「金毘羅大権現」タグアーカイブ

[静岡県西伊豆町] 山神社

社名山神社(やまじんじゃ)
山王宮
山神宮
所在地
山神社

静岡県賀茂郡西伊豆町一色868
社格静岡県神社庁神社等級 十四等級神社(昭和五十六年七月一日)
御祭神祭神
山神大明神(大山祇大神)山神社

合祀神
牛頭天王(素戔嗚尊)天王社
金毘羅大権現(大物主命)金毘羅社

神紋
摂末社金毘羅権現
天王社
情報源
訪問記訪問日: 2016/11/23

資料には記載があったけれど、地図には記載がなくどこにあるんだろうかと以前から探していた場所。
伊豆半島ジオパークの「仁科層群の枕状溶岩、岩脈」に向かっていたところ、一色橋を渡ったところで広場に提灯があるのが気になった。夏祭りがあるという事はその付近には神社があるんだろうな。と周囲を見渡すとありましたよ神社。
ジオパークに向かう方向に見て左側。山の斜面に社殿。
社殿前にはフェンスに囲まれた社地があり、車を駐車可能な模様。

綺麗に整備されており、地域の人々に信仰されているのがよくわかります。

階段を登り参拝。
社殿は参拝時に自由に扉を開けて良いようで、鍵はしまっておらず。ご好意に甘えて扉を開けて参拝。

中央に本殿、左右に1宇ずつ、合祀神が鎮座しています。
覆殿の中には、静岡の神社らしく「神社等級認証書」が掲示されています。
「静岡県神社庁神社等級規定 十四等級神社」

一色地区には穂積神社、水神社などもあるはずなんだけど…未だに不明。
小字が見えなくなってしまった今、なかなか難しいですねぇ。

御朱印なし
由緒書山神社
西伊豆町一色八六八番地(小字能山)祭神
山神大明神(大山祇大神)山神社

合祀神
牛頭天王(素戔嗚尊)天王社
金毘羅大権現(大物主命)金毘羅社

環境
山神社は仁科川にかかる一色橋を渡った一色林道口の能山に位置する。社有地は境内地二一八・〇七坪、後背山林地八畝一三歩を有する。石段の左側に厳として立つ巨樹はムクノキで、古名をクラまたはホコといい、神の座、神の依代とされている。その後方にイヌマキ(アスナロウ)が直立し、古木ゆえ枝葉を下垂している。石段の右側に枝下の高いケンポナシ(ケンプンナシ)がそびえている。昔から霊力のある木、実を食べると、水難から身を護ることができると伝えられている。

縁起
創建紀年は不詳、古老の口碑によれば、一色村の草分け山本伊予守の創建にして、神社入口の宮ノ前家の祖なりといい、一色に山本姓が多いのは、当社創建の祖とかかわりある故という。
延徳三年(一四九一)北条早雲が伊豆を平定したとき大田子の小松城主山本太郎左衛門尉は、北条に仕え地頭となり、一色所領七十貫文を受けている。
最古の山神棟札は慶長十五年(一六一〇)で

日本国中東海道伊豆州仁科庄一色村氏子共并堀坂村
孫左衛門祢宜於本神以供養儀式者也
奉再興山神御寳殿之前破依之祈及十カ年者也
依之氏子達合歓進祈願成就皆令満足各々子孫繁
栄五願圓満息災延命至者也
于時慶長十五年庚戌年閏二月吉日
本願 山本源兵衛、他四名(解読不能)

棟札に見られる山神社の祭神名は、再建時の慶長十五年から元禄四年(一六九二)までは、山神、山神大明神、社名を山神宮としている。
往古には山に神宿る自然信仰があり、山神は水をもたらす田の神・糧をもたらす神、自然の脅威から免れたい神頼みの風習があったと思われる。
山神宮の祢宜は堀坂村の金刺左衛門・孫衛門・孫右衛門が奉仕している事は注目される。
宝暦十二年(一七六二)から安政五年までは、神仏習合の思想により山神を山王権現、社名を山王宮としている。
山王宮の奉仕者は大泉院・最勝寺の修験者が明治維新まで社僧をつとめている。宝暦十二年の再建時に、一色法雲寺十世鳳州教和尚は「山王権現中興造営記」のなかで、「此ノ
時年老ノ者語リ伝ヘテ云当所山王権現ノ来歴ヲ尋ヅヌルニ五百年前ハ仁科郷中ノ鎮守イズレモ沢田一村ニ宮居在スト云所謂ル沢田ハ一郷ノ吉■ノ如キ者カ其ノ後村里ノ氏神村里毎ニ之ヲ勧請奉
ルト見ヘタリ時ニ此ノ山王モ此ノ一色ノ邑へ勧請在リト云イ伝ヘタリ惜イ哉其ノ年暦ヲ記シ置カザルナリ」と書いている。
願主は山本文之右衛門方昭(大屋屋敷)氏子中である。この年、寛永二十一年(一六四四)造立の天神社殿を再建している。今屋号天神前の背戸に鎮座している。
天明五年(一七八五)に氏子惣村中により山王権現立像の御神体を奉納している。棟札には御腹籠守古来霊体、慈覚大師作と記している。神仏一体の権現信仰によるものである。
天保十二年(一八四一)山王宮を再建、願主は山本源左衛門、組頭須田次良左衛門、百姓代山本長吉、祢宜山本藤八、別当護国院最勝寺。
明治九年の地租改正絵図(一色紙家の山本鶴衛ら三名の調査)に、山王宮を日吉社を記している。
大正十二年の本殿修繕棟札には、祭神を大山祇大神としている。明治の神仏分離、国家宗祀により神名の変更がなされたと思われる。大正九年奉納の宮幟には大山祇命と書かれている。
平成四年、本殿老朽化のため、氏子惣中により再建している。山神社の棟札は一七枚ある。

合祀神

金毘羅権現は本殿内の左側に祀られている。棟札は四枚あり、慶応元年(一八六五)山本文之右衛門(大屋屋敷)ら十五名が、農蚕隆昌・木炭殖産を祈願して、現屋号ヤドの背戸に建立した。明治十三年の再建時に山神社境内地に遷座し、昭和二十四年に祠が老朽化したので、山神社本殿内に併祀しれた。

天王社は本殿内の右側に祀られている。津島神社氷室神主家の手代が頒布した神札四枚があり、牛頭天王疫病禦御立札あるいは津島神社御祓大麻とある。幟(縦九二センチメートル、巾三〇センチメートル)に、奉納牛頭天王、万延二年(一八六一)山本氏と記されている。