社名 | 城岡神社(しろおかじんじゃ) |
所在地 | 城岡神社 静岡県沼津市大手町3-5-17 |
社格 | – |
御祭神 | – |
神紋 | 抱き稲に二重亀甲に丸に三つ葵紋? ※ ともかく、なんでもありの神紋。 |
摂末社 | – |
情報源 | 城岡神社 – 静岡県神社庁 |
訪問記 | 訪問日: 2017/08/19 恒例の伊豆参拝旅行の行きがてら、渋滞避けで久しぶりの沼津。 市街地の良立地。 その後、御朱印をもらおうと社務所を探す。 入り口ホール入って、すぐの受付の様な場所が社務所。 市街地ゆえに駐車場はなし。ただ、地下や付近には有料駐車場も多いので、それらを利用するもが良さそう。 |
御朱印 | あり – 社務所にて300円 |
由緒書 | 城岡神社 御祭神 宇迦之御魂神(お稲荷さん) 御由緒 往古 沼津城の丑寅(東北)老松鬱蒼として森厳を極めたる |
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[東京都千代田区] 太田姫稲荷神社
社名 | 太田姫稲荷神社(おおたひめいなりじんじゃ) 一口稲荷神社(いもあらいいなりじんじゃ) |
所在地 | 太田姫稲荷神社 東京都千代田区神田駿河台1丁目2−3 |
社格 | 村社 |
御祭神 | 宇迦之御魂神 菅原道真公 徳川家康公 金山彦命 |
神紋 | 丸に細桔梗紋 – 太田道灌の家紋 |
摂末社 | – |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/06/07 |
御朱印 | – |
由緒書 | 太田姫稲荷神社縁起古社名 一口(いもあらい)稲荷神社 御祭神 宇迦之御魂神 菅原道真公 徳川家康公 金山彦命 鎮座地 千代田区神田駿河台一丁目二番地 氏子区域 千代田区神田駿河台一、二、三、丁目 千代田区神田錦町一丁目、小川町二丁目太田姫稲荷神社は 極めて豊かな霊験伝承と 古い由緒をもつ神社であります 「駿河台文化史」(昭和十年神田史跡研究会)によると当神社の縁起は九世紀に始まります 詩才を白楽天に比されるほどの詩人参議小野篁(おののたかむら)が承和六年はじめ 伯耆国(ほうきのくに=鳥取県)名和港を出港してまもなく海が大そう荒れ狂い身の 危険を感じたため 篁は正装をして船の舳に座り熱心に普門品(ふもんぼん=観音経)を 唱えていると 白髪の老翁が波上に現れて「荒波から命を守つやるが疱瘡(天然痘= 大流行し治療法がなく非常に恐れられていた)を患えば一命が危ない われは 太田姫の命である わが像を常にまつれば この病にかかる事はないであろう」と告げ 波間に姿を消した そのお告げを護り自ら翁の像を刻み 護持していた のちに山城国 (京都府)の南にある一口の里に神社を祝い祭った 江戸の開祖として知られる太田資長朝臣(後の道灌)の最愛の姫君が思い疱瘡にかかり 絶望の中 人伝に一口稲荷神社の故事を聞き急使をつかわせ祈願 使者は祈祷の一枝と 幣を授かり帰ると 十直の病が癒えた資長朝臣は崇敬の念篤く城内本丸に一社建立し 姫君と共に深く敬拝した ある時この城の鬼門を守るべしとの神託があり 鬼門に移して 太田姫稲荷大明神と奉唱するようになった 長禄元年(一四五七年)のことである 慶長八年(一六〇三)八月 徳川家康公が江戸城へ入られた後 慶長十一年の江戸城 大改築の際 城内より西丸の鬼門にあたる神田駿河台東側に移されこの坂を一口坂(いも あらいざか 後に鈴木淡路守の屋敷が出来たので淡路坂ともいう)と呼ばれた その後 代々将軍が崇拝し 修理造営は徳川家が行ったと伝えられている 明治五年(一八七二)神社制度により神職司掌とする 例祭日は毎年四月十八日と定められ 後に五月第二土曜日となる 大正十二年(一九二三)関東大震災で類焼 御神体のみ無事に湯島天神に避難する 大正十四年(一九二五)仮社殿が落成 昭和三年(一九二八)氏子各位の寄進により 本社殿 神楽殿 御水舎 神輿庫 社務所 鳥居等新築される 昭和六年(一九三一)御茶ノ水駅 両国駅間の総武線建設のため社地大半を収用され 鉄道省より換地として 現在の地を神社敷地に指定 一切の建築物をそのまま移転 して今日に至る |
[千葉県勝浦市] 遠見岬神社(浜勝浦)
社名 | 遠見岬神社(とみさきじんじゃ) |
所在地 | 遠見岬神社 千葉県千葉県勝浦市勝浦92 |
社格 | 郷社 |
御祭神 | 天冨命(あめのとみのみこと) |
神紋 | 麻の葉紋 |
摂末社 | 摂社 忌部神社 末社 月読神社(月読命) 金刀比羅神社(大物主神) 福徳稲荷(豊受大神) 伏見稲荷(宇迦之御魂神) 境外神社 火防稲荷(宇迦之御魂神) 西宮神社(西宮大神) |
情報源 | 遠見岬(とみさき)神社【公式HP】千葉県勝浦市鎮守 神社のひろば 神社探検隊! |
訪問記 | 訪問日: 2017/02/05 |
御朱印 | あり |
由緒書 | – |