瀬上町遊廓の追加調査
以前のこたつ調査の時。いろいろ限界を感じでネットの力に頼ってみたものの。
やっぱり、もうちょっと追い込んでみたいと思って調査してみました。
ごんけやん「半百の歩み」を見てみたい
瀬上遊郭 その1 | MASAの道中日記にあった「「ごんけやん」という本」。
でも、この本を手に入れる、もしくは閲覧するにはどうしたらいいのかな?
国会図書館で見ると、福島県立図書館か国会図書館に蔵書があるのがわかるけど、CiNii Booksで調べるとノーヒット。本当においてるところが少ない…。福島県立に行くか、仕事を休んで国会図書館に行くか。なかなかにハードル高いなぁ。と思っていてあきらめていたわけですが。
ほかに調べる方法ないかなぁ。と考えていて気が付いたのがカーリル。これのカーリルローカルで一括検索すれば…公共図書館を串刺し検索できるじゃん!と。
…と思って調べたら見つかりましたよ。カーリル。案外便利ね。
近所の図書館にはさすがになかったけれども。どうやら、公共図書館だと福島県立と福島市立、白河市立。学校だと福島学院に収蔵されている模様。
(…あれ?CiNii Booksで出てこなかったなぁ。福島学院大ってNACSIS-CAT参加館だよねぇ…。)
ということで、白河市立図書館~りぶらん~まで、車を数時間飛ばして行ってみました。
ごんけやん「半百の歩み」を見てみる
なるほど、そりゃ、なかなか見かけないわけだ。
内容を見ていると、著者の自叙伝ともいえる本で「ごんけやん」とは著者のあだ名であるようです。
奥付を見ると定価記載もあるようなので一般に流通しているようにも見えたりはしますが。状況的にはいわゆる自費出版の類ではないかと思われます。
白河市立図書館の蔵書も、ある方への寄贈された本が寄贈されて収められている形のようでした。
そりゃ、なかなかお目にかかれないわけだ…。
むかしの瀬上
自叙伝の中にある、故郷の昔として「第十五章 むかしの瀬上」として歴史がまとめてありました。
瀬上遊郭 その1 | MASAの道中日記の参照元はここの記載のようです。
記載内容を見るに、地元小学校の校長が残した郷土史や福島史学研究などに寄稿している方の資料をベースに記述しているようですので、それなりに正確であることが期待できます。
瀬上新町(薬師前)については、
明治三十五年(一九〇二年)奥州街道筋にあった花街は、風俗を乱すという理由から移転が命ぜられ、今まで宿場に散在しおった妓楼を、一ヵ所に集めて、営業するよう政令が発布され、瀬上花街は瀬上の東裡と言われた薬師前に移転することになった。
瀬戸孝一 著『ごんけやん「半百の歩み」』, 福学図書, 1982.5 より
のように書かれており、旧道沿いにあった、飯盛旅籠を起源とする花街は他所同様に集約・移転したと記載されています。
瀬上新町遊廓見取図(加藤勝栄作成)
瀬戸孝一 著『ごんけやん「半百の歩み」』, 福学図書, 1982.5より
そこに併記されている「瀬上新町遊廓見取図」これが非常にわかりやすい。
現代の地図、特に「MAPPLE法務局地図ビューア」を使って見比べるとさらに理解しやすくなります。
新地は現在の国道4号線で分断されてしまっていますが、ユーカーサービスとなっている場所が今加楼、中華料理 特味となっている場所が備中楼跡、理容室 銀座となっている場所が八幡楼跡という感じで並んでいたことがわかります。
そして、いろいろな資料で誤解を生んでいるように見えるのが遊廓通り(表通り)。
花月楼の石造りの建物の写真。
【福島県】瀬上町遊廓を同定するで書いたときに感じた感想。
<遊郭の跡>(花月楼)小林金次郎 著『ふくしま散歩 : 福島郷土文化風物誌』県北編 本編,西沢,1971. より
石倉造りと言えばかっこいいけれども、はたから見てると倉庫っぽい感じですね。これだと遊郭っぽさはあまり感じないですね。
って、印象は間違っていなかったんです。これ裏口なんですもの。
貸座敷見取図(瀬上薬師前・明治45年頃)
薄井三男 著『福島公娼史』, 薄井三男, 1993. 12 より
この資料と一致が取れるわけですが、これを見ると、現在の理容室 銀座の前の細い路地こそが「遊廓道路」であり、各店の正面になる通りということになるわけです。
石倉造りの建物は、他のブログなどの記事を見るに一本北の信号の通りから見たのが確実。要するに裏口。
今となっては何一つ残っていないというのは変わらずとも。まだ辛うじて地籍には残り香があるようです。
ただ、これも何かしらの都市開発によってどんどん失われてしまうんでしょうね。
使用した資料
瀬戸孝一 著『ごんけやん「半百の歩み」』, 福学図書, 1982.5
薄井三男 著『福島公娼史』, 薄井三男, 1993. 12