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【神紋・社紋・家紋】 巴紋 一覧

巴紋

巴紋は神社でよく見かける、最もメジャーな神紋です。
弓を射る時に使う鞆を図案化したものとも、勾玉を図案化したもの、水が渦を巻くさまを図案化したものとも言われています。八幡神の神紋として用いられたことにより、神社全般に使用される様になったとも言われています。

八幡神社での三つ巴は、仲哀天皇が崩御したのち、お腹に子供を妊娠したまま朝鮮半島に出兵したという三韓征伐の話から、巴の形はお腹の中の誉田別命の魂を表すとも言われています。

巴紋は尾の引き方により右左があります。この右左は、尾の向きを基本に右左を呼ぶ場合と丸の部分の向きを基本に右左を呼ぶ場合があり、一定しません。時代により主張するものにより異なるため、どれが正解であるという確固とした解答はありません。本サイトでは、下記の様な名称で取り扱っています。

紋の一覧

左一つ巴紋ひだりひとつどもえもん
平安紋鑑 No.と-001

右一つ巴紋みぎひとつどもえもん
平安紋鑑 No.と-002

陰左一つ巴紋かげひだりひとつどもえもん
平安紋鑑 No.と-003

左二つ巴紋ひだりふたつどもえもん
平安紋鑑 No.と-004

右二つ巴紋みぎふたつどもえもん
平安紋鑑 No.と-005

陰左二つ巴紋かげひだりふたつどもえもん
平安紋鑑 No.と-006

組合巴紋くみあわせどもえもん
平安紋鑑 No.と-007

左三つ巴紋ひだりみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-008


[東京都足立区] 宮城氷川神社
[福島県郡山市] 諏訪神社(前田沢)

右三つ巴紋みぎみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-009


[福島県二本松] 二本松神社
[福島県二本松市] 鹽澤神社
[福島県猪苗代町] 西舘八幡神社(西舘)

丸に左三つ巴紋まるにひだりみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-010

陰左三つ巴紋かげひだりみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-011

石持地抜左三つ巴こくもちじぬきひだりみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-012

左金輪巴紋ひだりかなわともえもん
平安紋鑑 No.と-013

右金輪巴紋みぎかなわともえもん
平安紋鑑 No.と-014

菱に三つ巴紋ひしにひだりみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-015

子持三つ巴紋こもちみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-016

三つ盛一つ巴紋みつもりひとつともえ
平安紋鑑 No.と-017

二葉巴紋ふだたばともえもん
平安紋鑑 No.と-018

違ひ太鼓巴紋ちがいたいこどもえもん
平安紋鑑 No.と-019

折入角に三つ巴紋おりいりかくにみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-020

別名: 折り入り角に三つ巴紋おりいりかくにみつどもえもん

三つ組巴紋おりいりかくにみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-021

変わり組巴紋かわりぐみともえもん
平安紋鑑 No.と-022

痩せ巴紋やせどもえもん
平安紋鑑 No.と-023

重三つ巴紋かさねみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-024

抜け巴紋ぬけどもえもん
平安紋鑑 No.と-025

左二つ尾長巴紋ひだりふたつおながともえもん
平安紋鑑 No.と-026

左三つ尾長巴紋ひだりみつおながどもえもん
平安紋鑑 No.と-027

まが玉巴紋まがたまどもえもん
平安紋鑑 No.と-028

陰陽まが玉巴紋いんようまがたまどもえもん
平安紋鑑 No.と-029

変り三つ巴紋かわりみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-030


別名:
変わり三つ巴紋かわりみつどもえもん

丸に玉巴紋まるにたまどもえもん
平安紋鑑 No.と-031

丸に違い巴紋まるにちがいどもえもん
平安紋鑑 No.と-032

結び巴紋むすびどもえ
平安紋鑑 No.と-033

五つ金輪巴紋いつつかなわどもえもん
平安紋鑑 No.と-034

七曜一つ巴紋ななよういとつどもえもん
平安紋鑑 No.と-035

左三つ巴菱紋まるにみつどもえびし
平安紋鑑 No.と-036

左角三つ巴紋ひだりかくみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-037

三つむくみ巴菱紋みつむくみともえびしもん
平安紋鑑 No.と-038

菱持地抜三つ巴紋ひしもちにじぬきみつどもえもん
平安紋鑑 No.と-039

別名:菱餅に地抜き三つ巴紋ひしもちにじぬきみつどもえもん

釣巴紋つりどもえもん
平安紋鑑 No.と-040


平安紋鑑 No.と-041

捻じ巴紋ねじどもえもん
平安紋鑑 No.と-042

鞠巴紋
平安紋鑑 No.と-043

片喰巴紋かたばみどもえもん
平安紋鑑 No.と-044

糸輪に巴角字紋いとわにともえかくじもん
平安紋鑑 No.と-045

三つ巴の字菱紋みつどもえのじびしもん
平安紋鑑 No.と-046

三つ巴の字丸紋みつどもえのじまるもん
平安紋鑑 No.と-047

浮線巴紋ふせんどもえ
平安紋鑑 No.と-048

臺巴紋うてなともえもん
平安紋鑑 No.と-049

別名:台巴紋うてなともえもん

渦巻巴紋うずまきどもえもん
平安紋鑑 No.と-050

板倉家巴紋いたくらけどもえもん
平安紋鑑 No.と-051

西園寺家巴紋さいおんじけどもえもん
平安紋鑑 No.と-052

有馬家巴紋ありまけどもえもん
平安紋鑑 No.と-053


右四つ巴紋むかいどもえもん

向い巴紋むかいどもえもん


Illustratorで書いてみた

左一つ巴紋

平安紋鑑 No.た-001

右一つ巴紋

平安紋鑑 No.た-002

左二つ巴紋

平安紋鑑 No.た-004

右二つ巴紋

平安紋鑑 No.た-005

陰左二つ巴紋

平安紋鑑 No.た-006

組合巴紋

平安紋鑑 No.た-007

左三つ巴紋

平安紋鑑 No.た-008

右三つ巴紋

平安紋鑑 No.た-009

陰左三つ巴紋

平安紋鑑 No.た-011

左金輪巴紋

平安紋鑑 No.た-013

右金輪巴紋

平安紋鑑 No.た-014

菱に三つ巴紋

平安紋鑑 No.た-015

子持三つ巴紋

平安紋鑑 No.た-016

痩せ巴紋

平安紋鑑 No.た-023

抜け巴紋

平安紋鑑 No.た-025

まが玉巴紋

平安紋鑑 No.た-028

陰陽まが玉巴紋

平安紋鑑 No.た-029

変り三つ巴紋

平安紋鑑 No.た-030

左角三つ巴

平安紋鑑 No.た-037

釣巴紋

平安紋鑑 No.た-040

糸輪に巴角字紋

平安紋鑑 No.た-045

臺巴紋

平安紋鑑 No.た-049

右四つ巴紋
向い巴紋

[東京都足立区] 宮城氷川神社

社名宮城氷川神社(みやぎひかわじんじゃ)
所在地
宮城氷川神社

東京都足立区宮城1-38
社格
御祭神素戔嗚尊
伊弉諾尊、伊邪那美尊(三峰神社)
木花咲邪媛命(浅間神社)
宇迦御魂命(稲荷神社)
神紋左三つ巴紋
摂末社稲荷神社
水神宮
浅間神社
三峰神社
情報源
訪問記訪問日: 2017/08/18

東京なのに宮城?
地名の由来を調べてみると、戦国時代に豪族の宮城氏が地名の由来で、
しかも、この氷川神社自体は豊島氏の一族で太田資正に仕えた宮城政業の居館跡であある様です。
東京の地名は、収めた一族名がつくことが多い様ですね。

由緒書きを見ると、荒川放水路周辺らしく、放水路工事の際に移転しているとのこと。

公園の隣、明神鳥居をくぐると氷川神社の境内。
正面に社殿、左側に「稲荷神社」と「水神宮」、右側に「宮城富士」とある富士塚があり、そのいただきの上には「浅間神社」と「三峰神社」が鎮座しています。
荒川周辺でよく見る富士塚は登ることを前提とした富士塚(今となっては、怪我をして訴訟を起こされてもとか、壊されてもとかの理由から、登山禁止の場所も多いですが。)が多い中、ここは富士の石で積み上げたあまり登ることを前提としないタイプに見受けられます。

社殿左の水神宮、いろいろ資料を調べているけど、どうも資料が出てこない。
鳥居の後ろの社、その後ろにも水神宮、こちらは石祠を最近に新しくしたのでしょう。

氷川神社の賽銭箱には左三つ巴紋。

御朱印なし? – 江北氷川神社の兼務社
由緒書創建は不詳なれど、古くは豪族の館跡に創建されたと伝う。しかしながら、 大正2年の荒川放水路建設工事にともない社殿を移築しなければならなくなり、現在の地に遷座しました。
境内には足立姫をお奉りしたと伝えられる富士浅間神社・稲荷神社・三峰神社があります。
由緒宮城氷川神社由緒

祭神 素盞嗚尊  例祭 毎年九月十五日

当社の由緒は旧記を欠きその詳細は明らかではない。しかし按ずるに南北朝時代(一三一八ー九二)の昔武蔵国豊島郡一円を領していた豊島重信の子重中が新たに足立郡宮城の地を開発し、宮城八郎と称して居館をこの地に構えたとき守護神として足立郡大宮郷(現埼玉県大宮市)に鎮座する式内社(延喜式神名帳記載)武蔵一ノ宮氷川神社の分霊を勧請して祀ったのが始めである。そのころ宮城の地名はすでに足立姫による姫の父足立庄司宮城宰相の名に基づき、地名として存在していたものと考えられるが伝説による人物は、人皇四十八代聖武天皇の神亀天平時代(七二四ー四八)の人なれば、その実在必らずしも信ずべきにあらず。重中の後四代の子宮城泰業のころ泰業は相州小田原(現神奈川県小田原市)の北條氏に属し、武蔵国岩槻城(現埼玉県岩槻市)にあったが天正十八年(一五九〇)七月北條氏政が豊臣秀吉によって滅ぼされたとき宮城氏も亦北條氏と共に滅びた。しかし守護神は宮城氏没落後も猶この地に鎮座し、江戸時代宮城の地が近世村落として成立したとき、改めて鎮守社として之を祀り、十一面観世音菩薩を本尊とした。蓋し神仏習合によるものである。
その後、大正二年三月、荒川河川改修工事が行わるるや、工事遂行のため社殿移転の議が起り、その結果現在の宮城一丁目三十八番六号の地に遷座することになった。しかしその社殿も昭和二十年四月十三日の戦災により焼失したので、昭和二十年十月旧地に再建した。しかるにその後該地に宮城公園が設置されることになったので、境内の一部と公園敷地一部を交換して昭和三十年十月現在の地に新築移転することになり、今日に及んでいるのである。
因みに境内には伊弉諾尊伊邪那美尊を祭神とする三峰神社
木花咲邪媛命を祭神とする浅間神社
宇迦御魂命を祭神とする稲荷神社

が摂社として祭祀されている。

昭和六十二年正月朔日