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【埼玉県】追加調査 – 坂戸花街を同定してみる

前回の【埼玉県】坂戸花街を同定してみるにて置屋の位置を特定までしました。
そこで、続きとなる部分を調査してみようと思います。

警察署西側におけるかつての特飲街

前回の調査で懸案となっていたのは「警察署の場所」。
これは古い住宅地図を確認してみればよいわけなので。ちょっと国会図書館まで行って地図を確認です。
国会図書館でも地図は取り扱いが特殊なので、ちょっと面倒なんですよね。

坂戸町・鶴ヶ島町 1971 (ゼンリンの住宅地図)

国会図書館で見ると、一番古いものは1971年となっているようです。
1971年はまだ市制をとっていないので坂戸町の地図を確認です。

坂戸町・鶴ヶ島町 1971 (ゼンリンの住宅地図), 住宅地図出版社, 1971, 国立国会図書館

地図を確認すると「坂戸駅北口」交差点の場所、論文でいうところの「駅東通り地区」に「川越警察坂戸派出所」が記載されています。

前回の調査では、当初は川越警察の管轄だったのが西入間警察管轄になり、警察署が移転したというところまで確認しました。その際の情報はこんな感じ。

一方で売春防止法(1958年)以前の日付を基準に考えるのであれば、1974年に開庁となる西入間警察署は現地にはありません。当時はどこにあったかを調べてみると、埼玉県警察史 第1巻 P.366に次のような記載があります。

今回の地図は1971年なので「移転前」の地図ですので、西入間警察署ができた後の派出所ではなく、今回の論文で指している警察署とはこの派出所で良いようです。

花街と特飲街

論文によると、

という状況だったことが読み解けます。これに今回の警察署(派出所)の位置が加わると、坂戸における花街の概要がクリアになります。

『首都圏の都市成長前線帯におけるサービス業地域の形成 : 埼玉県坂戸町「きどうち」と「駅東通り」の比較』, 田村 正夫,1985.11, 城西大学機関リポジトリ

論文にある地図を見ると、「駅東通り裏」地区と「駅東通り」地区はもちろん隣接した位置にあります。前回の調査で確認した置き屋の場所は「駅東通り裏の北東付近」。今回の調査で分かった警察署の場所は「駅東通り北端付近」。

特飲街は警察署西側となると、置屋のある場所とほぼ同一となります。

ただし、前回の読み解きの通りであれば、特飲街は「きどうちの南端」と解することができるため、日の出町交差点から坂戸駅北口交差点を結ぶ道付近の北側エリアということになります。

いずれにしろ、この警察署西側という表現が微妙に場所の同定を難しくしているように思います。なぜ回りくどい書き方をしたのか。なにか意図があるのか、それともランドマークに乏しくこのように書いたのか。まぁ特飲街はグレーなエリアであるため、具体的な部分を明示する形を避けたのかなとは思いますが。

一応の確認の手段として、1971年の住宅地図で「駅東通り裏地区」「きどうち南端」を確認。
特飲街(カフェー街?)の残渣のような具体的な名称などは発見できませんでした。
ただし、「きどうち」は昔ながらのウナギの寝床スタイルの区割りであるのに対し、別の通りに面しているということで「最南端の部分」、「きどそと」「きどうち」を分かつ通り沿いだけ区割りが細かく記載されいます。これは通りに向けて商売をする関係上当たり前の構造なのですけれども。特飲街として商売をするとすれば小さな店の集合となろうかと思いますので、区割りからは可能性は見いだせるような感じではありました。
逆に置き屋のエリアは現代の区割りを見ても住宅街のような感じで、特飲街の名残となるスナックなどの営業がこの地図からは読み取ることができません。

読み解きによる「見解」的な部分が多くなりますが。結論としては

  1. 売春防止法後の置屋エリアは「埼玉県坂戸市日の出町13」付近
  2. 特飲街は「埼玉県坂戸市本町2」南端の通りに面した付近

であろうと、いったんは結論付けたいと思います。

なかなか地域としては黒歴史として考えられる情報は調べるのが難しいですね。

もし、もう少し調べられるようであれば。のちにそれらのサービスの中心が駅南口周辺に移転した経緯等も調べたいですねぇ。

使用した資料

坂戸町・鶴ヶ島町 1971 (ゼンリンの住宅地図), 住宅地図出版社, 1971, 国立国会図書館
『首都圏の都市成長前線帯におけるサービス業地域の形成 : 埼玉県坂戸町「きどうち」と「駅東通り」の比較』, 田村 正夫,1985.11, 城西大学機関リポジトリ

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