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[静岡県西伊豆町] 恵比寿社(合の浦)

社名恵比寿社(えびすしゃ)
所在地
恵比寿社

静岡県賀茂郡西伊豆町田子203-1
社格
御祭神少毘古那大神
神紋
摂末社
情報源西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編
訪問記訪問日: 2017/01/01

哆胡神社の右脇にひっそりと鎮座している。
当初は哆胡神社の摂社か末社なのであろうと思って、そのように記録していたのだが、西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編によると、別となっていた。
内容をみると、つい30年前までは哆胡神社内に仮安置されていたとあるし、祭礼は哆胡神社にて行われるとのことであり、実際上は境内社のような扱いなのでしょう。

御朱印
由緒書恵比寿社

祭神 少毘古那大神

環境
哆胡神社北脇の木立のなかに小さなコンクリートの本
殿を構え祀られている。

縁起
恵比寿社の縁起を語る少ない資料の中で次の札がある。
(表)
海 上 安 全
奉斎 少毘古那大神 安鎮座
漁 業 満 足
(裏)
天保二歳勧請維時明治八年
乙亥一月二十日
願主世話人
(人名などにつき省略)
この奉斎札によれば、最初に勧請されたのは天保二年
と考えられ、古老の口碑によれば関西より勧請してきた
ということを聞いているという。
恵比寿社は昭和五十一年までは、哆胡神社本殿に仮安
置されていたが、恵比寿社宮殿は、御神像とともに毎年
行われた講の度に浜降しり海水で清められたため老朽化
も甚だしく、昭和五十一年、屋根や高欄などの大修理を
行い、これを機に講行事や参拝者の便を図ることもあっ
て、本社北側にコンクリートの覆屋を建築し恵比寿神を
遷した。その時の講関係者は次の通りである。
(人名などにつき省略)

[静岡県西伊豆町] 哆胡神社(合の浦)

社名哆胡神社(たごじんじゃ)
所在地
哆胡神社

静岡県賀茂郡西伊豆町田子203-1(旧:田子村合の浦)
社格村社
延喜式内(哆胡神社 – 比定)
御祭神積羽八重事代主命(つみはやへことしろぬしのおおかみ)
哆胡若宮命(たごわかみやのおおかみ)
八幡大神(やはたのおおかみ)
※ 南豆風土誌・新南豆風土誌
多胡若宮命
積羽八重事代主命
神紋
摂末社神明社(天照大神)
山神社(大山祇神)
天神社(菅原道真命)
天玉社(須佐之男命)
稲荷社
摂末社の扱いではないが、境内内にある神社
恵比寿社
情報源
訪問記訪問日: 2017/01/01
ここのところ、毎年の初詣はここにしている。旧136号線を進み、田子の隧道をくぐると、急峻な階段。
階段を登りきると明神鳥居と狛犬がお出迎え。
登りきったところに社殿。さすが元日だけあって、多くの人で賑わっている。拝殿と覆屋を兼ねた社殿の中には本殿。
ちょうどご祈祷を受けている方がおり、その後ろから参拝。
多くの人は気がつかないが、社殿の右脇奥に境内社。
こちらも参拝し、今年の初詣とする。北側階段の途中に少々大きめな広場があり、奥手前で段差がある構造。
古くを知らないが、昔の社地はこちらだったのかもしれない。
今は招魂社のみがひっそりと佇むのみである。
ただ、ここからの大田子海岸の眺めはなかなかである。

祭神であるが、社頭の由緒によると、積羽八重事代主命、哆胡若宮命、八幡大神の3柱となっている。
だが、手元にある南豆風土誌・新南豆風土誌には多胡若宮命、積羽八重事代主命の2柱が記載されている。
これはどういう意味があるんだろうか…。

御朱印
由緒書哆胡神社

鎮座地 西伊豆町田子1100番地の1
御祭神 積羽八重重事代主大神(つみはやへことしろぬしのおおかみ)
哆胡若宮大神(たごわかみやのおおかみ)・八幡大神(やはたのおおかみ)
例祭日 11月2日
由錯
えびすさま、はちまんさまといわれ、千年前からおまつりされていた、三島明神(事代主神)は、始めは元宮に、後に飯盛山の地に、八幡社は、大田子山崎の地に鎮座され、明治14年12月、合併されて、現在地合ノ浦に神殿を造営鎮座された。
他に、神明社(天照大神)山神社(大山祇神)天神社(菅原道真命)天玉社(須佐之男命)稲荷社等おまつりしてある。

※ 天玉社(須佐之男命)、いろいろ調べたが天玉社の正体は不明。天王社の誤記だとすると、牛頭天王社ということになるけれど。

[静岡県松崎町] 天神社(建久寺)

社名天神社(てんじんじゃ)
所在地
天神社

静岡県賀茂郡松崎町建久寺95
社格無格社
御祭神菅原道眞
神紋星梅鉢紋
摂末社
情報源天神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2016/12/31

曹源山建久寺の北東に隣接、建久寺集落の中心地にこじんまりとして鎮座している。

南豆風土誌の中川村建久寺字西ノ畑にある天神社が当社であると思われる。
祭神は菅原道眞、社格は無格社、創立は不詳ながら天文以降の棟札があるとのこと。ただし、その棟札はのちの火災で失われている。

境内には朱色の両部鳥居。そこを超えると覆殿。
脇には建久寺生活改善センター。公民館のような施設なのかな?

覆殿は扉はしまっていたが世情はされておらず、参拝時に自由に開けられるようになっている模様。
扉を開けて参拝。
中には本殿。資料によると文久元年(1861)九月二五日再興の棟札があるようで約150年の年代物である。

御朱印
由緒書

[静岡県伊豆の国市] 神武天皇遥拝所(大仁)

社名神武天皇遥拝所
所在地
神武天皇遥拝所

静岡県伊豆の国市大仁118
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/12/31

大仁ポケットパーク脇のこんもりとした山、水晶山。
その山腹に鳥居を発見し寄ってみることに。

登ってみると…。門がきっちり締められており、みたところ私有地に置かれているもののようである。邸内社。
ざんねんだ。と来た道の先をみると水晶山はこの道で登っても良いというような看板。
時間もあるし登るかねぇ。と、登ってみる。

山頂には「神武天皇遥拝所」の構造物。昭和初期の建築らしく傷みも激しい状況であるが、なんとか形を保っている。

標高60mほどの小さな山ではあるけれど、景色はかなりの絶景。

御朱印
由緒書

[静岡県伊豆の国市] 廣瀬神社(田京)

社名廣瀬神社(ひろせじんじゃ)
広瀬神社
所在地
廣瀬神社

静岡県伊豆の国市田京1-1
社格延喜式内(田方郡 廣瀬神社)
県社
御祭神溝樴姫命
外二神 

静岡縣神社志 による

三島溝樴姫命(みしまみぞくひひめのみこと)

神紋五七の桐紋
摂末社見目神社・龍爪神社など八社を合祀
祖霊社

 

静岡縣神社志 による

見目神社(六座 波布比賣命 久爾都比賣命 伊賀牟比咩命 伊波乃比賣命 佐伎多摩比咩命)
大楠神社(不詳)
小楠神社(不詳)
若宮神社(不詳)
厳島神社(不詳)
稲荷神社(不詳) 右五社一棟五扉

情報源廣瀬神社 – 静岡県神社庁
静岡縣神社志
訪問記訪問日: 2016/12/31

大晦日の早朝。
静けさの中での訪問。

社頭付近に駐車場があったので、そこにクルマを駐車し、参拝。

真新しい狛犬に明神鳥居
階段を降りると、さすが県社という風格の参道。
神橋を超え進むと神馬なんかあったり。

その奥に社殿。

社殿裏には境内社、そして土俵、神楽殿。

明日の正月に向けて準備が開始されているようで、境内には薪が大量に積まれており、それらを燃やすのであろう場所が設けられていた。静寂な朝ではあるが、なんとなくせわしない空気を感じる。

御朱印
由緒書大仁町指定文化財
広瀬神社の杜(森)延喜式内社であり、神階帳従一位広瀬の明神と
いう。祭神は、溝樴姫命外二神。見目神社・龍爪
神社など八社を合祀、祖霊社を祀っている。田方
一の大社である。
社伝によれば、三島大社はその昔下田の白浜か
らこの地に移り、後に三島に遷祀したという。
天正十八年(一五九一)豊臣秀吉による韮山城
(北条氏)攻めの際兵火に遭い社殿ことごとく焼
失している。慶長元年(一五九六)に再建、江戸
時代には深沢明神として崇敬された。明治二十八
年(一八九五)より広瀬と称える。
例大祭は、毎年十一月三日に行われ、大仁町指
定無形文化財の式三番が奉納される。
境内には、クスノキ・ムクノキ・ケヤキ・カヤ
ノキ・マキノキ・スギなど多くの樹木がある。ま
た、海浜性のヒメユズリハ・モクレイシ・トベラ
など注目すべきものがある。
大仁町教育委員会

[静岡県南伊豆町] 三島神社(妻良)

社名三島神社(みしまじんじゃ)
三島宮
所在地
三島神社

静岡県賀茂郡南伊豆町妻良828ー1
社格延喜式内(大津往命神社)
延喜式内(阿米都加多比咩命神社)
村社
御祭神大津往命
神紋
摂末社
情報源三島神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2016/08/26
南伊豆から西伊豆に移動中。妻良の坂を下る途中に発見。
境内入口には台輪鳥居、鳥居扁額には「三島宮」。
この三島宮の文字が芸術的。神社の文字は業界有名人なんかの達筆なものが多いけれど、ここのはそういうのではなく、ほんと、近代芸術的である。
鳥居も鳥居で近代芸術的で、鳥居の笠木は黒く、笠木下の島木は朱色。柱は薄いピンク色。、根巻は銅の緑。なんともごちゃごちゃな色センス。これは何かしら意味のある色なのか、はたまた氏子の趣味なのか。扁額のみならず鳥居自体も面白い。その脇にちょこんと鎮座する狛犬はちょっと傷みが激しい感じである。
足部分が欠損したのか石膏のようなもので上塗り。境内に入ると拝殿。でも、ここは伊豆なので伊豆方式で脇から裏手に。
石段を登り覆殿へ。
階段脇には狛犬。こちらは新しいようで元気いっぱいである。覆殿脇には、前任と思われる傷みの相当に激しい狛犬、それに不明の祠がいくらか見える。

南豆風土誌によれば、正中二年の社記があるとのこと。

御朱印
由緒書北条水軍妻良衆の力石

重量280Kg
戦国時代、伊豆を平定した北条早雲の傘下に入った妻良衆は村田一之助を頭領に仰ぎ、北条家中でも屈指の水軍であった。
彼らは、北条氏治世100年の中で伊豆衆と呼ばれ、その剛勇ぶりはつとに有名であった。
その勇士達が、平素身体鍛錬のためにかつぎ、差し上げたのがこの石で、その名も力石と名づけられ今日まで伝えられている。
特に、北条氏と豊臣氏の戦雲急な頃、妻良沖にて敵の斥候一人を捕らえ、北条氏直から感状を贈られ、その武勇を賞賛されたのであるが、この人などは、この石をいとも軽々と差し上げたと伝えられている。
昭和60年5月

[静岡県南伊豆町] 三島神社(蝶ケ野)

社名三島神社(みしまじんじゃ)
所在地
三島神社

静岡県賀茂郡南伊豆町蝶ケ野270
社格延喜式内(多祁伊志豆伎命神社)
村社
御祭神事代主命
神紋
摂末社
情報源三島神社 – 静岡県神社庁
訪問記訪問日: 2016/08/26

地図には神社があるが、どの道を進んで到達したらいいのか。イマイチ分かりにくく、何度か近所まで来たことはあったが達することができなかった神社。
川沿いに進む道を手当たり次第に進み、ようやく。

川沿いの石垣の上に小さな境内。白色の八幡鳥居。
その先に朱色の社殿。
どうも伊豆の神社の社殿は自分のイメージする神社とは形が異なるので違和感がある。
鳥居がなければ小さい民家というか、物置というか、そういう印象の社殿が多い。
ここも似たような感じ。

南豆風土誌の、三坂村蝶ケ野字川久保の三島神社と記載されている部分が当社であると思われる。
それであれば、創建など詳細は不詳であるが、祭神は事代主命となるようである。

御朱印
由緒書

[静岡県南伊豆町] 三島神社(下小野)

社名三島神社(みしまじんじゃ)
所在地
三島神社

静岡県賀茂郡南伊豆町下小野166
社格延喜式内(阿米都加多比咩神社)
郷社
神社等級認証書
静岡県神社庁神社等級(十一等級神社)
御祭神阿米都加多比咩命(あめつかたひめのみこと)
誉田別命
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/08/26

すこし角度が急な石段を登ると金属製の明神鳥居。
石垣で高くなった場所に境内。

社殿前には一対の狛犬が鎮座。

社殿右手は広場になっており
ゲートボール場として利用されていると思われる。

社殿脇には鎮魂碑。

延喜式内の阿米都加多比咩神社に比定されるらしい。


南豆風土誌にある、

神社名:三島明神
所在地:南上村下小字宮ノ前
創立年月:建武二年再建
祭神:阿米都加多比咩命
社格:郷社
境内地:七七一坪、官有地第一種

が該当すると思われる。

建武二年とあるので、1336年に再建されたということか。

御朱印
由緒書

[静岡県松崎町] 八幡神社(八木山)

社名八幡神社(はちまんじんじゃ)
所在地
八幡神社

静岡県賀茂郡松崎町岩科南側1623
社格無格社
御祭神應神天皇(おうじんてんのう)
神紋
摂末社三峰神社
情報源八幡神社 – 静岡県神社庁松崎町史資料編
訪問記訪問日: 2016/08/26
南伊豆方面に進むために道を走らせる。
途中、一宇の神社。
本当に偶然の出会いで、急いで車を止めて参拝。バス停には八木山公民館の文字。
この地域の小字が八木山なのかな?
そんなことを思いつつ、そのあたりは後で調べるとして…社地は山間部の数少ない平地と斜面をうまく組み合わされている感じ。
古いが近隣の方に大切にされているのでしょう。履き清められた境内は気持ち良い空間になっています。
まぁ、目立つのはそちらというより、立派な両部鳥居、それ以上にその両脇にそびえる巨木も存在感。拝殿は施錠されており…ここも西伊豆方式か?と裏手に回るも覆殿には回れず。
西伊豆地域だと、拝殿は鍵がかかっているけれど、脇から覆殿に回って、本殿を目の前に参拝って大盤振る舞いが多いけれど。
残念ながらここはちょっと違うみたい。
表に回って、拝殿前から参拝。南豆風土誌で調べてみると、岩科村岩科字八木山の八幡神社が当社に該当すると思われる。
祭神は応神天皇、創立年月には寶暦十一年改造とあり、1761年よりも昔からこの地に鎮座しているようだ。松崎町は…合併等に伴って、もともとあった地名、小字をことごとく捨て去ってしまっていて、外来者からすると本当に分かりにくい。ここも昔は八木山だったんだろうけれど、今じゃ「岩科南側(いわしななんそく)」か。
地元の人と話すと今でも小字の地名で読んでいたりするから話が通じなかったりする。

いや、西伊豆町なんかも同じような感じだけれど、例えば、哆胡神社ももともとは合の浦だが、いまや大字に数字だけだ。目の前のバス停のみが小字を残している。でも、地元の人と話をすると、合の浦とか月の浦だとかという地名で話をするから、聞いていて混乱する。
合併というのはいろいろな理由もあるし、便利な事も多いけれど、地名に関しては歴史を捨てる行為に見えて仕方がない。

後に松崎町史資料編を手に入れて確認。

本殿は両扉で八幡宮と若宮八幡宮を合祀しているとのこと。
また造立等は詳らかではないが、記録によると、宝暦十一年(1761)の棟札があるとの事。

御朱印
由緒書

[静岡県西伊豆町] 高根神社(宇久須)

社名高根神社(たかねじんじゃ)
所在地
高根神社

静岡県賀茂郡西伊豆町宇久須
社格
御祭神阿遅鉏高日子根神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/08/24
国道136号線、西伊豆 クリスタルビューホテルと松ヶ坂トンネル間。見過ごしてしまいそうな路地の先に社。
地図上に神社として描かれている以上に情報もなく、詳細不明。調べてみると、個人ブログなどの情報だと個人持ちの社で、株式会社丸協組という会社が祀っているとのこと。ただ、同時に株式会社丸協組の民事再生法の適用申請なんて記事も出てくる。現時点では管理不在なのかな?
そう思いつつ向かう。境内はきれいに手入れされているとは言えないまでも荒れている感じではなく、信仰が残っているよう、注連縄も新しいものがかかっていた。石段を登ると金属製の神明鳥居。それに一対の狛犬。
由緒がわかるものは何一つ掲示されてはいなかったが、社殿内に祭神が阿遅鉏高日子根神であるとだけ記されていた。
当初は静岡県浜松市の高根神社を勧請したものではないかと推測していたけれど、祭神が保食神と阿遅鉏高日子根神と異なることもあり、まったく別な様相である。むしろ、埼玉県熊谷市の高根神社は「味鋤高彦根神、伊邪那岐命、伊邪那美命」とのこともあり、そういう方向から調べたほうがいいのかもしれない。

いつもの参考書、南豆風土誌新南豆風土誌共に記載なし。

御朱印
由緒書