社名 | 雷電神社(らいでんじんじゃ) 桐生雷電神社 |
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所在地 | 群馬県桐生市錦町1丁目3−6 |
社格 | 村社(昭和18年6月) |
御祭神 | 火雷神(ほのいかづちのみこと) |
神紋 | |
摂末社 | 不明2宇 (八坂神社?) (八幡神社?) |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/10/06 通りに面した朱色の巨大な明神鳥居。 その鳥居を抜けると、一般的なサイズの明神鳥居。 一の鳥居のサイズが大きかった分、標準サイズの二の鳥居が小さく見える。 鳥居をくぐると社殿。 社殿前には岡崎型の狛犬が一対。 社殿も立派でかなりの大きさ。 また境内にあった瑞鳳殿なる建物もやはりいいサイズ。 この瑞鳳殿はなにかよくわからなかったけれど、おそらくは神楽殿でしょう。 社殿右には境内社。2宇あるが、詳細は不明。 ネットで見ると八幡神社となっているが、地図で確認すると八坂神社。 |
御朱印 | 掲示あり |
由緒書 | 雷電神社の由来 雷電神社は雷除け、雨乞い、五穀豊穣の神として荒戸五ケ村 が雷電山に祭る。永禄二年(一五五九)である。 常見隠岐守が上原に移った時に屋敷神として勧請した。 天和二年(一六八二)である。 その後最勝寺(現在は錦町)が別当寺として祭祀を預かる。 (最勝寺は常見隠岐守の開基と云い、神社に仕え、管理運営を 行っていた。) 亨保、元文の頃、寺と村方とで神社について紛議が起こり、 一時的に村方持ちになったが元文四年(一七三九)上野東叡山 から下書を賜って最勝寺が別当となり明治維新まで継続した。 明治時代より雷電神社はその所在地の鎮守様として、周辺の 崇敬者を氏子として祭祀管理運営されて、春秋二回の祭礼が 行われてきた。 太平洋戦争時は第3区区民が氏子となり、昭和五十九年に 老朽化した本殿、大鳥居等改修し現在にいたる。 祭神 火雷神(ほのいかづちのみこと) 平成二十一年 |
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