【埼玉県】鳩ヶ谷町(乙種料理店)を同定してみるで手持ちの情報で大体の場所を特定していたつもりだったのですが、いい加減にちゃんと調べてみようかなぁと思い立って作業してみました。
鳩ヶ谷町(乙種料理店)の追加調査
さて、どうするか。と、思っていたところ。
たまたま、所用があって十一屋酒店さんに行かなければならなくなったんでついでに聞いてみようか…。となり。
行ったついでに聞いたけれども。
やっぱり時代が古すぎてなかなか情報には行きつけず。
川口市 郷土資料館
これまた別件。たまたまに川口市郷土資料館に行ったところ、
「最新 埼玉懸北足立郡鳩ケ谷町及安行戸塚神根之各村案内圖 昭和4年(1929)5月発行」
が壁にぶら下がっていました。
撮影OKとのことだったので、必要部分だけ撮影してきました。
最新 埼玉懸北足立郡鳩ケ谷町及安行戸塚神根之各村案内圖 昭和4年(1929)5月発行
以前の調査の時にたたき台にした「鳩ヶ谷史談」の記載場情報をもう一度確認。
次が「新地料理店」。本町三丁目の竹屋と野本時計店の横通り「出戸」を入り、左手のクリーニング店のところを右折して少し行ったところに、鳩ヶ谷の新地はあった。
寶来家 壽亭(電一一三) 千代本
古松屋 新千代本鳩ヶ谷史談, 平野清, 2005.7, 川口市立鳩ケ谷図書館蔵 より
地図とこの資料を見比べてみると、資料にある「古松屋」は地図では「若松屋」となるお茶目さん。
どっちが正しいかわからないけど、いずれにしろ、ここが一角であったことがわかります。
ゼンリンの住宅地図 鳩ケ谷市 ’72
埼玉県立図書館でみた1972年時点の鳩ケ谷市の地図。
これと、「最新 埼玉懸北足立郡鳩ケ谷町及安行戸塚神根之各村案内圖 昭和4年(1929)5月発行」を見比べてみます。
これを見ると、1929年時点で「港屋料理店」と表示されているところは1972年時点で「みなとや」。二軒隣には「港屋雑貨店」「湊屋」がある。よく見ると北西屋酒店の隣も「港屋米店」「みなとや文具店」とあります。実はこの付近、「みなとや」だらけなのですね。
「六十園茶舗」も同様に両地図に存在します。
「港屋料理店」「六十園茶舗」は現代の地図(2025年)でも「湊屋」「六十園茶舗」の名前で存在します。
また1929年、1972年の地図では、「港屋料理店」と「六十園茶舗」の間には「鳩ケ谷町役場」があります。これは現代の地図になると御成坂公園となるようです。
ということで、この3点の並びが共通であることから、1929年にある「千手院」は1972年地図の「日本生命」。裏にある「渡辺医院」は共通してますので間違いないでしょう。
ここまでで見ると、1929年の地図。北西酒店前の「出戸」の通りから渡辺医院までの距離感が住宅地図のそれではなく、街の案内板のソレなのを見せてますね。ここからの同定はその点を気を付けなければならないでしょう。
地図・空中写真閲覧サービス
地図上ではあたりが付いたけど。
本当にここなのかを確認するために航空写真で確認。
種別 | 空中写真 | |
整理番号 | USA | |
コース番号 | M738 | |
写真番号 | 33 | |
撮影年月日 | 1948/01/18(昭23) | |
撮影地域 | 東京西北部 | |
撮影高度(m) | 1524 | |
数値写真レベル(デジタル) | 9980 | |
カメラ名称 | K-17B | |
焦点距離(mm) | 152.700 | |
カラー種別 | モノクロ | |
写真種別 | アナログ | |
撮影計画機関 | 米軍 | |
市区町村名 | 川口市 |
この地図で該当地域を抜き出すとこんな感じ。
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1948年の航空図で見ると、この辺りが該当するように見えます。
地図で見ると、真ん中の道が廓内でとどまる行き止まりの書き方になっています。
一方で、航空写真で見ると指定地の真ん中の道は突き抜けたように書かれています。
それを見て「違うかな?」と思ったけれども。答えはこれ。
抜けているようで抜けていないのです。これなら表記がこうでも間違いないですね。
MAPPLE法務局地図ビューア
さて、参考までに地割も確認です。
MAPPLE法務局地図ビューアで当該地域を確認。
枝番単位でまとめた感じで上から線を描いてみます。
MAPPLE法務局地図ビューア 鳩ケ谷本町3丁目付近
鳩ケ谷は昭和42年頃に住居表示に変えているらしいので、それより前の表示はわからないけれども。少なくともその時点ではこんな感じだったようです。
航空写真の地割の雰囲気と違和感はないですね。
そこから想像するに、
寿亭 | 鳩ケ谷本町3丁目1636・1637? |
新千代本 | 鳩ケ谷本町3丁目1635・1638? |
宝来家 | 鳩ケ谷本町3丁目1634・1633? |
若松家 | 鳩ケ谷本町3丁目1640・1641・1643? |
千代本 | 鳩ケ谷本町3丁目1639? |
あたりに所在していたのだろうと予想ができます。
いずれにしろ、現在は住宅地造成されてしまっていますので、当時を思わせる残渣もなさそうだし、それ以前に当時から住んでいる人もいなさそうな状況です。
現地踏査は急がないでよさそうな感じです。
鳩ヶ谷史談の記述は何だったのか?
鳩ヶ谷史談あった「本町三丁目の竹屋と野本時計店の横通り「出戸」を入り、左手のクリーニング店のところを右折して少し行ったところに、鳩ヶ谷の新地はあった。」の文字。
竹屋・野本時計店の間の通りである「出戸」これは十一屋さんの前の路地。これは十一屋さんで確認したので間違いない。
その先「左手のクリーニング店の所を右折」で迷路に迷い込んだわけなのですが。
今の指定地の同定が正しいとすれば、右折するのは「笠間稲荷神社」の交差点を右折だとつじつまが合います。このあたりにクリーニング店があったのかもしれませんね。
参考資料
最新 埼玉懸北足立郡鳩ケ谷町及安行戸塚神根之各村案内圖, , 昭和4年(1929)5月発行, 川口市郷土資料館
ゼンリンの住宅地図 鳩ケ谷市 ’72, 1972, ゼンリン, 埼玉県立図書館
鳩ヶ谷史談, 平野清, 2005.7, 川口市立鳩ケ谷図書館
地図・空中写真閲覧サービス, USA-M738-33