「埼玉県」カテゴリーアーカイブ

[埼玉県秩父市] 柞祖霊社

社名柞祖霊社(ははそそれいしゃ)
所在地
柞祖霊社

埼玉県秩父市番場町2
社格
御祭神
神紋
摂末社秩父神社の兼務社
情報源
訪問記訪問日: 2017/05/28

秩父神社に参拝した時、秩父まつり会館の裏手に鳥居があるのを発見。
道路の向かいだしと、参拝。

由緒書きをみると、近年になって創建された祖霊社とのこと。
建物は移築のようであるが、ぱっと見はかなり新しい新築にしか見えない。

柞の字は当初読めず…由緒書きにあるルビでようやく読めた。
これで「ははそ」と読むようである。

Wikipediaによると

ハハソ…コナラなど、ブナ科コナラ属の総称

とあり、木の種類を表しているとのこと。
由緒書きを見ると、鎮守の杜からの名前であるとあるので、このあたりにはコナラの木が繁茂していたのであろう。

御朱印
由緒書『柞 祖霊社』御鎮座の由来

本社は、ご祭神として幽冥の大神をはじめ、当社の神葬祭をもって奉斎する各ご家庭代々
の御祖達のご分霊を共に招き祀って、末長く鎮め奉る祖霊社として新たに創建されました。
ご社殿につきまいては、信濃国安曇野(現・長野県安曇野市)に鎮座の古社、旧国幣
小社・穂高神社が本年五月九日に斎行された式年造替遷座祭に伴う旧神殿遺構を用材
に譲り受け、そのご神縁を蒙りつつ然るべき改修をほどこして建立したものであります。
なお本社のご社名は、当社の社叢に古く伝わる名称「柞の杜」に鎮座の故であります。
因みに本社ご創建にちきましては、去る平成十七年帰幽の故千嶋文曹翁命が生前に
奉納された建設基金をはじめ、当社大総代、立正佼成会秩父教会ご有志ほか篤志の皆さまによるご浄財あっての成就と、ここに銘記してご芳志のほど衷心より御礼申し上げます。

世々の祖のみかげわするな世々の祖はおのが氏神おのが家の神 本居宣長大人詠歌

吾らが神道におきましては、亡き人びとの御霊を末長く現世に祀りつづけることこそ
後生の安心と心得て、ご遺族をはじめ縁者の方々と共に鎮魂の神祭をご奉仕しております。
幸いに本社の創建が叶いましたからには、各ご家庭それぞれの御霊屋奉斎に併せて、
当本社のご霊前鎮祭をも行く末永くご奉仕いたすことを謹んでお誓い申し上げます。

平成二十一年八月吉日

秩父神社 宮司 園田 稔 謹誌

[埼玉県秩父市] 御嶽普寛神社

社名御嶽普寛神社(おんたけふかんじんじゃ)
所在地
御嶽普寛神社

埼玉県秩父市大滝944
社格単立神社
御祭神
神紋山丸三
摂末社熊野神社
三峯神社
出世稲荷神社
情報源
訪問記訪問日: 2017/05/28

三峰神社よりの帰り道。
目立つ鳥居を発見。参拝しました。

門はキッチリと閉めてありましたが、掲示によると獣害がひどいための措置で参拝者は開けて入っていいとの事。
お言葉に甘えて参拝。

日が悪かったのか社務所は締まっており、お話等を聞くことはできませんでした。
その為、参拝のみ。
谷に向かって社殿が建ち、その向かいに神楽殿。社殿右側に社務所。
御嶽教の目印である「山丸三」の神紋が大きく掲げられていたのが印象的。

境内社の出世稲荷神社は境内ではなく、門の外に隣接して鎮座。
こういうのも境内社と呼んでいいんだろうか。それとも、この関係でも境外社と呼ぶんだろうか。

後に帰ってから調べたところ、この神社は、御嶽教の中では特別な位置にある様で、御嶽教を創設した普寛の墓所四カ所の一つであり、出生地とされているとの事。
普寛と言えば修験道。その位は知っているけれど。よく考えると修験道ってどんなもんなんだろうか。
修験者のイメージ映像は頭に浮かぶけれど、それ以上の知識がないことに今更気が付く。
日本人に生まれながら、日本の事って、知っているようであまり知らないもんなんだなぁ。
こういうことを切っ掛けにでもして、少しでも調べていかないとなぁ。と思わせてくれる訪問であった。

御朱印情報あり(未確認)
由緒書

[埼玉県川口市] 朝日氷川神社

社名朝日氷川神社
所在地
朝日氷川神社

埼玉県川口市朝日1−3−15
社格
御祭神素盞嗚命
櫛稲田姫命
神紋
摂末社・出世稲荷神社
・須賀神社
・大国神社
情報源朝日氷川神社
訪問記訪問日: 2017/05/07
御朱印あり(500円) – 社務所にて
由緒書朝日氷川神社 御由緒
川口市朝日一ー三ー十五
□ 御縁起(歴史)
当社創建は、天正年中(一五七三〜室町末期)に今の地に再建されたと
あり、約五百年間と推定される。『風土記稿』に、樋爪村(二十九日村)・
十二月田村・前田村・二軒在家村の鎮守とあり、現在の十二月田を含む朝
日町全域となっている。鎮座地は樋爪村の西端にあり、氏子が氷川大神を
拝する時は、西方にある芝川を望むがごとくある。現在、社殿裏手の道路
は、かつての芝川堤防跡である。
御祭神は素盞嗚命、櫛稲田姫命の二柱で、神仏分離まで内陣には聖観音
を奉安していた。また、素盞嗚命を「牛頭天王」として祀る須賀神社が合
祀されている。
『明細帳」によると、明治四十年六月十四日、大字十二月田字大坪にあっ
た村社稲荷社、大字二軒在家字稲荷田の無格社稲荷社が当社に合祀されて
いる。内陣にはこの両社いずれかのものと思われる「正一位稲荷五柱太神」
と墨書された神璽と、高さ二十五センチメートルの自然石がある。
本殿は一間社流造りで、銅板葺きの屋根となっている。拝殿内には川口市
青木の氷川神社の随神門にあった左大臣、右大臣が奉安されている。大正
十二年の関東大震災では社殿が倒壊するも、昭和十三年七月二十五日に再建。
その後老朽化した建物すべてを「平成の大造営」と称して再建し、平成十五
年五月、新社殿・社務所が木の香清しく完成となった。
□ 御祭神と御神徳
・素盞嗚命・・・・厄除招福、厄災消除、病気平癒
・櫛稲田姫命・・・安産、子育て、夫婦和合、五穀豊穣
□ 末社
・出世稲荷神社 ・須賀神社 ・大国神社
□ 御祭日
・春祭り(二月二十五日) ・夏祭り(七月十五日前後の土、日)
・例大祭(十月十五日) ・新嘗祭(十一月二十三日)

[埼玉県八潮市] 氷川神社(木曽根)

社名氷川神社(ひかわじんじゃ)
所在地
氷川神社

埼玉県八潮市木曽根1092−8
(旧:木曾根字上 昭和61年1月に遷座。中川の河川改修による。)
社格村社(明治四年)
御祭神
神紋
摂末社天満宮
稲荷社
三峰・別雷
情報源埼玉の神社 P.1329
訪問記訪問日: 2017/04/22

三郷から中川を渡り、河川沿いに南下。
車を流していたら、コンビニ傍に鳥居を発見。

社地は微妙な形をしており、社頭からみると、敷地の右側に上木曽根会館、左に明神鳥居。
鳥居の内側は、たぶんだが会館利用者の駐車場となっている。
その億、クランク上に参道が曲がり会館の真裏に社殿が建っている。

由緒によると河川改修の折に移築しているとある。なぜ、まっすぐの参道になるように移築しなかったんだろうか…少々不思議に感じてしまう。

全体的に小ぶりな社地ではあるが、綺麗に整えられており清々しさがある。

面する通りはそこそこの交通量があり、騒々しさがあるけれど。
拝殿に向かうと、ちょうど会館が邪魔をするように立っているせいか、その騒々しさもなくいい感じである。
特徴的なのは鈴緒。右と左に一本ずつぶら下がっているのはいいとして、右側には「男鈴」、左には「女鈴」の文字。男女にて分けている意味なのでしょうかね。
特に説明書きを見つけられなかったけれど、男女にて使う鈴尾を変えるという事なのでしょう。

「埼玉の神社」によると、境内社は天満宮、稲荷社、三峰・別雷。社殿に向かって右側に並ぶ。
稲荷社はのぼりがありわかるが、そのほかはどれがどれに該当するのかの判別がつきにくかった。
普通に数えると7宇の境内社があるように見えるのだが…。

御朱印
由緒書 「埼玉の神社」歴史

永禄八年(一五六五)四月八目の創建と伝えられる当社は、嘉永三年(一八五〇)の本殿再建時の棟札「正一位 久伊豆大明神 氷川大明神」と併記されているように、元来は氷川・久伊豆両社の合殿であった。本殿が二間社になっているのはそのためである。また、この棟札には「別当金蔵院祐試法印」の名が見え、『風土記稿』では金蔵院の境内に「氷川社、村の鎮守なり」とあり、その創建には金蔵院の法印がかかわったことが推測される。
現在、当社の境内は県道に近い新興住宅地の一角にあるが、昭和六十一年一月までほ中川のほとりの、雑木林に囲まれた閑静な地にあった。遷座の理由は、中川の河川改修によるもので、これを機に拝殿・社務所など、境内の諸施設が一新された。ただし、嘉永三年五月に造られた本殿だけは、傷みも少なく、長い間崇敬し親しんできた社であったという理由から、新築はせずに旧地からそのまま移築した。
『風土記稿』に見られるように、木曾根の村内には、当社のほかに八幡社と二社の稲荷社があった。しかし、これらの諸社は当社が明治四年に村杜になったのに対し、無格社となったため、明治四十二年に当社に合祀された。しかし、木曾根新田の稲荷社だけは旧氏子の強い希望から、昭和二十九年に分祀され、照富久稲荷神社と、称して改めて祀られることとなり、現在に至っている。

[埼玉県三郷市] 彦江神社(彦江1丁目)

社名彦江神社(彦江)
所在地
彦江神社

埼玉県三郷市彦江1丁目152
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/22

たまたま通りかかり、鳥居を見つけ訪問。
小高い山の上に社が立つ目立つ社殿。元は古墳か富士塚か?と思いつつ参拝。
のちに調べたところ、もともとは浅間社として創建、明治40年村社香取神社・熊野神社・日枝神社・熊野神社を合祀して現在に至るとのこと。
多分、これは富士塚なのでしょう。

御朱印
由緒書

[埼玉県三郷市] 香取神社(花和田)

社名香取神社(かとりじんじゃ)
花和田香取神社
所在地
香取神社

埼玉県三郷市花和田四一六番号
社格
御祭神経津主之命(ふつぬしのみこと)
(別名: 伊波比主之命(いわいぬしのみこと))
合祀: 天照皇大神、宇賀能魂命、須佐之男命、伊弉再命、八大竜王命
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/22
御朱印
由緒書香取神社(かとりじんじゃ)
所在地 三郷市花和田四一六番号 香取神社は、千葉県佐原の香取神宮を本社として、文明年間(一四六九〜一四七八)に勧請した神社で、明治四十年二月五日神明神社、稲荷神社、羽黒山を合祀した。
現在の中川は昔の利根川であり、この地方は下総国になっていた。このため現在の中川の東側は香取神社が祀られ、西側は武蔵国で氷川神社が多く祀られていた。その後、江戸時代になってこの地方は江戸川の西側となり武蔵国になった。
当神社の祭神は、経津主之命(ふつぬしのみこと)(別名伊波比主之命(いわいぬしのみこと))で、その他に天照皇大神、宇賀能魂命、須佐之男命、伊弉再命、八大竜王命が合祀されている。
合祀されている祭神のうち八大竜王命は、昔この地方の八人の名主が水害からこの地方を守るため、人柱となってくれた八人の命を水神様として祀ったものである。
例祭は、元旦祭(一月十二日)、初午(二月の初午日)、夏祭(七月十五日)、秋祭(お日待、十月十五日)である。このうち夏祭は、以前山車と囃子で村回りをしていたが、現在はお神輿で町内を回っている。昭和六十一年三月
埼玉県
三郷市

[埼玉県川口市] 畑田稲荷神社(辻)

社名畑田稲荷神社(はたけだいなりじんじゃ)
所在地
畑田稲荷

埼玉県川口市南鳩ヶ谷7丁目27
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2017/04/08
御朱印
由緒書鳩ヶ谷市史 民族編辻地区の畑田稲荷は、かつて辻村の鎮守様つまり村社であったが、明治末年に鳩ヶ谷氷川神社に合祀された。しかし、その後も村の中で信仰を集めている。現在の氏子は、ほとんど真言宗の人たちであり、氏子どうし四軒で組を組織し、年番を出し諸行事を行い、自ら「畑田の氏子」と称するなど、氏子意識がきわめて強い。氏子総代(世話人)は一〇名いるが、真言宗の真福寺・西光寺の世話人(檀家総代)と同一人であるなど、宗派との結びつきがここにもみられる。
行事は、正月・初午・春祈祷(四月十三日)・夏祈祷(五月十三日)・天王様(七月十五日)・お日待(十月十五日)であり、年番が集めたお金で祭礼を運営している。

[埼玉県川口市] 大徳稲荷神社(並木元町)

社名大徳稲荷神社(だいとくいなりじんじゃ)
所在地
大徳稲荷神社

埼玉県川口市並木元町
社格
御祭神
神紋
摂末社
情報源
訪問記訪問日: 2016/12/02

かつてサッポロビールの工場であった場所にある神社。
本来は工場の邸内社であったもののようです。

御朱印
由緒書