【栃木県】黒磯町遊廓を同定する

遊廓の話

【栃木県】黒磯町遊廓を同定する

なんとなくラジオを聞いていたら、黒磯市がなくなって、那須塩原市になっていたという話を聞き愕然。合併が2005年と云う事で、だいぶ昔の話なのにいまだに気がついいていなかったとは…。

と云う事で、思い出したように『全国遊廓案内』にあった黒磯町遊廓を調べてみることにします。

全国遊廓案内

『全国遊廓案内』には、

黒磯町遊廓 は栃木縣黑磯町にあつて、鐡道に依る時は東北本線黑磯驛(那須驛の一つ手前)で下車すればよい。
貨座敷の總軒數は三軒、娼妓は十人位居て、重に東北人が多く店は陰店を張つてゐる。御定りは二圓で臺の物が附く、一時間遊は一圓五十銭酒肴なし、全部東京式廻し制になっ
て居る。本部屋は無い。

『全国遊廓案内』,日本遊覧社,昭和5. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/1453000 より

「栃木縣黑磯町にあつて、鐡道に依る時は東北本線黑磯驛(那須驛の一つ手前)で下車すればよい。」と云う事なので、この「栃木縣黑磯町」は那須郡黒磯町→黒磯市→那須塩原市となった、旧黒磯町を指し、「東北本線黑磯驛」は文字通りの東北本線 黒磯駅でしょう。

ただ、「那須驛の一つ手前」とある那須駅とは現在の西那須野駅を指していると思われるけれども、黒磯駅との間には当時の東那須野駅(現在の那須塩原駅)があり、隣というわけでもなく。那須駅の一つ手前というのであれば、仙台・福島方面から向かっている話になってちょっと違和感感じますね。まぁ、この資料らしいいい加減なところです。読み込めば読み込むほどにこういういい加減な部分が気になってきます。

黒磯市誌

とりあえず、いつもの手段、国立国会図書館で『黒磯町遊廓』を検索するもまともに情報が引っかかってきません。あっさりとはいかなさそうですね。

そうなると関連しそうなキーワードで手当たり次第に検索してみて、次の手を考えてみることにします。全文検索で「黒磯駅」「遊廓」「新地」「遊里」等で手当たり次第に検索。こういう馬鹿な検索方法が行えるようになった現代のテクノロジーに感謝です。昔であれば、ページをめくりつつ地道な作業がどうしても必須でしたからね。

そんなこんなで見ていたら、「黒磯駅」「新地」のキーワードを黒磯市誌で発見。

黒磯市誌編さん委員会 編『黒磯市誌』,黒磯市,1980.1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9641967 P.336 より

黒磯市誌のP.336。その中に地図があり「新地」の記述を発見。
多分、これが該当なんだろう。と。

さらに読み進んでいくと違う地図も発見。

黒磯市誌編さん委員会 編『黒磯市誌』,黒磯市,1980.1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9641967

黒磯市誌編さん委員会 編『黒磯市誌』,黒磯市,1980.1. 国立国会図書館デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/9641967 P.676より

黒磯市誌のP.676。こちらにはよりわかりやすい地図が表示されています。新地は遊廓であるとされていて、そのアクセス道路は「新地通り」とあります。まさにそういう感じなんですね。

現代の地図を見ると「新地仲通り」とあって、それっぽく残っています。

地図・空中写真閲覧サービス

さて、おおよその感じが分かったけれども。次は具体的な場所の特定に行きたいと思います。

そんな時は「地図・空中写真閲覧サービス」かな。

地図・空中写真閲覧サービス より

整理番号 USA
コース番号 R585-No1
写真番号 17
撮影年月日 1947/11/21(昭22)
撮影地域 大田原
撮影高度(m) 2591
数値写真レベル(デジタル) 16911
カメラ名称 K-17
焦点距離(mm) 153.200
カラー種別 モノクロ
写真種別 アナログ
撮影計画機関 米軍
市区町村名 那須塩原市

おっと。確かに黒磯市誌に記載されていた新地の場所と思われる場所に廓状の一画が確認できます。
これをスケールと方角をを合わせて、現代の地図に当てはめてみます。

航空写真から現代の地図に転写

「新地仲通り」を西方に進んだ先。公園のある十字路を中心だったということが上記地図から同定できます。

それぞれの方角は、西方は現在、「より道」という居酒屋のある路地がちょうど境目。
東方は「黒磯病院」北側にある路地よりも少し西方。ちょうど黒磯病院の入り口前の場所をまっすぐに切り落とした場所が境目。
北方は現在の黒磯病院北側の路地が切れ目。
南方は中心の十字路より南方に下るとある丁字路までの区間の2/3程の場所が境目。

結構限定的な範囲に収まっていたんだなということが想像できます。

エリアとしては、現在の「那須塩原市高砂町2~5」の一画。という結論です。

MAPPLE法務局地図ビューア

大体の場所がわかったら、いつものように地籍をちょっと舐めておこうと思ってMAPPLE法務局地図ビューアを確認。

マッピングはされていないものの、高砂町は形が整っているので、なんとなく…全くわからん。
ただ言えるのは、南西側の斜行する道は読み取れ、北西側にある「し」の字状の道も私道ながら読み解ける。
それが間違っていなければ、十字路に沿うとする部分の南北を貫く場所は「筆界未定地」。東西に走る新地仲通は全く読み解けない。見る限り分筆すらされていない。
読み間違いの可能性もありますが、なかなか複雑な地籍なようです。

遊廓用に確保したような場所なので、メインストリートが私道というのはよくあることではあります。ただ、それにしてもこの情報と現状の不一致はなかなかに興味深いものがありますね。

デジタル散策

当たりが付いたところで、デジタル散策。

現地に行くのはとりあえずおいておいて。
グーグルさんの提供している便利なストリートビューで旅行気分。

まずは中心として考えた十字路からの景色。

デーンと公園があって、いたって普通の昔ながらの住宅街。

で、ちょっと散策。中心と考えた十字路から駅方面に少し戻ってみます。

ちょうど一画の切れ目と考えたところから道が細くなっています。
雰囲気的にも廓の特徴が出てるように見えます。

そして、十字路から北東に伸びる道も散策。

こちらは、予想した黒磯病院前の道より手前で道が細くなっています。これを見るに、この道が細くなっている手前までがエリアだったのであろうと推測できます。
ちょっと予想を外しましたね。

で、この逆側。こっちはかなりわかり易い。

まさに予想したエリアで道が狭くなっています。

北西方向に関しては、航空写真を見るにもともと未知の無かったところが延伸されている様なので、元の道の太さで伸びているようです。こちらに関しては、どこまでがエリアだったのかはつかみかねる感じです。

散策してそれっぽかったもの。

でーん、とたたずむ立派な建物、雰囲気的には当時ものっぽい感じはします。
まぁ、単なる印象なのですけれども。

訪問してみる?

もう遺構らしいものはあまりなさそうではあるけれど。
趣のある建物などはいろいろありそうなので、近いうちに訪問したい感じですね。

ただ、もう少し追加調査をしてみない事には、正確性の根拠が薄いかもしれないですねぇ。

使用した資料

黒磯市誌編さん委員会 編『黒磯市誌』,黒磯市,1980.1. 国立国会図書館デジタルコレクション

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