「市杵島姫命」タグアーカイブ

[埼玉県川口市] 元郷氷川神社(元郷)

社名元郷氷川神社(もとごうひかわじんじゃ)
所在地
元郷氷川神社

埼玉県川口市元郷1丁目30−2
社格武蔵國四之宮
村社
御祭神祭神
素盞嗚尊(すさのおのみこと)
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと):(別名 狭依毘売命)
合祀
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
菅原道眞公(すがわらのみちざねこう)
大山咋命(おおやまくいのみこと)
火産霊命(ほむすびのみこと)
奥津比古命(おくつひこのみこと)
奥津比賣命(おくつひめのみこと)
神紋八雲紋
摂末社
情報源しあわせの宮 元郷氷川神社
訪問記訪問日: 2017/11/26
御朱印あり(初穂料:300円)
由緒書

[静岡県西伊豆町] 弁財天(沢田)

社名弁財天
弁財天宗像宮
所在地
弁財天宗像宮

静岡県賀茂郡西伊豆町仁科
社格
御祭神市杵島姫命
神紋
摂末社
情報源西伊豆町誌 資料第一集 神社・寺院並びに棟札編
訪問記訪問日: 2017/01/02

毎年恒例の仁科港での餅まきを見物。
見ていると港の突端の崖の上に鳥居のようなものを発見。
散歩がてら訪問。

水門を出てすぐのところに登り口があり、そこから遊歩道を登る。
登り初めてすぐ、赤の鹿島鳥居が見えてくる。鹿島鳥居とはいうものの額束があるので、呼び方としてはちょっと違うのかも。

小さな祠。
脇には神域整備の記載があり、そこに「弁財天宗像宮」とあった。
それ以外の由緒は不明。

弁財天宗像宮だし、祭神は市杵島姫命なのでしょう。

—-

後に西伊豆町誌を手に入れ…詳細を確認

縁起に関しては造立年月日等は不明だが、棟札によれば、元禄十一戌寅年とあり、周囲の弁財天の勧請時期から元禄年代ごろであろうとのこと。
そこそこの古社である。
管理は仁科漁業協同組合と一本釣組合が行っており。例祭は3月17日に行われているとのこと。

御朱印
由緒書

[埼玉県朝霞市] 美女神社(田島)

社名美女神社(びじょじんじゃ)
宇津久志の宮(うつくしのみや)
美女神社
所在地
美女神社

埼玉県朝霞市田島2-16-33
社格
御祭神市杵島姫命
神紋
摂末社※ 田島神明神社の飛地境内社
情報源
訪問記訪問日: 2016/03/27
大通りから一本入った路地、一方通行ゆえに狙っていかなければこの神社にはたどり着かないだろう。
住宅に囲まれた狭小の社地に神明鳥居。
境内はきれいに整備されており、心地よい。社名の由来は川の向こう側にある「美女木」の関連か?と思って訪れたが、どうもそれは関係がないらしい。
市杵島姫命の「いちきしま」が転化し美女神社になったようだ。埼玉の神社によると、本社は神明神社(田島)の飛地境内社で、当該項目には下記のように記されている。


当社北方の飛地境内に美女神社と呼ばれる珍しい社名の社がある。祭日は五月一日で、俗に「美女(うつくし)様のお経」と飛ばれる。元来は氏子銘銘が持参したお重の手料理を神前に供え、その前に筵を敷いて全員が着座し、年長者の発声で般若心経を唱和したが、昭和十五年頃に行われなくなった。現在は神饌をお重に入れて供え祭典を行い、終わると町会会館で直会をする。
美女様は子供の麻疹やクチムキを治すといわれ、かつては子供の参詣が多く見られた。お参りの際に社頭の鈴に下げてある布を裂いて持ち帰り、これを首に巻いておくと治るとされ、お礼参りには新しい布を鈴に下げるのが習わしであった。また、女の子は社名にあやかって美しくなるように祈り、手を合わせた。


みていてよくわからなかったのは「クチムキ」。何だろうと調べてみると、百日咳のことのようである。

御朱印
由緒書美女神社 御由緒

□ 御縁起(歴史)
当神社は古くより「うつくしさま」と親し
まれ、子供の病気を治したり、健康を守る神
様として信仰されてきた。徳川時代の地誌
「新編武蔵風土記稿(一八三〇年)」には、
「美宮ハ村ノ北ニアリ宇津久志ノ宮ト云ウ」
と記されている。
□ 御祭神
市杵島姫命
御祭神、市杵島姫命は、日本の最も古い書物である
古事記・日本書紀にも載っている宗像三女神の一人
で九州の宗像神社・広島の厳島神社の御祭神である。
美女神社の名前の由来について一説では「いちきしま」
が「いつくしま」となり「うつくしさま」に転化し
美女神社になったとも言われている。
□ 祭事表
五月一日  春祭り
九月十五日 秋祭り