮
厩戸神社
忠魂社
情報源部田神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

戸田の市街地から戸田峠の方に進むこと数分。
右手の細道に入るとそこに神社。

新道・旧道の間に鎮座しており、ただ車で走っているだけだと存在に気が付かないかも。

ただ、社地は比較的広く、社殿も迫力がある感じ。

社殿の扉は閉ざされているが、入り口には紙が貼られており、自由に中に入って参拝してよいとのこと。ここは有難くしたがって参拝させてもらう。

どうも伊豆という土地は大盤振る舞いの気質なんだろうか。
ここもご自由に社殿へどうぞだし、ほかでも、拝殿ではなく脇から階段で本殿へどうぞだったり。

社殿裏手には境内社

御朱印
由緒書部田神社

祭神 大国主命
例祭日 十月九日

由緒 当社の創建は古く、延喜式神名帳(九二七)伊豆国那賀郡二十二座の内、部多神社にて伊豆国神階帳(一三四二)従四位上へたの明神に座すと伝う。
古来西伊豆地方の総鎮守として近隣の尊崇厚く氏神社として農漁商工業の守護神福の神として崇敬あつい。
境内には千数百年経た神木、鬱蒼として南隣の妙法蓮華寺は往古当社の別当なるべしと伝へられる。
天正二十年(一五九〇)九月再建明治六年八月郷社に列っす。
境内 四百二十四坪
社殿 両部造
境内社 三社、日枝神社 熊野櫲樟日命  八衢神社-猿田比古命 八幡宮-應神天皇
相殿二社 大神宮-大日孁貴命  龍田神宮 級長戸邊命 級長津彦命 厩戸神社- 聖徳太子 忠魂社

[静岡県伊豆市] 大薮辯才天(土肥)

社名大薮辯才天
所在地
大薮弁才天

静岡県伊豆市土肥59−1
社格
御祭神
神紋
摂末社金毘羅宮
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/04

神明鳥居が気になって訪問。
社頭に辯才天。

あぁ、弁財天か。難しい存在きたなぁ。という感じ。
もともとはヒンドゥー教の女神、それが仏教に取り込まれ、更には神道にもという神様。

一応、鳥居を冠しているし、神社なのであろうと参拝。

鳥居をくぐるとすぐにある「いるか供養碑」この辺りもイルカ漁が盛んだったんでしょうかね。
確かに西伊豆地域のスーパーではイルカが店頭に並んでいることも多いし、そういう文化なのでしょう。

先に進むと社殿。
社殿にはしめ縄。

参拝。

特に由緒などを掲示したものはなく、詳細は不明。
ただ形式的なところからも、市杵嶋姫命を祀るものと思われる。

社殿の奥には境内社。中の札によると、昭和初期に勧請された金毘羅宮とのこと。

御朱印
由緒書

[静岡県沼津市] 金刀比羅神社(戸田)

社名金刀比羅神社(ことひらじんじゃ)
所在地
金刀比羅神社

静岡県沼津市戸田3695
社格神社等級(十四等級神社)
御祭神
神紋丸に金文字紋
羽団扇紋
摂末社
情報源金刀比羅神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2017/01/04

戸田の港か見上げると山に神社と思しき影。
当たりをつけて階段を上る。
階段の先に赤い明神鳥居。

登りきった先に社殿。

社殿は戸が閉まり、賽銭箱もなく…。振り返ると戸田の港が綺麗に見えるのみ。
場所が場所だから、参拝する時に開けてくださいの類なのだろうと扉を開けると…予想通り無施錠。
都市部ではない神社の場合、参拝する時に開け、終わったらしめて帰るというところは割とある。
ここもそのパターンなんだろう。

参拝。

拝殿には、左右に丸に金文字紋、羽団扇紋。
静岡らしく、神社等級認証書が掲げてあり、本社は十四等級神社とのこと。

御朱印
由緒書