社名 | 美女木八幡社(びじょぎはちまんしゃ) |
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所在地 | 埼玉県戸田市美女木7-9-1 |
社格 | (和楽備神社の兼務社) |
御祭神 | 仲哀天皇 応神天皇 |
神紋 | |
摂末社 | 厳島社 山神社 氷川社 大鳥社 水神社 御嶽社 秋葉社 赤羽稲荷社 香取・鹿島社 恵比須大黒天社 三宝大荒神 稲荷社 一目連社 |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/05/28 美女木ジャンクションの北西側。 住宅と倉庫、工場等が密集するエリアの一角に鎮座。 鎌倉時代に建てられたと伝えられる古社。 |
御朱印 | なし |
由緒書 | 美女木八幡社 創建を鎌倉時代と伝える古社で、祭神は仲哀天皇と応神天皇の二柱です。伝承によると、後鳥羽院の御代、文治五年(一一八九)源頼朝が奥州下向の時、当地に立ち寄った際に神のお告げがあり、相州鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したものと伝えられています。南北朝期の記述として、「新八幡宮」といわれていたことが浦和市宮本の氷川女体神社に伝存する大般若経(至徳二年・一三八五)の奥書に記されています。 この八幡社には、社宝として「銅鐘」があります。市内では唯一の国の重要美術品で、埼玉県の有形文化財に指定されています。この銅鐘は、早瀬にあった聖釜という池から掘り出されたものと伝えられます。銘文はありませんが、作風から鎌倉時代末期から南北朝時代初期の作といわれています。ほかに天保四年(一八三三)に奉納された「最上流和算額」や、「七条袈裟及び打敷」などが市の有形文化財に指定されています。また境内には「うばゆり」があり、八月上旬に白い花がみられます。市の天然記念物に指定されています。 平成九年三月 戸田市教育委員会 |
社名 | 帝稲荷神社(みかどいなりじんじゃ) |
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所在地 | 埼玉県戸田市美女木7 |
社格 | |
御祭神 | |
神紋 | |
摂末社 | 美女木八幡社の境外末社 |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/05/28 美女木八幡社の裏手、住宅街の細路地を入ったところに鎮座。 特に由緒書き等はなく、詳細は不明だが、新編武蔵風土記稿の「美女木村 八幡社」の項目にある「末社。太神宮神后皇后高良明神住吉明神合社、天王社、帝稲荷社、飯綱権現社、辨天社、第六天社、大龍頭権現社。」の帝稲荷社が本社であると推測される。境外末社ということで良いのだと思う。 ただ、戸田市史 民俗編や埼玉の神社などにはそれらしい記述が見つけられず、裏が取れない状態である。 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
社名 | 神明神社(しんめいじんじゃ) 海名野神明神社(かいなのしんめいじんじゃ) |
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所在地 | 静岡県賀茂郡西伊豆町仁科574(旧:仁科村浜字海名野) |
社格 | 村社 (延喜式内 仲大歳神社の論社は否定) |
御祭神 | 天照皇大神 天照皇太神(新南豆風土誌による) |
神紋 | 丸に五三の桐 |
摂末社 | |
情報源 | 人形三番叟、県文化財に 海名野神明神社―西伊豆 - 伊豆新聞 西伊豆町誌 資料 第一集 神社・寺院並びに棟札編 新南豆風土誌 |
訪問記 | 訪問日: 2016/05/02 せせらぎの湯の奥。 西伊豆特有の細い道をちょっと心配しつつ進む。 西伊豆町の無形民俗文化財「海名野神明(かいなのしんめい)神社の人形三番叟」として名の通った神社。 とはいえ、今はその季節ではなく、ただただ、緑に勢い付く木々の間にひっそりと佇む社殿が神聖な空気をかもしだすだけである。 当初は「式内社・仲大歳神社の論社」ということもあって訪問したのだが、社殿に貼られていた由緒書き(というか、西伊豆町誌 資料 第一集 神社・寺院並びに棟札編のコピー)によると、「当社は曾て、式内社仲大歳神社とされた説があったがそれは謬である。」と真っ向から否定されていた。まぁ、創立年月日は不明であるものの「長禄元年(一四五七)」の記録があるということだから、500年以上の歴史があるのは間違いなく、長い間、住民の生活を見守ってきた重要な神社であることは間違い無いだろう。三世紀も守られ続けている人形三番叟もそれを裏付けている。 |
御朱印 | – |
由緒書 | 西伊豆町誌 資料 第一集 神社・寺院並びに棟札編 神明神社 西伊豆町中五四七番地(海名野) 祭神 天照皇大神 環境 国道一三六号の仁科浜橋付近を基点とする主要地方道 西伊豆〜伊東線を仁科川の右岸を遡ること約一・五キロ メートル中村の集落がある。ここは江戸時代の中村の名 が残っているところである。海名野橋のバス停付近から 橋を渡り石畳の坂道を登り海名野の家並みを通り抜け山 道にかかるところ右に谷川が流れ、左に神明社の石段が 見える。神域は集落から一段と高い場所にあり、杉木立 を背にして本殿が建てられている。前には、天然記念物 に指定されている一対のナギの大木が立っている。右側 は庁屋で、秋の祭りには民俗文化財に指定されている三 番叟が上演される。小規模ながら旧村社にふさわしい環 境にある。 縁起 創立年月日は不詳。かつては火災に遭って多くの記録 を失っている。 『豆州志稿』によれば、長禄三年(一四五九)の棟札に「神名 難分、本願須田対島頭」とあり。また、慶長三年(一五九八) の札に「須田図書之助経営」とされているが、この二つの 棟札は現存していない。明治十八年調査佐波神社祠官間 野斉宮の報告によれば、長禄元年二月十一日(一四五七) 再建より重修の棟札ありと記されているが長禄元年の棟 札も現存しない。以上の諸記録の中でもっとも年代の古いも のは長禄元年(一四五七)である。 現在当社には十二点の棟札が残されている。その中で もっとも古いと思われるものに次のものがある。 本願須田図書助 豆州仁科庄海名野村 同仇左衛門 大工鍛冶関采女正政繁 奉建立伊勢神明御宝殿前諸願成就皆令満足者也 大工窪田彦左衛門吉次 鈴木藤衛門 干時慶長拾五年庚戌九月十日敬白 祢宜六左衛門 その他、建立、重修、造立等に関する記録を遺した棟 札の主なものとして次ぎのものがある。 1.奉建立勢陽天照大神宮与流氏諸願成就必矣 干時萬治二仲冬念五鳥(一六五九) 2.奉造立神明宮御神殿 延享三年十月十三日(一七四六) 3.宝暦五年九月十六日(一七五五)氏子四十九人が門前 の土地その地を献納 4。文化三年七月吉日(一八〇六) 奉修大峯乗灯護摩供社頭安全枚 5。明治六年十月 奉斉神明社、合並社(栗原天神社・寺川駒形神社・岩谷戸八 幡社・堀坂熊野社・一色山神社・祢宜畑子神社・白川三王 社・大城八幡社・宮ケ原天神社)(註村社となる) 6.大正九年十一月四日 鳥居新設 7.昭和四年十月七日 奉納神明社昇格記念 8.昭和二十七年十一月四日 奉斉神明復興記念 9.年代不詳(大正末期から昭和初期) 奉鎮斉 神明社改築拝殿 当社は曾て、式内社仲大歳神社とされた説があったが それは謬である。仲は中村に由来するとしたのであろう が、往時中村は仁科庄の本郷に含まれており、(本郷には 既に式内佐波神社があり)村に式内社が二社存在するこ とはないのである。また口碑によれば「当社は式内にして、 須田対島頭守広創建」とあるが須田対島頭守広は文亀、大 永の十六世紀初頭の人であって、式内社を定めた延喜式 の成立は十世紀であり、須田氏が式内社を創建すること はあり得ないことである。 当社において、毎年十一月の秋祭りに奉納される三番 叟は初演が享保年間即ち一七〇〇年代と伝えられ、三世 紀にわたって伝承されている貴重な文化財である。 |
社名 | 美女神社(びじょじんじゃ) 宇津久志の宮(うつくしのみや) |
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所在地 | 埼玉県朝霞市田島2-16-33 |
社格 | |
御祭神 | 市杵島姫命 |
神紋 | |
摂末社 | ※ 田島神明神社の飛地境内社 |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/03/27 大通りから一本入った路地、一方通行ゆえに狙っていかなければこの神社にはたどり着かないだろう。 住宅に囲まれた狭小の社地に神明鳥居。 境内はきれいに整備されており、心地よい。社名の由来は川の向こう側にある「美女木」の関連か?と思って訪れたが、どうもそれは関係がないらしい。 市杵島姫命の「いちきしま」が転化し美女神社になったようだ。埼玉の神社によると、本社は神明神社(田島)の飛地境内社で、当該項目には下記のように記されている。
当社北方の飛地境内に美女神社と呼ばれる珍しい社名の社がある。祭日は五月一日で、俗に「美女(うつくし)様のお経」と飛ばれる。元来は氏子銘銘が持参したお重の手料理を神前に供え、その前に筵を敷いて全員が着座し、年長者の発声で般若心経を唱和したが、昭和十五年頃に行われなくなった。現在は神饌をお重に入れて供え祭典を行い、終わると町会会館で直会をする。 美女様は子供の麻疹やクチムキを治すといわれ、かつては子供の参詣が多く見られた。お参りの際に社頭の鈴に下げてある布を裂いて持ち帰り、これを首に巻いておくと治るとされ、お礼参りには新しい布を鈴に下げるのが習わしであった。また、女の子は社名にあやかって美しくなるように祈り、手を合わせた。
みていてよくわからなかったのは「クチムキ」。何だろうと調べてみると、百日咳のことのようである。 |
御朱印 | |
由緒書 | 美女神社 御由緒 □ 御縁起(歴史) 当神社は古くより「うつくしさま」と親し まれ、子供の病気を治したり、健康を守る神 様として信仰されてきた。徳川時代の地誌 「新編武蔵風土記稿(一八三〇年)」には、 「美宮ハ村ノ北ニアリ宇津久志ノ宮ト云ウ」 と記されている。 □ 御祭神 市杵島姫命 御祭神、市杵島姫命は、日本の最も古い書物である 古事記・日本書紀にも載っている宗像三女神の一人 で九州の宗像神社・広島の厳島神社の御祭神である。 美女神社の名前の由来について一説では「いちきしま」 が「いつくしま」となり「うつくしさま」に転化し 美女神社になったとも言われている。 □ 祭事表 五月一日 春祭り 九月十五日 秋祭り |
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