社名 | 諏訪神社 |
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所在地 | 福島県郡山市喜久田町前田沢1丁目30 |
社格 | 村社 |
御祭神 | – |
神紋 | 四本足に三本梶 左三つ巴紋 |
摂末社 | – |
情報源 | – |
訪問記 | 訪問日: 2017/10/25 |
御朱印 | – |
由緒書 | – |
社名 | 諏訪神社 |
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所在地 | 静岡県賀茂郡松崎町岩科北側691 |
社格 | – |
御祭神 | 建御名方命(たけみなかたのみこと) |
神紋 | – |
摂末社 | – |
情報源 | 松崎町史資料編 第一集 神社・寺院編 |
訪問記 | 訪問日: 2017/05/01 |
御朱印 | – |
由緒書 | 祭神 建御名方命 由緒 縄文遺跡として古くから知られている岩科西の段を見渡す山の中 腹に南面して鎮座している。伝えられるところによると、元は西の 段にあり、規模宏大で末社数十座(八十八社ともいわれている)を有し ていたが、中古火災にあい、社殿、旧記録の全てを焼失したとい う。現在も西の段のすぐ下のほぼ平地になったあたりに祀られてい る小社が数社あるが、かつて隆盛を極めた時の名残りを物語るもの であろう。 一方、二枚ある明和九年(一七七二)九月の棟札の二枚目では、 延宝八年(一六八〇)の棟札を明和九年に書き写したと断り書きし てあり、それによると「諏訪大明神の草創は久しいが、年を経て大 廃し嘆かわしい事であったが、当村中村清右衛門親知が施主となっ て石宮一字を再興し云々」と記されている。現社殿の裏正面に、高 さ一メートル弱の古びた石宮が鎮座しているが、現社殿との位置関 係や、前記施主の末裔によって現在まで祀られてきていることなど から、この石宮が延宝八年建立のものの可能性が極めて高いと思わ れる。 現社殿は文久元年(一八六一)一一月の造営になるもので、彫刻 師石田半兵衛邦秀(推定・六一歳頃)の円熟期の装飾彫刻は見事で ある。 例祭日 二月一一日 以前は二月一五日であったが、近年になって改められた。 |
社名 | 諏訪神社・縁結神社(すわじんじゃ・えんむすびじんじゃ) |
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所在地 | 静岡県沼津市大平2943 |
社格 | |
御祭神 | |
神紋 | |
摂末社 | |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2017/01/04 たまたま通りがかって鳥居を発見。急遽、参拝。 楔の大きさがきになる明神鳥居をくぐると目の前に小ぶりな社殿。 えらく新しい境内。整備されたのはつい最近のような雰囲気。 それにしても、諏訪神社はわかるが縁結神社とは…。 妙に俗っぽさを感じずにはいられない。 なんというか、バンレンタインチョコレートの売り場のような…そんな俗っぽさ。 そんなことを思いつつ参拝し、帰宅後にネットで検索。いろいろ検索した結果、 曹洞宗 桃源院に行き着く。そこの情報によると、 (1)諏訪大明神 当時の浪人は、信州出身の者が多かったので、長野県の諏訪神社を分祭祀し、天正十八年八月造営され、祭礼は四社合同にて、九月一日政戸区民一同で交代に祭っている。 (2)結大明神 諏訪大明神と並んで祭られており、縁結びの神として信仰されている。祭神(いざなみ・いさなぎの尊) (3)稲荷大明神 右側に祭られており、農民になったとき農作物の神として祭った。祭神 (天白大権現) (4)左口神 じゃも(疱瘡や皮膚病の痕)を守って下さる神様として、祭っていたが、何時の間にか「オシャモジサン」と呼ばれ、あせも・おできの神として信仰されている。
ということで、この縁結神社は俗っぽい者ではなく、結大明神由来なのであろうことがわかった。 俗っぽいなどと考えたこと。反省。 ただ、この情報だと4宇の神社があったことになる。 稲荷大明神と左口神はどちらに行かれてしまったのだろうか…。 |
御朱印 | |
由緒書 | – |
Traditional Japanese Life