「素盞嗚尊」タグアーカイブ

[埼玉県川口市] 元郷氷川神社(元郷)

社名元郷氷川神社(もとごうひかわじんじゃ)
所在地
元郷氷川神社

埼玉県川口市元郷1丁目30−2
社格武蔵國四之宮
村社
御祭神祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと):(別名 狭依毘売命)
合祀
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
火産霊命(ほむすびのみこと)
奥津比古命(おくつひこのみこと)
奥津比賣命(おくつひめのみこと)
神紋八雲紋
摂末社
情報源しあわせの宮 元郷氷川神社
訪問記訪問日: 2017/11/26
御朱印あり(初穂料:300円)
由緒書

[埼玉県川口市] 横曾根神社

社名横曾根神社(よこそねじんじゃ)
所在地
横曾根神社

埼玉県川口市南町1丁目15−10
社格
御祭神素盞嗚尊(氷川大神)
応神天皇(八幡大神)
稲荷大神
神紋菊花心に三つ巴紋
摂末社
情報源横曾根神社 | 埼玉県の神社
訪問記訪問日: 2016/11/23

川口駅からだと徒歩でもアクセスできるけど、やっぱりバスかなぁ、と悩む距離に鎮座。
狭い社地の為か、鉄筋コンクリートの総二階建ての建物、正面の鳥居をくぐるとすぐに階段。そこを登ると拝殿。

階段を登って参拝。

社務所は一階。

一応、御朱印をもらったというブログ等も見た事があるので、同行者は御朱印をいただけるか確認に。
社務所にて確認すると御朱印はないとの事。御朱印ブームでもあるので、心ない来訪者とトラブルでもあったのかもしれないけれど、ちょっと対応に難ありだったそうだ。まぁ、神様の前なわけだし、どちらも気持ちよく参拝したいものです。

御朱印なし
由緒書横曾根神社 御由緒

□御縁起(歴史)
御祭神 氷川大神・八幡大神・稲荷大神を主神とし、
氏子区域に本居を構える氏子の人達の、祖先の神々をも合わせまつる。

横曽根神社じゃ度々の水害によって、古記録等忘失して御創建年代は定かではないが、「風土記稿」によれば応永年間(約六三〇年以前)の創建と伝えられ「村内の鎮守なり」とあり、本殿内に安置する木彫りの御神像五体は室町期のものといわれている。江戸時代種々の行事の際に使用された大般若経(六百巻)は延享元年(約二六〇年前)の銘があり、現在神前に安置されている。

当神社は、昭和八年 川口町・横曽根村・青木村・南平柳村の一町三村が合併して川口市となる以前における、旧横曽根村(現在の南町、宮町、原町、仲町一、二、三丁目仁志町一、二丁目・北町・緑町・並木町一、二、三、四、五丁目・飯塚一、二、三丁目)の総鎮守、産須那の社として、往古より数百年にわたり村人の氏子崇敬者の厚い崇敬を集めて参りました。無論、川口市となりましても、横曽根神社の氏子区域は変わる事なく、従来通りと、神社本庁にも認められており、飯塚地区を除いた、横曽根地区・西川口地区・西地区・並木地区の各連合町会の総鎮守として、地域の発展安全・子孫繁栄にその御神徳も顕著な産須那の神であります。

江戸時代、文化三年生まれの学者六人部是香はその著「産須那社古伝抄」に

「先づその地の産須那の神に、慇懃に奉仕して、其の余暇には、他所の霊験をも仰ぐべし。かりそめにも。我が産須那の神をさし置きて。他所の利益を仰ぎ奉らむは。我が主君を等閑にして他処に参るが如く。不当なる にあらずや。然れば狭少の処に御坐とも。其の恩徳を忽にすべからず。
若し当処の神。咎めて祟り給はば。いかに頼み奉るとも。他処の神更に助け給ふべからず。餘社の祟りは、吾が産須那の神の恵給はば。宥め給はむ。他処の社といへども。疎略に為べからずといへども。取別け先づ第一に。其地其の地の産須那の社を。大切に為ずんば有るべからず。」

と説かれております通り、氏子区域とそこに住む氏子の人達を第一に御守護下さる広く厚き御神徳に感謝し、尚往先の御加護を祈念して、神社の維持・神事の執行を子々孫々に伝えるべく、初詣・初宮参・七五三詣・厄除け・自動車清祓い、各種の安全祈願祭等神前の御祈祷・地鎮祭や各種の清祓い等の外祭も、産須那・氏神様で御受け致します。

□ 御祭神 ・素盞嗚尊 ・応神天皇
□ 御祭日
・ 元旦祭(一月一日) ・祈年祭(二月十七日) ・例大祭(十月二十日)

[埼玉県入間市] 春日神社(春日町)

社名春日神社(かすがじんじゃ)
所在地
春日神社

埼玉県入間市春日町1丁目6−1
社格村社
御祭神祭神
天児屋根命
比売神
武甕槌命
経津主命
相殿
素盞嗚尊
大市姫命
倉稲魂命
火産霊命
白山姫命
神紋
摂末社護国神社
情報源春日神社 | 埼玉県の神社
訪問記訪問日: 2016/07/10

大通りから路地を入る。地図を見ながらだけれど、本当にこの道に入っていいのかどうか躊躇しながら進む。
進むと神明鳥居がお出迎え。
長い参道は途中で道路に分断されており、微妙な感じになっているが、そこそこの大きさ。

本殿裏には護国神社。

御朱印
由緒書春日神社御由緒
一、現在地 入間市春日町一丁目六番一号
二、由緒 当春日神社の由緒は詳らかではないが、古くか
らの言い伝えによると元仁元年甲申八月(一二二四年)
大和国(奈良県)春日大社より勧請され、その後、宝暦二年
壬申(一七五二年)に御社殿再建されたと伝えられる。昔は
産土神として崇められ明治二年の太政官布告令により
神仏分離が行われ、明治五年に指定村社に列せられた。
当神社は元は西山の地(現所在地の西方数百メートル)の
古木蒼然とした森の中に在ったが明治五年に、この地(黒
須村字久保田七七三番地)移築され、その後、明治四十五年
に稲荷神社(字秋津より)氷川神社(字久保田)愛宕神社(字沓
切場)白山社、八雲神社(字後)から併合、合祀されて黒須の鎮
守として篤い崇敬を集めて来たものです。
三、御祭神
天児屋根命 比売神 武甕槌命 経津主命
御合神
素盞嗚尊 大市姫命 倉稲魂命 火産霊命 白山姫命
四、社殿及び建造物 敷地 四、四〇〇平方米
本殿 二平方米 切妻造
覆殿 十一平方米 切妻造
拝殿 三十平方米 入母屋向拝付
五、特色
年三回の祭典には賛同(一〇〇米)の間に崇敬者の奉納し
た恩神燈(提灯)九六基を点灯し神域を照らし誠に荘厳で
ある。
六、春日神社への祈願
縁むすび 家内安全 商売繁盛 交通安全 厄除祈願
合格祈願等の御神徳を仰ぎ奉り祈願する。
由緒書護国神社の由来
昭和二十九年十月戦没者遺族会の
発願により当神社の境内の一隅に
護国神社が建立され氏子出身の
日露戦争シベリア事変日支事変
大東亜戦争で出征し護国のために
華した百十五柱の英霊を慰める