「鎮座地」カテゴリーアーカイブ

[静岡県南伊豆町] 住吉神社(子浦)

社名住吉神社
所在地
住吉神社

静岡県賀茂郡南伊豆町子浦
社格
御祭神
神紋
情報源
訪問記訪問日: 2017/05/02

子浦の駐車場の脇に鳥居、どうも国道沿いの小高く盛り上がった場所に神社がある模様。
せっかくなのでと訪問。

まず、鳥居が面白い。
遠目には赤い靖国鳥居に見えたけれど、近くに来てみるとPPのパイプを組み合わせ、鳥居状にした上でペンキを塗ったものの様です。
東日本大震災以降、強度があり軽量なPP製の鳥居が増えているというニュースを見たことはあったけれど、実際にPPのものを見るのは初めて。まぁ、ニュースのものは、材料がPPであるだけで形状的には従来品と同じように加工してあったけれどね。

鳥居をくぐり、急な階段を上ると社殿。
小高いところに上ってはいるが、鬱蒼と茂る木々に遮られ、外界の眺望は皆無。
小さいながらにきれいに整備されており、信仰が生きているのが感じ取れます。

住吉神社という事だし、子浦の漁師が祀ったものなのかと推測されますが、詳細は不明。

御朱印
由緒書

[静岡県松崎町] 津島神社(峰)

社名津島神社
所在地
津島神社

静岡県賀茂郡松崎町岩科南側1199
社格静岡県神社庁神社等級規定十一等級
御祭神素戔嗚尊(津島神社)
八王子(若宮権現)
神紋
摂末社秋葉神社
稲荷神社
情報源松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編
訪問記訪問日: 2017/05/01
御朱印
由緒書祭神 素戔嗚尊(津島神社)
八王子(若宮権現)由緒
創立年月が不詳。中村の集落から東の段への登り道の直線約一〇
〇メートルは、昭和五〇年代までは立派な石畳となっていた。ここ
は古くから「宮坂」と呼ばれ、かつての島津神社の参道と言われて
いる。このように、社殿はもとは岩科川をはさんで現在地の北、天
王片の地にあったが、水害で山崩れにあい移転したと言い伝えられ
ている。この伝承に関連していると考えられるのが寛文四年(一六
六四)の棟札であるが、ここには「修理」と記されていて、遷宮に
ついての記載はない。水害は「峯村大海波涛涌く」とか「江水逆流
す」などとの記録から、寛文二年の西日本大地震による津波とも考え
られるが、この地震による津波が伊豆西海岸を襲ったという記録は
見あたらない。一方、若宮権現の同年九月の棟札によれば、暴風雨あるい
は山津波の可能性もあながち否定できない。現本殿は、文化一三年
(一八一六)大工、初代石田半兵衛らによるものである。特徴
津島神社(向かって右)と若宮権現(向かって左)の二殿相殿
例祭日 七月一五日前後の日曜日
従来は七月一五日に本祭りを行っていたが、近年になってあらた
められた。

[静岡県松崎町] 諏訪神社(中村)

社名諏訪神社
所在地
諏訪神社

静岡県賀茂郡松崎町岩科北側691
社格
御祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)
神紋
摂末社
情報源松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編
訪問記訪問日: 2017/05/01
御朱印
由緒書祭神 建御名方命

由緒
縄文遺跡として古くから知られている岩科西の段を見渡す山の中
腹に南面して鎮座している。伝えられるところによると、元は西の
段にあり、規模宏大で末社数十座(八十八社ともいわれている)を有し
ていたが、中古火災にあい、社殿、旧記録の全てを焼失したとい
う。現在も西の段のすぐ下のほぼ平地になったあたりに祀られてい
る小社が数社あるが、かつて隆盛を極めた時の名残りを物語るもの
であろう。
一方、二枚ある明和九年(一七七二)九月の棟札の二枚目では、
延宝八年(一六八〇)の棟札を明和九年に書き写したと断り書きし
てあり、それによると「諏訪大明神の草創は久しいが、年を経て大
廃し嘆かわしい事であったが、当村中村清右衛門親知が施主となっ
て石宮一字を再興し云々」と記されている。現社殿の裏正面に、高
さ一メートル弱の古びた石宮が鎮座しているが、現社殿との位置関
係や、前記施主の末裔によって現在まで祀られてきていることなど
から、この石宮が延宝八年建立のものの可能性が極めて高いと思わ
れる。
現社殿は文久元年(一八六一)一一月の造営になるもので、彫刻
師石田半兵衛邦秀(推定・六一歳頃)の円熟期の装飾彫刻は見事で
ある。
例祭日 二月一一日
以前は二月一五日であったが、近年になって改められた。

[静岡県沼津市] 神明神社(舟山)

社名神明神社
所在地
神明神社

静岡県沼津市戸田2556
社格無格社
御祭神天照皇大神
神紋
摂末社舟山天満宮
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

海岸沿いの国道を南下中、途中の碧の丘(展望エリア)で休憩。
海が綺麗だなと見ていたら、ちょい先の集落に鳥居があるのが見えた。
ナビをみると、神社らしい。

そこでちょっと寄り道。舟山の集落方面に進む。

ゆめとびら舟山という青少年屋外研修施設の向かいに鳥居。
社地は木々に程よく光を遮られる形になっており、しっとりと湿った空気が流れている。
なんとなく、この空気感が神聖な場所に来た感じを誘ってくれる。

境内は綺麗に整備されており、社殿も手が入っているようである。
信仰が生きているのが感じられる。

境内社と思われる天満宮には誌文があったが、神明神社には特に由緒書などは無く、詳細は不明。

御朱印
由緒書
由緒書舟山天満宮誌文

天を敬い地に親しみ人々相和し文化を築く、是人の正道なり。
我等此処に社屋新たにし先祖伝来の天神を祀り、学業の進展を祈願す。
小学学習を旨とし、その実を挙げ文化の里たらんことを期す。

平成十三年十二月吉日 舟山区民一同

[静岡県沼津市] 八幡神社(戸田)

社名八幡神社
所在地
八幡神社

静岡県沼津市戸田1535
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

たまたま、地図を見ていて鳥居のマークを発見。
部田神社のすぐ南方のようなので、ついでにちょいと訪問。

うーん、人家と人家の間を進んだ一番奥、なんと無く、誰かの家に入り込んでいる感じ。

覆屋の中に石祠。

参拝。

のちに静岡県神社庁の一覧から本社を調べるが…該当なし。
地域で守られているものなのでしょう。

もちろん、由緒書きなども無く、詳細は不明。

ただわかるのは、近所からの信仰が生きていることくらいでしょうか。

御朱印
由緒書

[静岡県伊豆市] 堀切神社(堀切)

社名堀切神社
所在地
堀切神社

静岡県伊豆市堀切273
社格村社(明治六年)
御祭神建御名方命(たけみなかたのみこと)
大山祇命(おおやまづみのみこと)
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

虹の里の山の下付近。心地よい山の緑と村の景色。
細い路地の先に神社。

苔むした石段を登る。
脇には湧き水なのか、きれいな水が心地よい音をたてながら流れる。
心を洗われるようである。

駐車スペースは特にない上に、社地直近はかなり細い路地。
車でのアクセスの場合はちょっと注意が必要かも。

御朱印
由緒書堀切神社鎮座地 修善寺町堀切二七三番地
御祭神 建御名方命(たけみなかたのかみ)
大山祇命
例祭日 十月十日由緒
当社の創建は寛文十六年(一六七六)大沢村の産土神の一座を遷座したのが始めと伝えられている。正徳三年(一七一三)再建された棟札が残されている。明治六年村社に列せられている。以前元石神社と称されていたがその後堀切神社に改められ現在に至っている。又明治十八年より初穂米を以って神酒を公認で醸造し、祭典の際神前に奉供して来たが、昭和三十三年に税法上課税となり廃止した。

[静岡県伊豆の国市] 金比羅神社(神島)

社名金比羅神社
所在地
金比羅神社

静岡県伊豆の国市神島
社格
御祭神伊雑皇大神宮
大山祇命
倉稲魂命
事比羅命
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/30

修善寺に向かう途中。崖の上に鳥居が見えて…前々から気になっていた神社。
地図を見てもネットで調べても入口がわからない。

という事で、朝早く現地に来てちょっと調査。

橋を渡ったところを右折、坂を下がり切る直前に参道の入り口。
そこから簡単な山道を登る事2分ほど。絶景の境内に到着。

社殿も小さいながらにきれいに整備されており、信仰が生きているのを感じさせます。

社殿には特に社号等の表示はなく、社殿内の本殿には4柱。
伊雑皇大神宮、大山祇命、倉稲魂命、事比羅命。
Googleの地図表示によると「金比羅神社」。たぶん、主神は事比羅命なのでしょう。
現時点では詳細は不明。

とはいえ、田方を見渡す絶景ポイントであることは確実。

御朱印
由緒書