社名 | 向原八雲神社(むかいはらやくもじんじゃ) |
所在地 | 向原八雲神社 東京都板橋区向原2丁目4−7 |
社格 | |
御祭神 | 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) |
神紋 | 祇園守紋 |
摂末社 | |
情報源 | |
訪問記 | 訪問日: 2016/06/06 地下鉄有楽町線の小竹向原駅より千川駅へ向かう途中に鎮座。 地下鉄の通る表通りではなく、一本裏の住宅街の中。 静かな通りに小ぶりな明神鳥居。入口が狭く多少窮屈に感じるが、奥には立派な社。 神社自体は八雲神社ということで、須佐之男命を祭っているという事になっているが、京都の八坂神社所縁の珍しい御神紋「祇園守」をいただいていたり、古から「天王さま」と呼ばれていたりすることから、本来は牛頭天王社であったものが、明治期に須佐之男命として現在に至るものと推測される。 総社が津島神社であるという事は、牛頭天王を祭神としていたことは間違いないでしょう。この辺りは、大宮の氷川神社由来の素戔嗚尊と牛頭天王社由来の須佐之男命が入り混じる。 そのあたりを推測しながら参拝するのも一つの楽しみ方ではないかと思う。 |
御朱印 | |
由緒書 | 向原八雲神社 御由緒 御祭神 建速須佐之男命(たけはやすさのおのみこと) 当神社は江戸時代この地域の先祖が現在の向原一丁目に勧請し、江戸時代末期頃現在の地に遷されたと伝えられており、現在は向原地域の鎮守社としてお祀りしております(尚、向原地域の氏神は東新町に鎮座する氷川神社であります) 当神社には「祇園守」という京の祇園神社(現八坂神社)所縁の珍しい御神紋が有り、また古から「天王さま」と呼ばれ親しまれております。当神社の総社は愛知の津島神社であることから同御祭神の八坂様と共に深い所縁がございます 八雲神社は古来より疫病や天災を祓う神様として崇められておりますが、更に健康や家内安全・商売繁盛・学問成就などに御利益があるとして、向原地域のみならず近隣諸地域の皆様から厚い崇敬をいただいております。 比度、平成十九年丁亥九月崇敬者各位の御奉賛により新社殿が竣工致しました。この奉賛事業を記念し、永く御由緒之碑を奉納致します。 平成十九年九月四日 向原八雲神社奉賛会 |
向原八雲神社信仰関係資料 向原八雲神社は、須佐之男命を祭神とし、当地の鎮守であったと伝えられています。元々は向原一丁目に祀られていましたが、江戸期に現在地へと移座したとされます。 当社には、富士・大山信仰に関する資料があります。境内の手水鉢は、富士講の講中の一つである山万講の枝講で、上板橋村に展開した丸證講が江戸期に奉納したもので、そこに刻まれている世話人には、富士山三十三度成就を果たした大先達である向原の三原松五郎の名前が確認できます。 大山信仰に関わる資料としては、木太刀や神酒枠があります。木太刀は大山まで講員が持参し、良弁の滝で水垢離をした後に神前へと奉納され、それと引換えに以前奉納した木太刀を持ち帰ってお守りとするものです。神酒枠は大山へ御神酒を奉納し、帰りに御神水を入れる御神輿状のもので、これらは区内では当社だけに確認されています。 他にも、明治四年(一八七一)以降の年紀を持つ、榛名・大山・富士・古峯・武州御嶽・木曾御嶽などへの登拝講にかかわる古文書と、当地「オビシャ」信仰に関わる古文書も管理しています。 これらの八雲神社の信仰関係資料は、当地の江戸期以降の祭祀や登拝講について、その組織の実態などをあきらかとする貴重な資料群であり、平成二十年度に区登録有形民俗文化財となりました。 平成二十一年九月 板橋区教育委員会 |