埼玉県の私娼窟
全国遊廓案内には、埼玉県の項目に、川口町、深谷乙種料理店一画、浦和町中野原新開地、本庄町の4か所が記載されています。
昔に「埼玉県は廃娼県」。ただ「熊谷県」を合併した結果、深谷・本庄に遊廓地を残したって流れと昔聞いていたのに、全国遊廓案内をには川口や浦和にそれっぽいのがあるというのがちょっと不思議に感じていたので、今回、このあたりをちょっと調べてみました。
埼玉県警察史
以前にこの手のものを調べるときは警察史を見るのが手っ取り早いと学んだので、埼玉、警察とかで国会図書館で検索。結果としては資料はあっさりと見つかり、ちょっと大きめの資料ですが指定地とか遊廓とかのキーワードで全文検索しながら中身の確認。
そんなことをしていたら、『埼玉県警察史』第1巻の915ページに「花柳界指定地の設定」という項目を発見。
花柳界指定地の設定
本県では明治五年娼妓解放令以後深谷、本庄以外は公娼制度を認めなかった。このため達磨と称する密売淫が各地に散在し、大正七年には達磨屋のある地区が一七〇個所で五〇〇軒、達磨の数約一〇〇〇名におよんだ。この達磨には料理店などの酌婦がなっており。警察の取締対象であったが、警察としては当時の実情からしてこの達磨屋と称する小料理屋をやむをえず認める結果となっていた。当時の巡査数は七五〇名であり、十分な取り締まりができにくかった。そこで、大正八年この一七〇個所を三二個所に指定して縮小することにした。
結局、廃娼とは形ばかりで名前を変えて存続していたのが実態であったといえます。
ただ、こうなると、公娼と指定地の私娼は何が違うの?という疑問がわきます。もちろん、当時も、
当時公娼の認められていた地区は僅か深谷、本庄の二個所だけであったが、この時。新たに指定される三二個所の達磨営業はこの公娼とどう違うのかという質問に対し、県会において加勢警察部長は次のように答弁している.
と、やはり同じようなことが議論されていたようです。
勿倫指定地二於テハ公娼的二公然ノ秘密トシテ之ヲ許スカト云フト、是二就テノ御答弁ハ少々窮シマスガ、指定地内二於テハ、白昼公然人ノ袖ヲ引クトカ、或ハ夜間二於テモ公然人ノ耳目二触レル行為ヲ以テ、風俗ヲ乱ス如ギ行為ハ全然禁止シ.斯ノ如キ場合ハ相当ナル制裁ヲ加ヘル、併ナガラ十分取締ッテ居ッテ、尚且ツ其取締ノ手ノ届カナイ所ハ如何トモスルコトガ出来ナイノデアリマスカラ、是認スル訳デハアリマセヌガ、サウ云フト語弊ガアルカ知レマセヌガ、寛大二見逃スト云フコトニナルダラウト思ヒマス、ソレカラ達磨屋ノコトニ付テ御話ガアジマシタガ、私が先キ程説明が足リナカッタデスガ、大正六年十月末ノ調ベニ、酌婦が九百四十八人、ソレカラ雇女ガー千七十四人居ジマス、芸妓が三百六十一人居リマス.合計二千二十二人居ルノデアリマス、其中デ所謂俗称達磨屋卜認ムベキ者が四百二十戸アッテ、達磨卜認ムベキ酌婦が此内五百七十八人、屈女デ四百二十七人、合計千五人居リマス、詰り酌婦ハ皆達磨デハアリマセヌ、酌婦ノ中ノ達磨卜、雇女ノ中デ達磨卜認ムベキモノガ合計千五人居ルノデアリマス、此以外ノ者ハ然ラバ全然風俗ヲ乱サナイモノデアルカト云フト、ソレハ玆デ断言ハ出来マセヌガ、兎二角達磨卜称セラレツツアルモノハ、風俗ヲ乱ルト云フコトハ何人モ認ムル所デアリマス、又此達磨屋卜称スルモノハ農村ニモ拡ッテ居リマスシ.或ハ町ノ中央ニモ拡ッテ居リマス、斯ノ如キ事ハ風俗ノ上、衛生ノ上カラ決シテ看過スベキモノデナイ、斯ウ云フモノハ十分二取締ルガ必要卜思フ、所が本県二ハ僅カ七百五十余人ノ巡査デアリマシテ、此巡査ノ力デハ到底此千幾人ノ達磨ヲ十分二取締ルコトハ不可能デアリマス、此意味二於テ一定ノ指定地二集メテ、以上述ベタル如キ方針トシ、取締ルト云フコトニナルノデアリマス
まぁ、「勿倫指定地二於テハ公娼的二公然ノ秘密トシテ之ヲ許スカト云フト、是二就テノ御答弁ハ少々窮シマスガ」と言い出しているので、まぁその通りなのですが、回答としても苦しい。結局は警察側の力が足りないので総合的に判断してお目こぼしして治安を最大化するよって話でしかないわけですね。
まぁ、出来もしないきれいごとを言って破綻するより合理的な判断だったんだろうなとは思います。
ただ、残念なことに、この資料には指定地がどこかあるかは記載されていません。
レファレンス共同データベース
こういう時に役立つのは、「レファレンス共同データベース」。
多数の参考業務の結果が掲載されていて、かなり便利です。参考業務なので、一次資料がはっきりしているうえにプロセスが明解なので、自分自身で追試をしながら確認できるので、信頼性も担保できているのがいいところ。
ざっと検索すると埼浦-2003-018(2024年3月30日 確認)の埼玉県立久喜図書館のレファレンス事例がピンポイントで該当しています。ステータスはクローズ(解決)していますが、内容的には未解決の状況になっています。
詳細は原典に任せるとして、記載されている大まかな状況を整理すると、
『埼玉県にあった遊郭(赤線)の所在地を知りたい。』
1.具体的地名の記載されている資料は見つからなかった。
2.『売春に関する資料』(労働省婦人少年局 1953) に「都道府県別種類別売春婦一覧表」(昭和28年5月)があり、埼玉県内は24地区とあるが、具体的地名はなし。
3.『売春に関する資料 1』(埼玉県民生労働部婦人児童課 1957)に「市町村名別業者」(昭和32年3月15日現在)はあるが、具体的地名はなし。
4.『明日の婦人保護をめざして 売春防止法30周年記念誌』(埼玉県婦人相談センター 1987)に「埼玉県における売春婦等一覧表」(昭和32年5月31日現在)はあるが、具体的地名はなし。
5.『埼玉県警察史 2』にも関連記述はあるが、地名は判明せず。
6.『埼玉女性の歩み 下』にも関連記述はあるが、地名は判明せず。
とあり、参照すべき資料がいくつか上がっていますのでこれらに当たってみたいなぁ。調べてみると、5については国立国会図書館のデジタルライブラリに埼玉県警察史 第2巻として参照可能。2はCiNii Bookの結果だと所蔵館が15館あったり何とか閲覧できそう。でも、そのほかに関しては、埼玉県立図書館に直接当たらないとだめっぽい。県民以外にはなかなかにハードルが高い。
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