「狛犬」カテゴリーアーカイブ

[静岡県南伊豆町] 三島神社(下小野)

社名三島神社(みしまじんじゃ)
所在地
三島神社

静岡県賀茂郡南伊豆町下小野166
社格延喜式内(阿米都加多比咩神社)
郷社
神社等級認証書
静岡県神社庁神社等級(十一等級神社)
御祭神阿米都加多比咩命(あめつかたひめのみこと)
誉田別命
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/08/26

すこし角度が急な石段を登ると金属製の明神鳥居。
石垣で高くなった場所に境内。

社殿前には一対の狛犬が鎮座。

社殿右手は広場になっており
ゲートボール場として利用されていると思われる。

社殿脇には鎮魂碑。

延喜式内の阿米都加多比咩神社に比定されるらしい。


南豆風土誌にある、

神社名:三島明神
所在地:南上村下小字宮ノ前
創立年月:建武二年再建
祭神:阿米都加多比咩命
社格:郷社
境内地:七七一坪、官有地第一種

が該当すると思われる。

建武二年とあるので、1336年に再建されたということか。

御朱印
由緒書

[静岡県西伊豆町] 高根神社(宇久須)

社名高根神社(たかねじんじゃ)
所在地
高根神社

静岡県賀茂郡西伊豆町宇久須
社格
御祭神阿遅鉏高日子根神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/08/24
国道136号線、西伊豆 クリスタルビューホテルと松ヶ坂トンネル間。見過ごしてしまいそうな路地の先に社。
地図上に神社として描かれている以上に情報もなく、詳細不明。調べてみると、個人ブログなどの情報だと個人持ちの社で、株式会社丸協組という会社が祀っているとのこと。ただ、同時に株式会社丸協組の民事再生法の適用申請なんて記事も出てくる。現時点では管理不在なのかな?
そう思いつつ向かう。境内はきれいに手入れされているとは言えないまでも荒れている感じではなく、信仰が残っているよう、注連縄も新しいものがかかっていた。石段を登ると金属製の神明鳥居。それに一対の狛犬。
由緒がわかるものは何一つ掲示されてはいなかったが、社殿内に祭神が阿遅鉏高日子根神であるとだけ記されていた。
当初は静岡県浜松市の高根神社を勧請したものではないかと推測していたけれど、祭神が保食神と阿遅鉏高日子根神と異なることもあり、まったく別な様相である。むしろ、埼玉県熊谷市の高根神社は「味鋤高彦根神、伊邪那岐命、伊邪那美命」とのこともあり、そういう方向から調べたほうがいいのかもしれない。

いつもの参考書、南豆風土誌新南豆風土誌共に記載なし。

御朱印
由緒書

[埼玉県入間市] 春日神社(春日町)

社名春日神社(かすがじんじゃ)
所在地
春日神社

埼玉県入間市春日町1丁目6−1
社格村社
御祭神祭神
天児屋根命
比売神
武甕槌命
経津主命
相殿
素盞嗚尊
大市姫命
倉稲魂命
火産霊命
白山姫命
神紋
摂末社護国神社
情報源春日神社 | 埼玉県の神社
訪問記訪問日: 2016/07/10

大通りから路地を入る。地図を見ながらだけれど、本当にこの道に入っていいのかどうか躊躇しながら進む。
進むと神明鳥居がお出迎え。
長い参道は途中で道路に分断されており、微妙な感じになっているが、そこそこの大きさ。

本殿裏には護国神社。

御朱印
由緒書春日神社御由緒
一、現在地 入間市春日町一丁目六番一号
二、由緒 当春日神社の由緒は詳らかではないが、古くか
らの言い伝えによると元仁元年甲申八月(一二二四年)
大和国(奈良県)春日大社より勧請され、その後、宝暦二年
壬申(一七五二年)に御社殿再建されたと伝えられる。昔は
産土神として崇められ明治二年の太政官布告令により
神仏分離が行われ、明治五年に指定村社に列せられた。
当神社は元は西山の地(現所在地の西方数百メートル)の
古木蒼然とした森の中に在ったが明治五年に、この地(黒
須村字久保田七七三番地)移築され、その後、明治四十五年
に稲荷神社(字秋津より)氷川神社(字久保田)愛宕神社(字沓
切場)白山社、八雲神社(字後)から併合、合祀されて黒須の鎮
守として篤い崇敬を集めて来たものです。
三、御祭神
天児屋根命 比売神 武甕槌命 経津主命
御合神
素盞嗚尊 大市姫命 倉稲魂命 火産霊命 白山姫命
四、社殿及び建造物 敷地 四、四〇〇平方米
本殿 二平方米 切妻造
覆殿 十一平方米 切妻造
拝殿 三十平方米 入母屋向拝付
五、特色
年三回の祭典には賛同(一〇〇米)の間に崇敬者の奉納し
た恩神燈(提灯)九六基を点灯し神域を照らし誠に荘厳で
ある。
六、春日神社への祈願
縁むすび 家内安全 商売繁盛 交通安全 厄除祈願
合格祈願等の御神徳を仰ぎ奉り祈願する。
由緒書護国神社の由来
昭和二十九年十月戦没者遺族会の
発願により当神社の境内の一隅に
護国神社が建立され氏子出身の
日露戦争シベリア事変日支事変
大東亜戦争で出征し護国のために
華した百十五柱の英霊を慰める

[埼玉県さいたま市岩槻区] 第六天神社(馬込)

社名第六天神社(だいろくてんじんじゃ)
所在地
第六天神社

埼玉県さいたま市岩槻区馬込200−1
社格
御祭神譽田別命(八幡神社)
鸕鷀鵜草葺不合命(うがやふきあえずのみこと)(深津神社)
加且土命(かぐつちのみこと)(愛宕神社)
大日孁貴命(おおひるめのみこと)(神明社)
別雷命(わけいかづちのみこと)(雷電社)
神紋
摂末社八幡神社
葺不合社(深津神社)
愛宕神社
神明社
雷電社
小御嶽神社
情報源第六天神社 | 埼玉県の神社
訪問記訪問日: 2016/06/26
国道122号線からちょっと入ったところに鎮座。
木が生い茂り、遠くからも「あそこに神社があるんだな」とわかるような感じ。
社頭に立ち、境内を望む。
入口には両部鳥居。その左側に小高く盛り上がった場所があり、そこに小御嶽神社。
このこんもりした場所は富士塚なのでしょう。そして、特に由緒などはないけれど、富士五合目の小御嶽神社の勧請であれば、磐長姫命を祀っているのでしょう。鳥居をくぐり先に進む。その先には神明鳥居。そして社殿。
そこそこ迫力のある狛犬がお出迎え。参拝。

社殿脇には境内社。
1宇毎に立派な両部鳥居があり、社には手書きのちょっとした説明が掲示されています。
ここの氏子さんはよほど両部鳥居が好きなんでしょうね。
というか、この周辺では妙に両部鳥居を見かける感じ。
地域柄なのかもしれませんね。

御朱印
由緒書

[東京都板橋区] 向原八雲神社(向原)

社名向原八雲神社(むかいはらやくもじんじゃ)
所在地
向原八雲神社

東京都板橋区向原2丁目4−7
社格
御祭神建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
神紋祇園守紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/06/06
地下鉄有楽町線の小竹向原駅より千川駅へ向かう途中に鎮座。
地下鉄の通る表通りではなく、一本裏の住宅街の中。
静かな通りに小ぶりな明神鳥居。入口が狭く多少窮屈に感じるが、奥には立派な社。
神社自体は八雲神社ということで、須佐之男命を祭っているという事になっているが、京都の八坂神社所縁の珍しい御神紋「祇園守」をいただいていたり、古から「天王さま」と呼ばれていたりすることから、本来は牛頭天王社であったものが、明治期に須佐之男命として現在に至るものと推測される。
総社が津島神社であるという事は、牛頭天王を祭神としていたことは間違いないでしょう。この辺りは、大宮の氷川神社由来の素戔嗚尊と牛頭天王社由来の須佐之男命が入り混じる。
そのあたりを推測しながら参拝するのも一つの楽しみ方ではないかと思う。
御朱印
由緒書向原八雲神社 御由緒
御祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと)
当神社は江戸時代この地域の先祖が現在の向原一丁目に勧請し、江戸時代末期頃現在の地に遷されたと伝えられており、現在は向原地域の鎮守社としてお祀りしております(尚、向原地域の氏神は東新町に鎮座する氷川神社であります)
当神社には「祇園守」という京の祇園神社(現八坂神社)所縁の珍しい御神紋が有り、また古から「天王さま」と呼ばれ親しまれております。当神社の総社は愛知の津島神社であることから同御祭神の八坂様と共に深い所縁がございます
八雲神社は古来より疫病や天災を祓う神様として崇められておりますが、更に健康や家内安全・商売繁盛・学問成就などに御利益があるとして、向原地域のみならず近隣諸地域の皆様から厚い崇敬をいただいております。
比度、平成十九年丁亥九月崇敬者各位の御奉賛により新社殿が竣工致しました。この奉賛事業を記念し、永く御由緒之碑を奉納致します。
平成十九年九月四日 向原八雲神社奉賛会
向原八雲神社信仰関係資料
向原八雲神社は、須佐之男命を祭神とし、当地の鎮守であったと伝えられています。元々は向原一丁目に祀られていましたが、江戸期に現在地へと移座したとされます。
当社には、富士・大山信仰に関する資料があります。境内の手水鉢は、富士講の講中の一つである山万講の枝講で、上板橋村に展開した丸證講が江戸期に奉納したもので、そこに刻まれている世話人には、富士山三十三度成就を果たした大先達である向原の三原松五郎の名前が確認できます。
大山信仰に関わる資料としては、木太刀や神酒枠があります。木太刀は大山まで講員が持参し、良弁の滝で水垢離をした後に神前へと奉納され、それと引換えに以前奉納した木太刀を持ち帰ってお守りとするものです。神酒枠は大山へ御神酒を奉納し、帰りに御神水を入れる御神輿状のもので、これらは区内では当社だけに確認されています。
他にも、明治四年(一八七一)以降の年紀を持つ、榛名・大山・富士・古峯・武州御嶽・木曾御嶽などへの登拝講にかかわる古文書と、当地「オビシャ」信仰に関わる古文書も管理しています。
これらの八雲神社の信仰関係資料は、当地の江戸期以降の祭祀や登拝講について、その組織の実態などをあきらかとする貴重な資料群であり、平成二十年度に区登録有形民俗文化財となりました。
平成二十一年九月 板橋区教育委員会

[埼玉県戸田市] 美女木八幡社(美女木)

社名美女木八幡社(びじょぎはちまんしゃ)
所在地
美女木八幡社

埼玉県戸田市美女木7-9-1
社格(和楽備神社の兼務社)
御祭神仲哀天皇
応神天皇
神紋
摂末社厳島社
山神社
氷川社
大鳥社
水神社
御嶽社
秋葉社
赤羽稲荷社
香取・鹿島社
恵比須大黒天社
三宝大荒神
稲荷社
一目連社
情報源
訪問記訪問日: 2016/05/28

美女木ジャンクションの北西側。
住宅と倉庫、工場等が密集するエリアの一角に鎮座。
鎌倉時代に建てられたと伝えられる古社。

御朱印なし
由緒書美女木八幡社

創建を鎌倉時代と伝える古社で、祭神は仲哀天皇と応神天皇の二柱です。伝承によると、後鳥羽院の御代、文治五年(一一八九)源頼朝が奥州下向の時、当地に立ち寄った際に神のお告げがあり、相州鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請したものと伝えられています。南北朝期の記述として、「新八幡宮」といわれていたことが浦和市宮本の氷川女体神社に伝存する大般若経(至徳二年・一三八五)の奥書に記されています。
この八幡社には、社宝として「銅鐘」があります。市内では唯一の国の重要美術品で、埼玉県の有形文化財に指定されています。この銅鐘は、早瀬にあった聖釜という池から掘り出されたものと伝えられます。銘文はありませんが、作風から鎌倉時代末期から南北朝時代初期の作といわれています。ほかに天保四年(一八三三)に奉納された「最上流和算額」や、「七条袈裟及び打敷」などが市の有形文化財に指定されています。また境内には「うばゆり」があり、八月上旬に白い花がみられます。市の天然記念物に指定されています。

平成九年三月
戸田市教育委員会