【埼玉県】追加調査 – 川口町(乙種料理店)を同定してみる

遊廓の話

川口町(乙種料理店)の追加調査

【埼玉県】川口町(乙種料理店)を同定してみるで、川口市の乙種料理店の所在地が現在の川口市幸町二丁目あたりだという事のあたりをつけ、古い住宅地図で何か所かの場所を同定しましたが、『川口商工人名録』に載っている場所の数からして、もうちょっと調べたいと思って追加調査をしてみました。

川口市住宅地図(世帯名入)

所用があり川口駅前まで行ったついでに、再度、川口市立中央図書館に訪問。
他に資料がないか探してみたところ、『川口市住宅地図(世帯名入) 』という一枚地図のシリーズを発見。
こちらを確認してみたところ、1940年(昭和15年)の詳細が確認できました。

1940年であれば、売春防止法前である上に太平洋戦争の開戦前。少し経済的にもきな臭くはなっていますが、乙種料理店はまだまだ現役のはず。『川口商工人名録』との一致の確認が期待できます。ただし、全国遊廓案内の出版年よりはだいぶ後になるので、店名などはやはり微妙に異なるでしょうね。

そんな予想をもとに、地図上で、記載されている店名で整合を取り、その後、店名の記載がなく「料理」とだけ書かれている部分については地番で一致をとった結果がこれです。

川口市立中央図書館蔵 川口市住宅地図(世帯名入) 11.幸町二丁目11.A~Dをベースに作成

赤く塗った場所が名前などから確証が得られているところ。グレーが地図上は乙種料理店であると読めるが、他資料から読み解けない場所です。

樹モールの新鮮市場や大晃飯店、マルサヤみたいに、昔から川口にいますよ!といった顔ぶれが、実は乙種料理店が無くなった後にそこに座ったお店だということがわかると、なんとなくですが、ちょっと感慨深いものがあります。

これで、川口市(川口町)の乙種料理店に関してはほぼ場所が確定できたと思われます。

栄えている街の土地だけに、再利用が適正に進んでいることもあって、当時の残渣というものは何もなく。こうやって当時のことは文献にしかなくなっていくんですね。

資料

川口市住宅地図(世帯名入) 11.幸町二丁目11.A(1-2,56-88), 都市地図社, 1940年, 川口市立図書館蔵
川口市住宅地図(世帯名入) 11.幸町二丁目11.B(13-24、45-55,89-101) 都市地図社, 1940年, 川口市立図書館蔵
川口市住宅地図(世帯名入) 11.幸町二丁目11.C(25-32,37-44,102-109) 都市地図社, 1940年, 川口市立図書館蔵
川口市住宅地図(世帯名入) 11.幸町二丁目11.D(33-36) 都市地図社, 1940年, 川口市立図書館蔵

メモ

この記事は、【埼玉県】川口町(乙種料理店)を同定してみるの追加調査です。

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